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2011年4月 9日 (土)

石巻市・大川小学校の遭難についての続報

先に,

「地震→校庭に避難→点呼」という訓練は見直そう
http://goo.gl/tgAaD

として,石巻市立大川小学校 での児童らの遭難についてのコメントを書きましたが,続報が報じられ,少し状況が私の認識と違っていたらしいことがわかりました.

石巻・大川小の悲劇、被災時の詳細明らかに (読売新聞) - Yahoo!ニュース
http://bit.ly/hSewcs

長いので,全文再掲はしませんが,注目される要点としては下記です.

  • 大川小の児童は56人が死亡、18人が行方不明。また教諭については当時、校内にいた11人のうち9人が死亡、1人が行方不明
  • 地震直後,児童は校舎から校庭に移動.校舎は窓ガラスが割れるなどの被害があった.
  • 大津波警報は覚知した模様.防災無線で避難の呼びかけが1回だけあった.
  • 15時10分過ぎ,児童は学校の200m西側の新北上大橋へ避難しようと歩き始めた.予定されていた行動ではなく,その場での教諭らによる判断らしい.その直後,津波が到達し堤防を越流.
  • 列の後方にいた教諭と数人の児童は向きを変えて裏山を駆け上がるなどし、一部は助かった。

大川小学校では,津波に対する避難行動をとっていなかったわけではないことがわかりました.先の私の指摘は一部不適切だったようです.

今回の津波の規模があまりに大きかったことが,この遭難の主たる要員であることは間違いなく,この学校での行動が不適切だったなどとは思いません.大川小学校周辺には山が迫っているのですが,山に登る有力な道が無く,学校の位置よりは高そうな新北上大橋付近を目指したことは,「次善の策」としてはやむを得ない面があったと思います.

大川小学校周辺の被災前後の空中写真
http://twitpic.com/4ilnt9

しかしながら,あくまでも結果論ですが,次善の策としても,このような行動を取らざるを得なかったことが残念でなりません.確かに大川小学校は津波浸水想定区域の範囲外にあります.

大川小学校周辺の津波浸水予測図.約2.5MB
http://twitpic.com/4ilob9

しかし,ほんとうにぎりぎりの範囲外で,位置的には北上川放水路のすぐ脇,河口から4km,標高2m程度と,津波災害に対してけっして「安全」とまでは言いかねる立地でした.ましてや,すぐ裏に山があり,逃げ道を作ろうと思えば作れないわけではないような所です.山に登ることができれば,リードタイムは20分程度はあったので,児童の7割もが遭難するようなことにはならなかった可能性がありそうです.

岩手県,あるいは宮城県でも志津川(南三陸町)以北あたりであれば,同様な地形条件の所では,過去のどこかの時点で山に登る「津波避難路」が作られているのが一般的だと思います.無論,その「避難路」は単なる山道であったり,日常的に整備されていなかったりはするかも知れませんが.

北上川放水路は1911~1934年に,旧追波川を広げて北上川本川としたもので,今のような幅広い水域を持った川になってからの歴史は浅いところです.放水路となる前の地形のままだったとしても今回の津波は大川小学校周辺(釜谷地区)まで到達しただろうとは思いますが,現在よりは津波の入りにくい場所だったとは言えそうです.いわば釜谷地区は「80年ほど前から海が近くに来た場所」とも言えます.昭和三陸津波の頃(1933)は,この場所は今よりは小さな川の脇にある地区で,海からはある程度の距離がありました.地域として津波に対する認識が歴史的に定着していなかったのかも知れません.

遭難した人や,遭難者を多く出した地域の行動を批判がましく論評するのは嫌なことです.しかし,そういった作業を私はこれから積み重ねていかねばならないと思っています.

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