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2014年2月27日 (木)

「すべきだ」防災からの卒業-当事者意識で行動を

2月27日付け静岡新聞「時評」欄に掲載された筆者の寄稿記事です.いつにもまして極めて上から目線な論調,と受け止められることでしょう・・・

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時評=「すべきだ」防災からの卒業-当事者意識で行動を
(牛山素行=うしやまもとゆき/静岡大防災総合センター副センター長・教授)

シンポジウム,新聞投書欄,ネット上など,様々な媒体で,いろいろな人が,防災について「○○をすべきだ」という発言をしている場面をよく見る.「○○」にはいろいろな文言が入る.「手厚い補助」,「もっと高い堤防」といった予算・物的な要望,「もっと詳しい被害想定」,「この問題についての考慮」,「防災意識の向上」などの広い意味での情報に関わる要望などが代表例だろう.あるいは「私は××なのだから,私をもっと活用すべきだ」などといった要望も見聞きすることがある.

防災に関して「べきだ」という指摘がなされる場合,その主語はまず間違いなく「私以外の誰か」であり,その「誰か」の代表例は行政であろう.つまり,「行政機関は○○をすべきだ」ということになる.

防災に関して様々な人が様々な意見を述べ合うことは,大変重要なことである.しかし,問題に取り組む責任者を「私以外の誰か」に転換して「すべきだ」と声を上げる前に,ほんの一呼吸して頭を整理し,「本当にその問題は対応されていないのか」,「まず自分にできることはないのか」,などと考えてみることも有益ではなかろうか.

防災に関して「これをすべきだ」,「これが取り組まれていない」と指摘される問題は,実際にはすでに実現している,あるいは検討されたものの何か事情があって実現していないといったケースも少なくない.現代の良いところは,様々な情報の公開が進んでいることである.無論何もかもが公開されているわけではないが,個人でも少し調べれば分かることも多い.

「堤防を作る」のように,個人で取り組むことが困難な問題も当然ある.しかし,地域の災害特性を知る,その上で対策を考えるなど,個人でできることも少なくない.様々な情報の公開が,個人でできることの幅を広げている面もある.

「私を活用すべきだ」という主張も筆者には頷けない.本当にそう思うのならば,自分自身の能力を,自分自身で活用することが先決ではなかろうか.「誰か」に自分を活用することを要求するのではなく,「誰か」に必要とされる人材になるために,自分自身で取り組めることはないだろうか.

防災に対する取り組みは「自分以外の誰か」が行ってくれるものだけではない.自分自身が当事者となって取り組まねばならないことも少なくない.当事者としていろいろ考えていくと,理想論として「すべきだ」と思うことでも,実際にはなかなかできないことを痛感する場面もあるだろう.防災対策に絶対の正解はない.多くの人が当事者となって知恵を集めていくことが重要である.

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2014年2月26日 (水)

災害時にSNSを使わない自治体はダメなのか?

災害時にSNS(あるいは他のIT系ツールでも良いけど)が有効に活用された,というの事例が貴重な社会的経験・教訓となることは間違いない.しかし,仮に「SNS等を使っていないけど必要十分な対応をした」ケースがあったとして,それが劣ったやり方とは言えないように思う.

ただ,伝達手段がSNSである必要はないけど,「現在,状況把握すらできない」「出せる情報すらない」という,一見中身がなさそうに見える情報も,貴重な「災害情報」であるので,災害時には行政機関等から積極的に出すことも必要なのでは,と思う.

いい悪いは別として,「災害時にネット上で行政の動きが見えない=役所は何もしていない」と思い込む人が無視できない規模で存在する,ということを防災実務に携わる人は現実として受け止めるしかないだろう,と思う.

私は「行政は情報開示すべきだっ」と言うことを強調しているわけではありません.災害時に「行政は情報開示すべきだっ」と声を大にする人に対応することに,各組織の貴重なリソースを割くことは実に無駄でばかげているので,そういう事態を防ぐために,「出せる情報すらない」という「情報」も含めて積極的に出した方が合理的ですよ,といっているのです.

一番良いのは災害時に「行政は情報開示すべきだっ」と声を大にする人が少なくなることだと思うけど,たぶんそれは無理で,むしろ,そういう動きは今後ネット上で大きくなる一方だと思うから,もはやそういう動きも「災」の一部と見なして,適切に対処していく方法を考えた方がいいと思う.

災害時に「うちの方に役所から何も手助けがないよ,何とかしてよ」という電話が役所に集中するという動きは昔からあったものの,それが現代はネットを通じて全国から集まる訳で,これは真剣に対応を考えなくてはならないのかな,と思うところ.

役所への通報電話とか,ネット上で押し寄せるあまたの「声」も,ネガティブにとらえる必要はなくて,それら自体も「情報」にはなり得る訳で.SNSを利用して情報収集,というやり方はまさにそれで,有効な方法だと思う.「誰にでも使いこなせれば」という条件付きですけどね.

使いこなせば便利な(防災情報)システム,というのもあまたあるけど,それらは必ずしも「だれにでも」使われてはいない.SNSもそういったシステムの「ひとつ」だ,くらいに生暖かく見守るのが現実的なところじゃないかな,というのが,疑い深い私の発想.

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2014年2月25日 (火)

大雪特別警報を巡る雑感

大雪特別警報の発表基準を(今すぐ)見直す,ということには共感を持てない.これは伊豆大島豪雨災害の時と同じ理由→ http://goo.gl/lbRizC

防災気象情報のレベル化という方向がはっきり見えている今の段階で,大雪特別警報というごく一部の制度いじりに時間を浪費する余裕はないと思う.無論今回の教訓をレベル化の制度設計の中に盛り込むことは必要.

「特別警報が出たらどうすりゃいいんだよぉ」という声に屈することなく,防災気象情報は,現象としての危険性を提示することに主眼を置くのがいいと思う.その情報にどう対応するかは,自治体等の情報利用者の課題だと思う.これについても,単に「あとは利用者考えてくれ」と放置プレイされているわけではなくて,指針作り等は行われているはず.

防災気象情報にしろ,自治体等の災害対応にしろ,責のある人たちは漫然と手をこまねいてはなく,少しでも状況改善すべく,頭をひねり続けています.何が問題なのか,どのような可能性があるのか,それぞれの立場で,事実や課題を整理して提示していくことが,社会全体の役に立つと思っています.

単に私の感覚ですが,少なくとも気象庁の気象系の部署は「避難勧告などにも手を広げたい」「防災に関する権限を持ちたい」といった意志は全くなく,気象現象と結果として生じる状況の予測・情報提示に徹したいと明確に考えていると思います.

一方,「気象庁が避難の呼びかけとか行動指南までしろよ俺たちにわかるわけねぇだろ」という「声」は,「市民」に近い方面からしつこく出てきます.気象庁に(できもしない)行動指南をさせたがっているのは「市民」だと私は感じています.

避難勧告をはじめとする防災に関する判断権限が市町村に委ねられているのは無理があり,国や県などに一定の権限移譲するべき,という議論はかなり前から出てる.しかし,そうすると市町村の当事者意識がさらに低下してしまって,むしろ積極的な自治体をスポイルしてしまう,という意見も.

大規模災害,広域災害に限定して国や県が一定の権限を持つ,というやりかたはありそうな気がするが,このやり方についてこれまでに,あるいは現時点でどのような議論があるのかについては,私は知見を持たない.

防災対応に関する国や県などへの権限移譲という課題は,繰り返し検討された結果,現時点では大きな変更に至っていないといっていいと思う.それだけ,単純ではない課題ということなのだろうと理解している.

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