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2011年3月25日 (金)

機転きかせて避難、全校無事 大船渡小と越喜来小

3月23日付岩手日報

マニュアルにとらわれない判断,がまさに生死を分けています.大船渡小は校庭の標高が10m未満で,かならずしも「絶対大丈夫な高台」とまでは言えない立地ですが,それは今だから言えることでしょう.

越喜来小学校も校庭の地盤高は5m前後.事後の空中写真では津波到達が明確に見えます.記事中の南区公民館までは写真からは到達していないと読み取れますが,少しでも高所に向かったことは当然適切な行動です.

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機転きかせて避難、全校無事 大船渡小と越喜来小

 津波襲来時、大船渡市の大船渡小(柏崎正明校長、児童268人)と越喜来小(今野義雄校長、同73人)は状況に応じた対応で、児童全員が生き延びた。事前の想定を大きく上回る津波を前にマニュアルにとらわれない学校の判断が、児童の命を救った形だ。

 越喜来小は第1避難所に三陸駅、第2避難所に南区公民館を設定。通常は揺れが収まってから避難するが、今回はあまりにも揺れる時間が長すぎた。細心の注意を払いながら、揺れている間に避難を開始した。

 大津希梨さん(4年)は「大きな揺れのときにしゃがみ、小さい揺れのときに急ぎ足で逃げた。揺れが止まるのを待っていたら波にのまれたかもしれない」と振り返る。

 大きな揺れに泣きだす子もいたが、昨年整備した県道との連絡通路などを使って避難。校舎を破壊する津波の猛威に危険を感じ、南区公民館からさらに背後の山に登らせた。

 遠藤耕生副校長は「津波到達まで30分ないと想定すると、揺れが収まってからでは間に合わないと思った。校舎が壊れることも考えた」と説明する。

 大船渡小は学校が近所の住民も逃げてくる避難場所。11日も地震発生後、児童はマニュアル通り校庭へと避難した。

 ところが、津波が街をのみ込みながら、迫るのが校庭から見えた。柏崎校長はさらに高台にある大船渡中への移動を決断。児童は校門より山手のフェンスをよじ登り、1、2年生は教職員が持ち上げた。全児童が避難後、津波は校庭をのみ込み校舎1階に浸入した。

 柏崎校長は「まさか地域の避難所であるここまで津波が押し寄せるとは。それでも児童は冷静に行動した」と語る。

【写真=津波で校舎が3階まで破壊された越喜来小。避難開始の判断が児童の命を救った=大船渡市三陸町越喜来】

(2011/03/23)

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