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2011年3月25日 (金)

津波テンデンコ

逃げ遅れか…地震死者、60歳以上が65% (読売新聞)
http://t.co/Ij9dJ4F

この読売の記事中の河田先生のコメント「高齢者は健康体でも若者に比べて動きが遅く、津波などの災害では逃げ遅れる事例が多い。データからは、高齢者に対して、行政による避難誘導のあり方を見直し、近所の若者による手助けが必要だという教訓が導き出される」に考えさせられています.メディアで伝えられる「有識者のコメント」は本人がいった内容を正しく伝えていないことも少なくないので,河田先生のコメントと言うより読売の記事としてとらえています.

避難の際に,要援護者の支援が重要,ということは近年よく言われ,そういう趣旨での避難訓練も行われています.しかし,1人の要援護者を支えるのに4人の人手が必要,といった対応が現実にできるのか,という認識も訓練の中からは出ていたのではないでしょうか.

津波からの避難は分単位の時間との勝負であることは間違いなく,この点は他の災害と少し異なる特徴です.「津波テンデンコ」を現代日本で現実に見ることになるとは思っていませんでしたが,直視しなければならない現実です.

津波テンデンコについてはこの記事を
http://goo.gl/V5eDT

下に着けた記事のような現実もあります.

強いて前向きな話をするのであれば,要援護者の居住する場所は,確実に安全な場所にシフトさせていく,ということでしょう.

要援護者を見捨てろと言うのか!,たすけあいが重要じゃないのか!,自助共助が重要だっ!,といった感情論ではなくて,現実を見据えた議論が必要なのだと思います.

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岩手日報・被災地ニュース
http://bit.ly/ekWJQa

【陸前高田】強く叫んでいれば… 消えぬ自責の念

 小さな亡きがらを抱きしめ、小島幸久さん(39)=陸前高田市高田町=は泣いた。最愛の一人娘、千空(ちひろ)さん(7)、妻紀子さん(38)をはじめ、父も母も全て東日本大震災の大津波に奪われた。消防団員として住民の避難誘導を優先し、家族のそばにいられなかった。「強く避難しろと叫んでいれば」。やり場のない自責の思いに押しつぶされそうになる。
 被災から7日目の17日午後3時すぎ。陸前高田市高田町で、乗用車から複数の遺体が見つかった。消防団員として住民の捜索活動を進めていた小島さんに知らせが入り、現場に向かった。
 自宅から少し離れた場所。物言わぬ千空さん、紀子さん、父捷二さん(69)、母キミさん(62)がいた。近所の2人も一緒だった。
 眠っているようにも見えた。目を覚ましてほしい。妻子を抱きかかえたが、全身の力が抜けていった。
 高田小1年の千空さんは明るくて負けず嫌い。ダンスが上手で、水泳や生け花も習っていた。「思い出して眠れない」。愛らしい笑顔はもう戻らない。
 11日午後2時46分。電気店を経営する小島さんは、自宅から少し離れた住宅新築現場で作業中に大きな揺れを感じ、その場を飛び出した。
 津波警報のサイレンが鳴る。消防団活動の準備のためにいったん、自宅に戻った。「2階のテレビは守ったよ」と紀子さん。
 「靴下取って」
 小島さんはぬれた靴下を交換し、すぐに消防団の持ち場に向かった。紀子さんとの最後の会話になった。
 避難所での対応に追われたその夜、家族の消息がつかめなかった。知人からも「見てないぞ」と情報がない。津波に流される自宅は高台から見ていた。まさか。不安に駆られたが、無事を信じて捜索活動に没頭した。
 「避難しろ」とは言わなかった。自宅は海岸から約1キロ離れ、裏手はすぐ高台。「ここまで津波が来るなんて…」と自分を責めた。
 「近所の一人暮らしのお年寄りも心配で、一緒に乗せたんだろう。もう少し早く家を出ていれば。もう少し、津波が遅ければ。俺がもっと強く避難しろと言えば助かったかもしれない」とうつむく。
 小島さんは、大震災から連日、消防団としての責務を果たしている。24日も捜索活動と遺体収容に取り組んだ。「仲間がいるから壊れないでいられる」。はんてん姿の男たちが支え合っている。

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