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2011年4月30日 (土)

現地踏査写真・陸前高田市小友町付近

岩手県陸前高田市小友町付近の写真.2011/04/26撮影分. http://goo.gl/X45fM

陸前高田市小友町(おともちょう).奥が広田半島.写真中央の地峡(低地)を津波が突き抜け,広田半島は一時的に「島」になった. http://t.co/ZFDgbyW

陸前高田市高田町,小友町付近の津波浸水想定区域図(岩手県作成).明治三陸津波の時も広田半島は「島」となったが,1960年チリ地震津波の時はそこまでは到達しなかった. http://twitpic.com/4rc5ke

大船渡線踏切.この付近が小友地区の地峡部の最も高所だが,明らかに津波が到達している. http://t.co/MszSoO7

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現地踏査写真・大船渡市大船渡町付近

岩手県大船渡市大船渡町付近の写真.2011/04/26撮影分. http://goo.gl/PEMsn

大船渡小学校.校庭には津波到達の痕跡があり,1階ドアの一部が損壊して板でふさがれているが,建物に大きな損壊はない.既に授業が再開されているようだ. http://t.co/xN8lBzQ

大船渡小は指定避難場所.標高約10mでぎりぎり津波浸水想定域外..ここでは児童や避難した住民らが,津波が迫ることを察知してさらに高所へ避難したと報じられている.校門のすぐ前にもより高所に至る道がある. http://t.co/pUWvLfF

大船渡市中心部付近の津波浸水想定区域図(岩手県作成).「X」は大船渡小学校. http://twitpic.com/4rc2mb

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現地踏査写真・陸前高田市

陸前高田市役所仮庁舎の一部.災害に伴うプレハブ仮庁舎というのは少なくとも私の知る限りここ20年ほどの日本の災害では例がない. http://t.co/cwO5H1x

 陸前高田市竹駒のガソリンスタンド.建物全体が津波に飲まれ激しく損壊しているが,営業再開している. http://t.co/wO4s5jG

陸前高田市気仙町長部・双六(すごろく)地区.気仙町は今泉,長部の2地区に大別される.ほとんどが平地の今泉に対して長部は起伏があり被害を受けた地区と受けていない地区の差が大きい. http://t.co/CIc24l9

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現地踏査写真・南三陸町志津川地区

宮城県南三陸町志津川付近の写真.2011/04/24撮影分. http://goo.gl/x5JDt

宮城県本吉郡南三陸町志津川小森付近.川は八幡川.この付近から下流側に津波の痕跡が見られる.河口からの距離は約3.0km,標高約20m. http://t.co/ITS1b0C

南三陸町役場前にあった1960年チリ津波の浸水深を示す看板.今回の災害以前に見れば,「津波防災先進地」の象徴的な光景と感じただろう. http://t.co/Spq2V26

このコンクリート床面は南三陸町役場本庁舎の跡.根こそぎ流失したと思われる.右手が防災対策庁舎の残骸. http://t.co/cam5J2D
posted at 11:40:02

被災前後の空中写真比較で見る南三陸町役場付近.建物のほとんどが流失だが,八幡川の橋は写真内3箇所中1箇所の流失にとどまる.いずれも比較的低い橋.開水路の流速は表面のやや下が最も速いから,低い箇所には相対的に流体力が加わりにくかっ http://twitpic.com/4r8ehi

低いと言ってもこれらの橋は水面から2-3mはある.この高さが「相対的に低い箇所」と見なされるということは,今回の津波の高さがいかに大きかったかと言うことも物語る.

志津川地区に残った集合住宅.津波避難ビルに指定され,建物にも看板の表記があった. http://goo.gl/fHoZ8 http://goo.gl/1O1Zu

志津川港に面した場所にある松原公園.ここには蒸気機関車(C58 16)が静態保存されていた.左下が保存用のレール.右後方に転倒してハラを見せているC58 16がある. http://t.co/BjTwFrl

南三陸町志津川汐見町,松原公園付近の被災前後の空中写真.体育館が流失.公園内の樹木はすべて流失.保存されていた蒸気機関車(黒く細長いもの)が北西方向に流されている. http://twitpic.com/4r8q9n

松原公園内の体育館脇にあった建物.鉄筋コンクリート3階建てだったと思われるが,3階部分が崩壊している.2階までが耐震補強されているので,建設年代はやや古かったのかも知れない. http://t.co/iSgDST4

被災前後の空中写真比較.JR気仙沼線志津川駅付近. http://twitpic.com/4r8sr1

JR気仙沼線志津川駅付近. http://t.co/ZBZZp6z 駅舎,ホーム,上屋,レールなどすべての構造物が流失している.写真手前側では路盤の築堤も流失.被災前後の写真→ http://t.co/HMdMMgH

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現地踏査写真・石巻市大川小学校付近

大川小学校付近.2011/04/24撮影分.
http://goo.gl/ykroy

石巻市釜谷,北上川放水路沿い.中央付近で右手からの尾根が川に接している付近の海側(写真奥側)が大川小学校付近. http://t.co/RGcJZlr

大川中学校付近.中学校の建物はほとんど損壊しておらず,周囲の家もこの付近では流失は見られない.ただし,津波は侵入しており,水田は冠水したままの状態. http://t.co/11ZqNZK

大川小学校付近.河口側を見る.地形図で見ると地形的な感覚では「海の近く」になるが,確かに「海」はここからは見えない. http://t.co/6pVByBY

小学校の児童の遭難も悲惨だが,大川小学校のある釜谷地区は,小学校と診療所が建物としての形を残しているだけで,他の建物はすべて流失している.地図を見ると,この道の両側に集落が存在していたはず. http://t.co/keU41a1

大川小学校を東側から見る.校舎裏側(南側)には崩壊地復旧工事と思われる人工斜面が見られる. http://t.co/XVnRm6s

大川小学校の体育館と思われる建物の残存部.鉄製の引き戸がめくれ上がった状態になっている.鉄筋コンクリートの壁の損壊もすさまじい. http://t.co/o10y83o

体育館と校舎はコンクリートの橋でつながれていたようだが,橋の部分は写真奥側に倒れている. http://t.co/ivQZg2k

大川小学校裏側の法面工事をした人工斜面.最下部は落石防護擁壁になっている.災害前にこの場所に容易に上がれる状態だったかどうかは不明. http://t.co/7PjL3pJ

斜面の途中には4箇所このような小段があり,コンクリートで覆われている.通路というわけではなく,雨による浸食を防いで左側の側溝に水をあつめることが目的と思われる. http://t.co/cs34ang

被災前後の空中写真比較(防災科研)による大川小学校の拡大写真.右下の体育館が全くなくなっていること,周囲の家並みも完全に流失していることがわかる. http://twitpic.com/4qztx4

大川小学校正門前から西方(上流側)を見る.右手後方が新北上大橋.この付近を目指して避難が行われた模様. http://t.co/xDAFrIg

校舎裏側の遡上痕跡は道路面上約6.5m,小段の高さは道路面上約9.5mで,ぎりぎり冠水していない. http://t.co/2evoBbl

大川小学校は,鉄筋コンクリートの構造物が損壊,流失するなど校舎そのものの損壊状況がものすごいことも衝撃的.裏山(人工的な斜面&林床の草の少ない森)が確かにあるのだが,これらがとっさの判断で逃げ道になりえたか,かなり難しいと感じた.

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現地踏査写真・名取市閖上

宮城県名取市閖上付近の写真.2011/04/24撮影分.
http://goo.gl/Q5RW1

名取市閖上.日和山富士主姫神社の参道
http://t.co/sfWC50w
階段両側の手すりは根こそぎ流失.中央付近の階段両側には鳥居の根本だけが残っている.地震による倒壊か,津波による流失かは不明.
http://t.co/M0PRyCf
に災害前の写真がある.

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2011年4月21日 (木)

「岩手県沿岸部の現地踏査報告」概要(A4で1ページ)を公開

先週4月16日に行われた,しずおか防災地域連携 ふじのくに防災学講座「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震現地調査緊急報告会」で話題提供した,「岩手県沿岸部の現地踏査報告」の概要(A4で1ページ)を公開しました.

http://disaster-i.net/notes/20110416_ushiyama.pdf

主なスライドは下記にも上げてあります.

まず,今回の震災による人的被害の規模を比較.日本における近代以降2番目の人的被害になってしまった.
http://twitpic.com/4lcjol

これはブログでもあげた,学校の児童生徒の被害に関する対比を少しまとめたもの.
http://twitpic.com/4lck7i

「津波の高さ」と「遡上高」が意味が違うことを強調.38mまで到達といっても,38mの波の壁が来るわけではありません.数mの津波でもより高い所に行くことに注意してください.
http://twitpic.com/4lckv3

津波は,避難などの,個人や地域の取り組みが人的被害に直結する災害です.地震の避難訓練で人的被害が減るとは思えませんが津波は違います.「津波の高さ」よりも「遡上高」が高くなりやすいのは,三陸のように海の近くに斜面が迫っているような地形のところです.平野が広く広がっているところではこのようなことは起きにくいです.今回も,仙台平野では何十mもの遡上高はみられていません.
http://twitpic.com/4lclkk

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2011年4月14日 (木)

朝日記事を参考に,大川小と大槌小・田老第一小を対比

4/10付朝日新聞
「点呼終え高台へ。その児童の列を、水の塊が襲った」

上記記事に,石巻市大川小学校,大槌町大槌小学校,宮古市田老第一小学校での児童らの遭難状況が書かれています.

大槌小,田老第一小では,地震後に保護者が向かえに来て帰宅しようとした(相対的に少数の)児童のみが遭難しています.田老第一小では教職員が連れ帰ろうとする保護者をとどめようとする努力もなされたと読み取れます.

一方,大川小では全く正反対に,保護者とともに学校を離れた児童の方が主に助かっています.これは不思議なことではなく,もともとの学校の立地条件の問題で,大槌小・田老第一小は比較的高所にあり,大川小は低所にあったことが効いていると思われます.この記事に限りませんが,メディア上では,津波の危険性を「海岸からの距離」で象徴させようとしているように感じられます.距離も関係ないわけではないですが,標高の方が重要です.大槌小学校は標高約10m(よりやや高),田老第一小学校も標高約10m(よりやや高),大川小学校は約2m.

なお,田老第一小学校は,空中写真では津波が到達したようには見えません(プールがきれいなまま).大槌小学校は校庭に明らかな遡上痕跡が見られます.

大槌小学校も,田老第一小学校も,裏山というか,より高所に逃れることができそうな道がありました.ただし,実際にこれらの地図上に見える道を使って逃れたかどうかはわかりません.
http://goo.gl/maps/rVCj
http://goo.gl/maps/FoUI

一方,大川小学校には裏山はありますが,そこへ上るための有力な道はありません.
http://goo.gl/maps/QKSu

「児童引き渡し」という対応自体の是非が問題ではなくて,「起点」となる学校の,様々な災害に対する危険性を踏まえて対応することが重要と思います.とにかく,災害(えてして地震しか意識していない)時には一律にこうすべし,というマニュアルを欲しがることが問題だと思います.

記事本文から,まず,大川小学校の状況
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 学校にいた教員で唯一、生還した男性教諭は、9日夜の保護者向け説明会で初めて口を開いた。津波直前の学校の様子を知る人は、この教諭と、児童を迎えに行った保護者らだけだ。
 先生たちはまず、校庭で全児童の無事を確認したが、パニックで泣きじゃくる子、雪の中を裸足で逃げて寒がっている子もいた。走り回る低学年の子も。津波警報を知り、男性教諭が校内を見て回ったが、裏山には倒木が多かった。校庭に戻ると、先生たちと児童らは、山側の出入り口を抜けて堤防の高いところへ避難しようとしていた。突然、激しい突風に続いて大きな音が聞こえた。津波が道路に沿って迫ってくる。そして――。
<中略>
 108人の在籍児童のうち、死者は64人、行方不明は10人(9日現在)。約7割が犠牲になったとみられる。助かった34人の多くは、親が車で連れ出したケースだった。9日夜の説明会では子を失った親から、「地震から津波までなにやってんだけ」「子ども返してけろ」「天災ですか、人災ですか」と、怒号や悲鳴が飛んだという。
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大槌小学校の状況
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 職員室で突然、棚から書類が落ちてきた。小野寺美恵子校長は、全校に避難を呼びかけようと校内放送のスイッチを入れた。だが、電源が入らない。激しい揺れで、立っているのが難しい。「落ち着いてっ」。教室まで届くはずもないのに、思わず声を上げた。
 「とにかく子どもを外に出そう」。小野寺校長は居合わせた事務員、女性教諭と3人で、各教室を手分けして回ることに決めた。教室の扉を順番に開き、「外に避難して」と叫んだ。
 姫さんがいた2年2組の教室では、ランドセルを背負ったまま、誰もが机の下にもぐっていた。ある男の子(8)は、教室に響く泣き声を聞いた。
 揺れが落ち着くと校庭に集まり、点呼を受けた。全員無事だった。周りには、すでに保護者の姿もあった。迎えに来た母親に泣きつく子どもたちも。
 「大津波警報が出ています。すぐに高台に上がって下さい」と、小野寺校長は声をかけた。いつもの避難訓練のようで結構みんな落ち着いている、と母親の1人(34)は思った。
 学校の裏手には山があり、5分も歩けば高台に出られる。だが、姫さんは、迎えに来た母の亜由美さん(44)と車で学校を出た。
 結局、30人ほどが保護者に預けられ、残った子どもたちは教職員とともに学校の裏手の高台へ向かった。時計はすでに午後3時を回っていた。
<中略>
 大槌小学校の姫さんは3月30日、小学校から100メートルほどの所にある蔵の中から、遺体で見つかった。弟の上君も同校の校庭のがれきの下で、その1週間ほど前に見つかった。
 同校の児童は高台に逃れ、ほとんどが無事だったが、5年生と4年生の2人の安否がわからない。やはり母親が迎えに来て連れ帰った子どもだった。小野寺校長は「親が迎えに来ても、強引に避難させればよかったのかもしれない」と涙をこらえる。あの時、校庭で自分はどんな判断をすべきだったのか。今も答えは出ない。「この気持ちは一生ひきずっていく」
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田老第一小学校の状況
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 大槌小学校から北に約40キロ、宮古市の田老第一小学校は、海岸線から500メートル弱の場所に位置する。大きな揺れに襲われたのは、やはり下校を始めようとしていたところだった。
 「戻りなさーい」
 木村茂樹副校長らは、すでに校門を出ていた子どもたちをつかんで引き戻した。揺れが収まり、校庭に全児童217人を集めていると、保護者が次々と集まってきた。田老漁協の水産加工場に勤める佐々木恵美子さん(53)も、孫の小学1年生、楓太(ふうた)君(7)を自転車で迎えに来ていた。
 木村副校長らは震度すらわからず、ラジオで情報収集を試みる。一方で、保護者たちは子どもを連れ帰ろうとし始めた。「待って下さい。津波の状況も分かりませんから、とどまって下さい」。だが、「道が封鎖されてしまう」「家族がバラバラになる」という親たちの声が次第に広がっていった。
 「早く渡してくれ」。1人の保護者が子どもを連れ出すと、50人ほどが続いた。その間、防災無線は大津波警報を伝え始めた。木村副校長が海の方を見ると、遠くの空に土煙が舞った。防潮堤を津波が越え、町を襲った瞬間だった。誰かが「逃げろ」と叫ぶ。校庭の子どもたちは裏山へと避難した。
<中略>
 恵美子さんの同僚、佐々木アツコさん(54)は、同校から100メートルほどの場所で、自転車を押しながら歩く恵美子さん、楓太君とすれ違った。2人の表情はいつも通り、明るかった。
 津波が地区を襲ったのは、その数分後だった。
 楓太君は地震の3日後、小学校近くのがれきの下で亡きがらとなって見つかった。3月25日には、恵美子さんの遺体も近くで発見された。同校の犠牲者は、楓太君だけだった。

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2011年4月13日 (水)

北上川改修についての訂正

4月9日付け本欄
http://goo.gl/GotiP
で,下記のような記述をしました.
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北上川放水路は1911~1934年に,旧追波川を広げて北上川本川としたもので,今のような幅広い水域を持った川になってからの歴史は浅いところです.放水路となる前の地形のままだったとしても今回の津波は大川小学校周辺(釜谷地区)まで到達しただろうとは思いますが,現在よりは津波の入りにくい場所だったとは言えそうです.いわば釜谷地区は「80年ほど前から海が近くに来た場所」とも言えます.昭和三陸津波の頃(1933)は,この場所は今よりは小さな川の脇にある地区で,海からはある程度の距離がありました.地域として津波に対する認識が歴史的に定着していなかったのかも知れません.
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しかし,その後ご指摘をいただき確認したところ,追波川を拡幅したことは確かであるものの,もともとそれほど小さな川というわけではなく,「80年ほど前から海が近くに来た場所」とまでは言えそうにないことがわかりました.

国交省北上川下流事務所のサイトに関連資料があります.
http://goo.gl/zexpx
http://goo.gl/Y0H2R (PDF)

上記PDF資料の7ページに改修工事の竣工図があり,旧河道の位置が書き重ねられています.上記の私の認識は適切ではなかったと思われますので,撤回いたします.

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2011年4月12日 (火)

4/11 1716の余震による土砂災害で犠牲者発生の「まれ」さ

女性の遺体、新たに発見=余震土砂崩れ、死者3人に―福島 (時事通信) - Yahoo!ニュース
http://bit.ly/fZHRnO

昨日1716の地震でいわき市で土砂災害による犠牲者が出ました.地震起因の土砂災害で犠牲者が出たのは,3/11の地震の前のここ20年では,2008年岩手・宮城内陸地震,2004年新潟県中越地震,1995年兵庫県南部地震,1993年北海道南西沖地震くらいで,かなりまれなことです.

2008年岩手・宮城内陸地震の土砂災害起因犠牲者は,温泉旅館での遭難者はいますが,一般の住家での犠牲者は出ていません.岩手・宮城内陸地震の際の温泉旅館(駒ノ湯)での遭難者は7名,そのうち経営者家族2名,従業員3名,宿泊客2名です.この地震の際には23名が遭難し,うち2名以外はすべて土砂災害起因(またはその可能性が高い)の遭難者です.

牛山素行・太田好乃,2009:平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震による死者・行方不明者の特徴,自然災害科学,Vol.28, No.1, pp.59-66.
http://goo.gl/lX06S

2004年新潟県中越地震の土砂災害犠牲者は6名,うち住家での遭難は4名です.これより前となると,1995年兵庫県南部地震まで地震土砂災害の犠牲者はいなかったかと思います.地震起因の土砂災害で3名の犠牲者が出ることが,いかに「大きな」ことかがわかります.

しかし,今は「地震起因の土砂災害で3名死亡」が「大きい」と感じにくい状況です.もともと「大きな被害」とか「深刻な被害」という言葉が極めて曖昧なものではあるのですが,それにしても,今は異常な状況下にあることを認識させられます.

RT @Dr_Koshi: 今回の土砂災害は雨とは関係ないのでしょうか?ちょうど直前福島県等々の高速道路を通っていたのですが、局地的には非常に強い雨が降っていました。いわき市で降っていたかどうかは定かではないですが。@disaster_i

@Dr_Koshi 「この崩壊は雨があったから」という因果関係を明確に結論づけることは極めて困難です.定性的には雨が降った後なので崩壊しやすかったという可能性はあります.

@Dr_Koshi また,今回の事例はたまたま土砂起因の犠牲者が出たので目立っていますが,地震起因の土砂災害そのものは多数発生している事にも注意が必要です.

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2011年4月11日 (月)

岩手県沿岸部の小中学校立地条件の続報

4月6日付け本欄の,

岩手県内で小中学生の犠牲者が相対的に少なかったこと
http://goo.gl/HdTu1

の記事の中で,岩手県内の小中学校はもともと相対的に高所にあル事を指摘しました.言わんとするところは,結果的に津波に見舞われたケースもあるが,避難開始の時点で既にある程度の高所にあるので,「高さ」を稼げたのではないか,ということです.

この記事の中で,一定の方法で調べたところ,岩手県宮古市・釜石市・大船渡市・陸前高田市に存在した全小学校・中学校77校のうち浸水想定区域内に校舎があると判断されたのは7校(うち1校は精査すると範囲外)であると述べました.これについて,具体的にどこか,という問い合わせを受けましたので,被災後の状況と合わせて調べてみました.結果は下記の通り.

●唐丹小学校 釜石市唐丹町字片岸32-1
・[3/25読売]では死者不明者なし
・筆者は4/1に校舎付近を通過.校舎全体が津波に襲われた形跡あり(不確実).

●綾里小学校 大船渡市三陸町綾里字平館21
・複数の報道有り.予定より高所に避難し,全員無事とのこと.
・東日本大震災:あきらめず、防災伝えたい 元校長の創作劇--
岩手・大船渡 [毎日新聞社 2011年3月19日(土)] 
http://bit.ly/eXdmLi
・筆者は災害後の現地未踏査

●越喜来小学校 大船渡市三陸町越喜来字沖田35
・複数の報道有り.たとえば→子供救った三陸の知恵[3/28読売]
・昨年10月に完成した避難用スロープが迅速な避難に役だった.
全員無事
・筆者は災害後の現地未踏査

●田老第一小学校    宮古市田老字館が森155-2
・1名死亡[3/25読売]
・現在,避難所としてつかわれている.
・空中写真では校庭への津波到達はない模様.
・筆者が3/30に近くまで行って見たところでは校舎への大きな被害はなさそう.

●気仙中学校 陸前高田市気仙町字小渕77-1
・筆者が3/29現地踏査.地元関係者からのお話.年2回の避難訓練.訓練通りに高台へ避難し,全員無事.
・校舎は3階まで完全に津波に襲われ,体育館はほぼ流失.校庭脇
の堤防は決壊.

●広田中学校 陸前高田市広田町字天王前64-1
・実際には地形的に浸水想定区域外
・[3/25読売]では死者不明者なし

●田老第一中学校    宮古市田老字館が森3
・[3/25読売]では死者不明者なし
・3/30現地踏査.校庭は津波による土砂に覆われている.校舎は1
階が床上浸水.窓ガラスの損壊はないように見えた(不確実).

「津波浸水想定区域内」7校のうち,実際に非常に危険な状況だったのは,唐丹小,綾里小,越喜来小,気仙中だと思います.唐丹小は不明ですが,他はいずれも迅速な避難に成功したことがすでに明らかになっています.

今回は,岩手県の「津波浸水想定区域外」でも津波に見舞われた学校があります.既に報じられているところでは,大船渡市大船渡小学校,陸前高田市気仙小学校など.この2校は児童教職員は全員無事でしたが,気仙小学校では避難してきていた住民の中に犠牲者がかなり出ているようです.

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検証・大震災:専門家が見て、感じた現実 今村・東北大教授/牛山・静岡大准教授

4月10日付毎日新聞(全国朝刊)に,今村先生と私のコメントが並んで掲載となりました.

検証・大震災:専門家が見て、感じた現実 今村・東北大教授/牛山・静岡大准教授
http://goo.gl/RHPpT

私の「 」内コメント,文字にすると何とも緊張感がない感じですが,確かにこんな言葉を口にしました.何か言葉を出していないとやりきれない感じで.

「想定外」という言葉を私はあまり使いたくありません.「あり得ないことが起こった」という印象を与えるからです.「あり得るけど防災計画の中では想定していなかったことが起こった」が正しいと思います.

防災対策にはハードとソフトがあり,それらは両輪となって防災計画を構成します.ハード構造物には必ず「計画外力」があり,それを無制限に大きくすることはできなません.だからといってハードが無駄なわけではなく,計画超過外力にどう備えるか,ソフト対策とどう組み合わせるかという議論が必要,ということを強調しなければなりません.

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検証・大震災:専門家が見て、感じた現実 今村・東北大教授/牛山・静岡大准教授
[2011/4/10毎日新聞]

 「認識が甘かった」「想定を超えたときの対応を考えていなかった」--。東日本大震災は、これまでの地震や津波に対する考え方を覆し、防災対策の抜本的な見直しを迫っている。地震が発生した3月11日、専門家は何を感じたのか。その後、被災地に何を見たのか。

<中略>

 ◇「想定以上」常に意識を--陸前高田で防災教育、牛山素行・静岡大准教授

 視界を遮る建物がほとんどない。がれきと乾いた泥が広がる。津波で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市(人口約2万3000人)。死者・行方不明者は県内の市町村の中で最多の約2400人に上る。

 「うわあ、こんなふうに。そこにコンビニが、あっちに橋があったはずだが」

 地震発生から3週間後の今月1日。勝手知ったる街の変貌ぶりに、牛山素行・静岡大准教授(42)はほとんど言葉にならない声を上げた。

 1960年のチリ地震津波の後に造られた高さ約5メートルの防波堤は跡形もない。沿岸から約1・5キロにわたって広がる平地のほとんどが津波にのみ込まれていた。牛山さんは07年から市民向けの防災教育を始め、毎年2~3回、同市を訪ねてきた。県は過去の津波被害や近い将来起こるとされていた宮城県沖地震に基づき、想定される浸水域を示していた。だが、今回は最悪のケースを大きく上回った。斜面をはい上がった津波の高さ(遡上(そじょう)高)は20メートル以上という。

 浸水の恐れがある低地の場所や避難場所を助言してきた市内の気仙町に入った。約500戸あった家屋はほぼ全滅していた。海抜約10メートルにある市の指定避難場所の気仙小を見て、立ちつくした。最上階の3階の窓ガラスが割れ、津波に襲われていたことを物語る。「住民には2階以上に逃げれば大丈夫だろうと伝えていたが、甘かった」と肩を落とした。

 今回、指定避難場所に逃げた後、そこも危険と判断し再避難したかどうかで生死が分かれた例が各地で伝えられている。

 「自治体が避難場所を見直すのは当然だが、住民も想定以上の事態が起こることを常に意識し、状況に応じて行動を判断することが重要だ。多くの犠牲を無駄にしないために、研究者も徹底的に調査し、有効な対策を提案していかなければならない」

 自然の力に圧倒され、無力感にさいなまれているが、今後も陸前高田市に足を運ぶ決意だ。【福永方人】

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2011年4月 9日 (土)

4/16静岡で「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震現地調査緊急報告会」

4月16日に,静岡県地震防災センターにて,しずおか防災地域連携 ふじのくに防災学講座「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震現地調査緊急報告会」が開催されます.

http://goo.gl/GWewN

話題提供者は調整中となっていますが,下記で決定しました.

  < 講     師 >
(1)「東日本大震災を起こした地震とその影響」
 小山 真人  静岡大学教育学部教授 防災総合センター副センター長
(2)「静岡県の支援活動」
 岩田 孝仁  静岡県危機管理部 危機報道監
(3)「岩手県沿岸部の現地踏査報告」
 牛山 素行 静岡大学防災総合センター 副センター長・准教授

 < 講座概要 >
平成23年3月11日に発生した「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」は、死者・行方不明者が2万人(3月25日現在)を超え、今まで日本が経験したことのない大規模な津波により、甚大な被害を及ぼし、未だに余震が続いている状況です。今回、被災地にいち早く駆けつけ、現地調査を実施した県内大学の防災研究者、県防災担当者が調査した内容についての緊急報告会です。

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石巻市・大川小学校の遭難についての続報

先に,

「地震→校庭に避難→点呼」という訓練は見直そう
http://goo.gl/tgAaD

として,石巻市立大川小学校 での児童らの遭難についてのコメントを書きましたが,続報が報じられ,少し状況が私の認識と違っていたらしいことがわかりました.

石巻・大川小の悲劇、被災時の詳細明らかに (読売新聞) - Yahoo!ニュース
http://bit.ly/hSewcs

長いので,全文再掲はしませんが,注目される要点としては下記です.

  • 大川小の児童は56人が死亡、18人が行方不明。また教諭については当時、校内にいた11人のうち9人が死亡、1人が行方不明
  • 地震直後,児童は校舎から校庭に移動.校舎は窓ガラスが割れるなどの被害があった.
  • 大津波警報は覚知した模様.防災無線で避難の呼びかけが1回だけあった.
  • 15時10分過ぎ,児童は学校の200m西側の新北上大橋へ避難しようと歩き始めた.予定されていた行動ではなく,その場での教諭らによる判断らしい.その直後,津波が到達し堤防を越流.
  • 列の後方にいた教諭と数人の児童は向きを変えて裏山を駆け上がるなどし、一部は助かった。

大川小学校では,津波に対する避難行動をとっていなかったわけではないことがわかりました.先の私の指摘は一部不適切だったようです.

今回の津波の規模があまりに大きかったことが,この遭難の主たる要員であることは間違いなく,この学校での行動が不適切だったなどとは思いません.大川小学校周辺には山が迫っているのですが,山に登る有力な道が無く,学校の位置よりは高そうな新北上大橋付近を目指したことは,「次善の策」としてはやむを得ない面があったと思います.

大川小学校周辺の被災前後の空中写真
http://twitpic.com/4ilnt9

しかしながら,あくまでも結果論ですが,次善の策としても,このような行動を取らざるを得なかったことが残念でなりません.確かに大川小学校は津波浸水想定区域の範囲外にあります.

大川小学校周辺の津波浸水予測図.約2.5MB
http://twitpic.com/4ilob9

しかし,ほんとうにぎりぎりの範囲外で,位置的には北上川放水路のすぐ脇,河口から4km,標高2m程度と,津波災害に対してけっして「安全」とまでは言いかねる立地でした.ましてや,すぐ裏に山があり,逃げ道を作ろうと思えば作れないわけではないような所です.山に登ることができれば,リードタイムは20分程度はあったので,児童の7割もが遭難するようなことにはならなかった可能性がありそうです.

岩手県,あるいは宮城県でも志津川(南三陸町)以北あたりであれば,同様な地形条件の所では,過去のどこかの時点で山に登る「津波避難路」が作られているのが一般的だと思います.無論,その「避難路」は単なる山道であったり,日常的に整備されていなかったりはするかも知れませんが.

北上川放水路は1911~1934年に,旧追波川を広げて北上川本川としたもので,今のような幅広い水域を持った川になってからの歴史は浅いところです.放水路となる前の地形のままだったとしても今回の津波は大川小学校周辺(釜谷地区)まで到達しただろうとは思いますが,現在よりは津波の入りにくい場所だったとは言えそうです.いわば釜谷地区は「80年ほど前から海が近くに来た場所」とも言えます.昭和三陸津波の頃(1933)は,この場所は今よりは小さな川の脇にある地区で,海からはある程度の距離がありました.地域として津波に対する認識が歴史的に定着していなかったのかも知れません.

遭難した人や,遭難者を多く出した地域の行動を批判がましく論評するのは嫌なことです.しかし,そういった作業を私はこれから積み重ねていかねばならないと思っています.

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震災後,私はメディアで何を語ってきたか

3/11の地震後に,牛山のコメントが掲載された記事のリストです.自分が何を語ってきたかを見直す意味で.

「評論家」になりたくないとは思いつつも,「当事者」でなく,「災害の研究者」である以上は,適切な「評論家」である事がむしろ使命なのかとも思ったりしますが,よくわかりません.

ところで,よく誤解されるのですが,新聞等に掲載される「コメント」は,その人が口にした言葉がそのまま掲載されているものではありません.本来のコメント内容と全く異なる趣旨の内容に変更されている場合もあります.記事は発言者のものではなく,報道する側の著作物ですので,発言者の意図と違う内容が掲載されること自体は構造的にやむを得ないものと思います.あまりにも違っている場合は,私はブログ等でその旨のコメントを出します.今回の一連の記事の中では,特に訂正したい程まで違っているものはありませんが.

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東日本大震災 大津波備え限界 1000年に1度…何ができる 

高台移住究極の手段 大船渡 吉浜地区 歴史に学び、住民守る,東京新聞,2011年3月15日

東日本大震災 9200人、依然孤立 全容の把握進まず,毎日新聞(全国),2011年3月16日
http://goo.gl/ZROcY

津波、三陸海岸で15m超す…国内最大級か,読売新聞,2011年3月18日
http://goo.gl/PmCQF

津波で浸水 山手線内側の6.4倍 海岸から十数キロ地点も,読売新聞(全国),2011年3月19日
http://goo.gl/kD8FU

大震災 現場から~本社取材班=「高所移転」集落救う 岩手・大船渡、明治の大津波教訓 沼津でも一時期検討,静岡新聞,2011年3月20日

東日本大震災:津波、宮城・北上川15キロ遡上 国土地理院が浸水地図,毎日新聞(全国),2011年3月24日
http://goo.gl/7CUsx

東日本大震災/防災計画「過小と言えぬ」/静岡大防災総合センター副センタ,河北新報,2011年3月24日

<東日本大震災>指定避難所に津波 死者・不明100人超す,毎日新聞(全国),2011年3月29日
http://goo.gl/Q96q6

35避難所 津波浸水 東日本大震災 県内6市町村 行政予測上回る 対策再構築が課題,岩手日報,2011年4月4日

東日本大震災 苦悩の内陸避難 想定9500人、移動1割,毎日新聞(全国朝刊),2011年4月4日
http://goo.gl/rUbeB

住民が使う施設優先 遅れた庁舎耐震化 茨城8市町、倒壊危機 岩手・遠野 市役所だけが全壊,中日新聞,2011年4月4日

東日本大震災 祖先の教訓、集落救った 高台移転で無傷,毎日新聞(全国朝刊),2011年4月5日
http://goo.gl/z3ESw

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2011年4月 8日 (金)

現地踏査写真・続き

大船渡市三陸町吉浜.
http://goo.gl/1iNWh
ここは明治三陸津波後に集落を高地移転したところ.今回も民家の被害はほとんど無い.

被災前後の吉浜地区の空中写真.左が被災後.津波が到達していることは明瞭に見えるが,集落の姿に特に変化がないことがわかる.高地移転の効果と言っていいだろう.
http://twitpic.com/4i9bs5

陸前高田市気仙町今泉地区,3/29撮影分.
http://goo.gl/dOXnX
三陸で私が一番よく行っている地区.

陸前高田市気仙町今泉地区,4/1撮影分.
http://goo.gl/uE5i5

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2011年4月 7日 (木)

現地踏査写真の整理

3/29-4/1の三陸現地踏査の写真を整理し始めました.すべて位置情報付き.右下に撮影位置図がついています.地図をクリックすると地図が拡大.一部地域では,被災前の写真が地図からリンクされています.まず,陸前高田市高田町付近
http://goo.gl/pASCF

今回,田老,山田,大槌,釜石,陸前高田を主に見ましたが,高田の状況がいろいろな意味で圧倒的です.他の地区は「がれき」があるのですが,高田の一部地区は,建物があったはずなのにがれきすらない.「砂漠」のようでした.陸前高田駅付近→
http://goo.gl/dorwi

宮古市田老地区.二重の防潮堤のうち一列目(海側)がほぼ全壊しています.二列目防潮堤の内側も大きな被害を受けていますが,外側はさらに激しい状況です.
http://goo.gl/BH4e2

山田町中心部付近.個人的感情としては,陸中山田駅が正視できなかったです.
http://goo.gl/ZeXxT

山田町船越付近.田ノ浜の浸水想定区域内にある公民館(?)が避難場所になっていて,避難した人がいたというのは本当なのだろうか.
http://goo.gl/cJSoG

山田町船越・田ノ浜地区付近の津波浸水想定区域図.
http://twitpic.com/4hswv0
「公民館」があったのは図中Xの付近.地形図から読める標高は5m.本当にここを避難場所にしていたのだろうか.
災害後の写真は
http://goo.gl/Dr6E7

大槌町中心部.
http://goo.gl/XktYm
200m以上吹き飛ばされた陸閘の門扉が恐怖を感じさせます.
http://goo.gl/FGPYu
http://goo.gl/I7YDv

釜石市唐丹町本郷地区.
http://goo.gl/Q8kH4

高所移転集落として知られているところ.一部,昨年9月の写真をリンクさせています.

釜石市唐丹町小白浜.
http://goo.gl/8dWqy
道路と一体化した特殊かつ大がかりな防潮堤があった.2010年9月の様子→
http://goo.gl/JKKdH

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2011年4月 6日 (水)

災害現場と「見物人」

4月6日付け毎日新聞より.

これまで私が見た豪雨災害の現場にも,災害直後から多数の「見物人」がいました.「見物人」が災害後3週間ほどはほとんどいなかったこと,「見物人」の存在が公言されたことが今回の特徴と言えるでしょう.

RT @HayakawaYukio: @disaster_i 「「見物人」の存在が公言されたこと」がどんな意味合いを持つと考えましたか?

今回の災害では「現実の災害現場には存在してるけど一般メディアでは語られなかったこと」が一部語られるようになっています.「見物人」もその一例. 「きれいごと」で覆い隠さず,現実的な災害事象についての論議が今までよりできるようになった,という意味合いがあると思います.

実は,3月29日に陸前高田に行ったときに受けたいくつかの衝撃の一つが,「災害現場に見物人が皆無である」ということでした.それだけ超越した災害なんだな,と.でも,災害現場における「機能」で言えば私も見物人みたいなものでありますが.

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<東日本大震災>「見物人」増で車両規制 宮城・亘理町、独自の通行証発行

 ガソリン供給や道路事情の改善で東日本大震災の被災地への交通アクセスが改善されるにつれ、被災地への“見物人”が増え始めている。行方不明者の捜索やがれき撤去の妨げになるケースもあり、宮城県亘理町は被害が大きい地域に入る車両を規制することを決め、町長が発行する通行許可証を5日から被災者に配り始めた。

 県南部の亘理町は震災で死者238人、行方不明54人の被害(4日現在)を受けた。町災害対策本部によると、津波で住宅が流されたり、海岸から離れた場所に漁船が漂着するなど無残な姿の被災地に県外ナンバーの車で乗りつけ、騒ぎながら写真を撮ったりする人が最近になって徐々に目立つようになった。

 先週末には、がれきをよけてようやく1車線分が確保された道路に、こうした車が数珠つなぎになる光景も見られたという。中には県外から駆け付けた被災者の親類などが交じっている可能性もあるが、防犯ボランティアが身元や目的を尋ねると言葉を濁して立ち去る人が多いという。

 町内では自衛隊や他県からの消防応援など計300人以上が行方不明者を捜索しているが、災害対策本部によると「捜索しようとしても、撤去したがれきを運ぶダンプカーが渋滞に巻き込まれてしまう。3分で行ける仮処分場まで30分かかることもある」という。

 そこで独自の通行証3000枚を急きょ作成。避難所などで配布したうえで、被災地に通じる道の主要ポイントでチェックすることにした。

 担当者は「手間は増えるが、一刻も早く一人でも多くのご遺体を見つけ、復興につなげるために理解してほしい」と話す。【丹野恒一、写真も】

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岩手県内で小中学生の犠牲者が相対的に少なかったこと

釜石市内で小中学生のほぼ全員が避難して無事だった事が早くから報道されていました.

釜石市内の小中学生の避難率100%近く ほぼ全員が無事
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110316-00000681-san-soci

その後も,大船渡小学校や越喜来小学校での迅速な避難の話題など,岩手県内では児童・生徒が避難行動によって難を逃れた話がいくつか報じられています.一方,宮城県では石巻大川小学校での集団的な遭難が報じられるなど,「なにか」が違う感じがします.

少し前の数字ですが,3月27日付読売新聞によると,岩手県内の児童生徒の死者は37名,行方不明が68名,宮城県は同140名,832名とのことです.4月6日時点の警察庁資料によると,死者・行方不明者は岩手県8145名,宮城県13912名とのことですから,この数値を用いると,児童生徒の占める割合は岩手が1.3%,宮城が7.0%と,明らかに岩手の方が低くなっています.

ここまで書いて,自分の感覚が異常になっている事を感じました.「低い」なんて言っても,岩手の小中学生だけでも100人以上遭難しているのです.全死者・行方不明者が100人の災害が,3/11以前の日本では「巨大災害」でした.

あえて異常な感覚で書き続けます.岩手の方が児童生徒の遭難率が低かった理由は,はっきりとはわかりません.津波に対する意識の違いというものもあった可能性がありますが,岩手では学校の位置が元もと比較的高所にあった点も見逃せないと思います.

2007年に,岩手県宮古市・釜石市・大船渡市・陸前高田市に存在した全小学校・中学校77校を対象に,学校の所在地が津波浸水想定区域内にあるかどうかを調べたことがあります.

太田好乃・牛山素行,2009:地域特性と学校防災教育の関係について,自然災害科学,Vol.28,No.3,pp.249-257.
http://disaster-i.net/notes/2009JSNDS28-3b.pdf

その結果,校舎(校庭を含まない)の半分以上が津波浸水想定区域に含まれている場合を「津波区域内」とすると,区域内に分類されたのは7校のみでした.この調査は,各校に対してその学校が津波災害に対して危険だと思うかを尋ねてもいるのですが,「津波区域内」のほぼ全校が「危険」「やや危険」と回答し,「津波区域外」でも「危険」「やや危険」という回答が4割を占めました.もともと津波に対して相対的に安全な場所に学校が所在し,かつ,それぞれの学校が津波の危険性を的確に認識していたことが伺えます.

宮城県については同様な調査はしていないのですが,特に仙台湾周辺などは,地形的に学校を高所に設置することがそもそも困難で,条件的に厳しかった事は容易に想像できます.

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2011年4月 5日 (火)

研究室移転概ね終了

3月28日に研究室の移転作業が行われ,その後三陸の現地調査に行ったこともあり,日常的な業務が取れない状態が続いていましたが,昨日あたりから普通に仕事ができるようになってきました.

新たな居場所は,静岡大学静岡(大谷)キャンパス内の,大学会館という建物の1階です.

交通案内
http://www.shizuoka.ac.jp/access/index.html
キャンパスマップ(上記ページ内からもリンク有り)
http://www.shizuoka.ac.jp/access/images/shizuoka_campus.gif

環境が変わったので,気持ちも新たにがんばりたいと思います.

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