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2010年9月21日 (火)

当たり前のことですが自助共助には限界があります

9月15日付け静岡新聞に,当方のコラムが掲載されました.

不快に感じられる人が多くいるであろう内容ですが,私は,これが事実に基づく認識だと思っています.感情論や印象論ではなく,事実を見つめるべきだと思います.せっかく一生懸命真面目にやっている人に対して,それを否定するなんて心を傷つけることをするな,といった議論が出てくるのであれば,もはや話しはかみ合いませんが.

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時評=「自助共助」の限界-「公助」と役割分担重要

 近年「自助・共助」すなわち個人や地域社会,企業等が災害時に自らの身を守り,互いに助け合う事の重要性が叫ばれている.このような指摘が聞かれるようになったのは,最近10年くらいのことであり,阪神・淡路大震災が大きなきっかけになっているようだ.内閣府がまとめている「阪神・淡路大震災教訓情報資料集」では,同震災時に建物等の倒壊により数万人規模の生き埋め者が発生し,そのうち自衛隊,警察,消防などが救出した人は数千人規模であったとされている.すなわち,生き埋め者の大半は一般市民により救出されており,これが「大規模災害時には公的機関による支援(公助)には限界があり,自助共助が重要である」といった指摘の根拠の一つのようだ.災害対策において行政機関の果たす役割は大きいが,すべての個人に手をさしのべることは困難であり,「防災のことは行政にお任せ」といった考え方は適切ではない.しかし,「行政(よその人)は頼りにならないので自助共助(地域の人)でやっていく」という考え方があるとすれば,それは行き過ぎだと筆者は考える.

 「自助共助」というと,「災害時に助け合って生き延びる」といったイメージがあるかも知れないが,それは「自助共助」の一側面であってすべてではない.「自助共助でいのちをまもる」といったフレーズも聞かれそうだが,残念ながら「人的被害の大幅な軽減」という目的を達成する上では「自助共助」の役割は限定的である.上述のように,阪神・淡路大震災時の生き埋め者の大半がいわゆる自助共助による救出であったが,同じ「資料集」には死者の9割以上がほぼ即死だったことも示されている.「災害が発生したときに助け合う」というタイプの「自助共助」では,即死者の「いのちをまもる」ことは期待できない.残念ながら,「自助共助」で軽減できた可能性がある犠牲者は残りの1割弱だったと言わざるを得ない.即死者の多くは建物の倒壊などに起因しており,これを軽減するためには,壊れにくい建物を作るしかない.

 災害の種類によっては「自助共助」が人的被害軽減に直結する場合もある.津波災害が典型例で,海岸で強い地震を感知したら,互いに助け合って高所への迅速な避難行動をとることで犠牲者を減らすことが期待できる.また,災害後の避難生活,地域の復興といった場面では「自助共助」が果たす役割は少なくない.平時に地域での防災対策を考えることも重要な「自助共助」だろう.

 「自助共助」と「公助」は,それぞれ果たすべき機能が異なり,一方が他方を置き換えるものではない.地域の人「だけ」でがんばるのではなく,様々な技術,情報,人の知恵などを合わせた地域防災の取り組みが望まれる.

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