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2011年4月14日 (木)

朝日記事を参考に,大川小と大槌小・田老第一小を対比

4/10付朝日新聞
「点呼終え高台へ。その児童の列を、水の塊が襲った」

上記記事に,石巻市大川小学校,大槌町大槌小学校,宮古市田老第一小学校での児童らの遭難状況が書かれています.

大槌小,田老第一小では,地震後に保護者が向かえに来て帰宅しようとした(相対的に少数の)児童のみが遭難しています.田老第一小では教職員が連れ帰ろうとする保護者をとどめようとする努力もなされたと読み取れます.

一方,大川小では全く正反対に,保護者とともに学校を離れた児童の方が主に助かっています.これは不思議なことではなく,もともとの学校の立地条件の問題で,大槌小・田老第一小は比較的高所にあり,大川小は低所にあったことが効いていると思われます.この記事に限りませんが,メディア上では,津波の危険性を「海岸からの距離」で象徴させようとしているように感じられます.距離も関係ないわけではないですが,標高の方が重要です.大槌小学校は標高約10m(よりやや高),田老第一小学校も標高約10m(よりやや高),大川小学校は約2m.

なお,田老第一小学校は,空中写真では津波が到達したようには見えません(プールがきれいなまま).大槌小学校は校庭に明らかな遡上痕跡が見られます.

大槌小学校も,田老第一小学校も,裏山というか,より高所に逃れることができそうな道がありました.ただし,実際にこれらの地図上に見える道を使って逃れたかどうかはわかりません.
http://goo.gl/maps/rVCj
http://goo.gl/maps/FoUI

一方,大川小学校には裏山はありますが,そこへ上るための有力な道はありません.
http://goo.gl/maps/QKSu

「児童引き渡し」という対応自体の是非が問題ではなくて,「起点」となる学校の,様々な災害に対する危険性を踏まえて対応することが重要と思います.とにかく,災害(えてして地震しか意識していない)時には一律にこうすべし,というマニュアルを欲しがることが問題だと思います.

記事本文から,まず,大川小学校の状況
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 学校にいた教員で唯一、生還した男性教諭は、9日夜の保護者向け説明会で初めて口を開いた。津波直前の学校の様子を知る人は、この教諭と、児童を迎えに行った保護者らだけだ。
 先生たちはまず、校庭で全児童の無事を確認したが、パニックで泣きじゃくる子、雪の中を裸足で逃げて寒がっている子もいた。走り回る低学年の子も。津波警報を知り、男性教諭が校内を見て回ったが、裏山には倒木が多かった。校庭に戻ると、先生たちと児童らは、山側の出入り口を抜けて堤防の高いところへ避難しようとしていた。突然、激しい突風に続いて大きな音が聞こえた。津波が道路に沿って迫ってくる。そして――。
<中略>
 108人の在籍児童のうち、死者は64人、行方不明は10人(9日現在)。約7割が犠牲になったとみられる。助かった34人の多くは、親が車で連れ出したケースだった。9日夜の説明会では子を失った親から、「地震から津波までなにやってんだけ」「子ども返してけろ」「天災ですか、人災ですか」と、怒号や悲鳴が飛んだという。
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大槌小学校の状況
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 職員室で突然、棚から書類が落ちてきた。小野寺美恵子校長は、全校に避難を呼びかけようと校内放送のスイッチを入れた。だが、電源が入らない。激しい揺れで、立っているのが難しい。「落ち着いてっ」。教室まで届くはずもないのに、思わず声を上げた。
 「とにかく子どもを外に出そう」。小野寺校長は居合わせた事務員、女性教諭と3人で、各教室を手分けして回ることに決めた。教室の扉を順番に開き、「外に避難して」と叫んだ。
 姫さんがいた2年2組の教室では、ランドセルを背負ったまま、誰もが机の下にもぐっていた。ある男の子(8)は、教室に響く泣き声を聞いた。
 揺れが落ち着くと校庭に集まり、点呼を受けた。全員無事だった。周りには、すでに保護者の姿もあった。迎えに来た母親に泣きつく子どもたちも。
 「大津波警報が出ています。すぐに高台に上がって下さい」と、小野寺校長は声をかけた。いつもの避難訓練のようで結構みんな落ち着いている、と母親の1人(34)は思った。
 学校の裏手には山があり、5分も歩けば高台に出られる。だが、姫さんは、迎えに来た母の亜由美さん(44)と車で学校を出た。
 結局、30人ほどが保護者に預けられ、残った子どもたちは教職員とともに学校の裏手の高台へ向かった。時計はすでに午後3時を回っていた。
<中略>
 大槌小学校の姫さんは3月30日、小学校から100メートルほどの所にある蔵の中から、遺体で見つかった。弟の上君も同校の校庭のがれきの下で、その1週間ほど前に見つかった。
 同校の児童は高台に逃れ、ほとんどが無事だったが、5年生と4年生の2人の安否がわからない。やはり母親が迎えに来て連れ帰った子どもだった。小野寺校長は「親が迎えに来ても、強引に避難させればよかったのかもしれない」と涙をこらえる。あの時、校庭で自分はどんな判断をすべきだったのか。今も答えは出ない。「この気持ちは一生ひきずっていく」
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田老第一小学校の状況
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 大槌小学校から北に約40キロ、宮古市の田老第一小学校は、海岸線から500メートル弱の場所に位置する。大きな揺れに襲われたのは、やはり下校を始めようとしていたところだった。
 「戻りなさーい」
 木村茂樹副校長らは、すでに校門を出ていた子どもたちをつかんで引き戻した。揺れが収まり、校庭に全児童217人を集めていると、保護者が次々と集まってきた。田老漁協の水産加工場に勤める佐々木恵美子さん(53)も、孫の小学1年生、楓太(ふうた)君(7)を自転車で迎えに来ていた。
 木村副校長らは震度すらわからず、ラジオで情報収集を試みる。一方で、保護者たちは子どもを連れ帰ろうとし始めた。「待って下さい。津波の状況も分かりませんから、とどまって下さい」。だが、「道が封鎖されてしまう」「家族がバラバラになる」という親たちの声が次第に広がっていった。
 「早く渡してくれ」。1人の保護者が子どもを連れ出すと、50人ほどが続いた。その間、防災無線は大津波警報を伝え始めた。木村副校長が海の方を見ると、遠くの空に土煙が舞った。防潮堤を津波が越え、町を襲った瞬間だった。誰かが「逃げろ」と叫ぶ。校庭の子どもたちは裏山へと避難した。
<中略>
 恵美子さんの同僚、佐々木アツコさん(54)は、同校から100メートルほどの場所で、自転車を押しながら歩く恵美子さん、楓太君とすれ違った。2人の表情はいつも通り、明るかった。
 津波が地区を襲ったのは、その数分後だった。
 楓太君は地震の3日後、小学校近くのがれきの下で亡きがらとなって見つかった。3月25日には、恵美子さんの遺体も近くで発見された。同校の犠牲者は、楓太君だけだった。

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