2019年3月18日 (月)

時評=命つないだ気仙中-津波想定 地道な訓練

3月14日付け静岡新聞に下記寄稿をしました.東日本大震災時の岩手県陸前高田市立気仙中学校の生徒らの避難等に関する内容です.
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時評=命つないだ気仙中-津波想定 地道な訓練
 
 東日本大震災時,岩手県沿岸部のある中学校.校舎は標高約2メートル,河川の堤防脇で河口からは300~400m程度と,ほぼ海岸付近.地震発生直後,生徒らは日頃の訓練やこれまでの地震時と同様に,標高約10メートルの広場へ避難したが,川の水位が下がったのを見てさらに高所を目指し裏山へ避難,林内で場所を変えつつ,近くの公民館に移動し二晩を過ごし,3日目に被害を受けなかった小学校に入った.中学生たちが通っていた3階建て校舎は屋上まで津波に覆われ,学区内では全世帯の79%が全壊,260人が死亡または行方不明となったが,在籍の生徒・教職員約百人は,欠席者も含め全員が無事だった.
 
 「今頃何を言っているんだ,先進的な防災教育が実践されて子どもが助かった有名な話じゃないか」と思われるかもしれない.おそらく多くの人が記憶しているのは,岩手県釜石市鵜住居地区の釜石東中学校の話かと思われる.上記の話はそれではない.岩手県陸前高田市気仙町(けせんちょう)の気仙(けせん)中学校(2018年3月閉校)でのことである.
 
 気仙中の話を見聞きした方は少ないだろう.たとえば朝日,毎日,読売を検索すると,この話を報じる記事は8年間に6件,そのうち全国面記事は2件のみ,静岡新聞では残念ながら確認できなかった.
 
 文科省「東日本大震災における学校等の対応等に関する調査」によれば,ハザードマップなどで津波の浸水が予想されていた場所または実際に津波が到達した場所にあった学校は149校,うち津波による死亡・行方不明の児童生徒がいた学校は20%で,犠牲者の多くは下校中に津波に見舞われたものと記されている.痛ましい被害が生じたことは間違いないが,一方で少なからぬ児童生徒の命が助かった事も忘れてはならないだろう.
 
 気仙中の当時の校長は,津波を想定した避難訓練や津波体験者の防災講話を毎年実施していたこと,生徒達が津波の恐ろしさと避難の大切さを聞かされ続けて育っていたこと,これまでの津波警報等の際にも実際に避難してきたことなどを記している(岩手県教育委員会東日本大震災津波記録誌).気仙中のようなことは,三陸地方では例外的な話ではないと筆者は思う.地道で,息の長い積み重ねが重要ではなかろうか.
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 それぞれのお考えによって,おそらくこの文章を当方の意図とは異なる方向でとらえる方がきっといると想像される話題なので,いくつも注記しておきます.
 
 まず,私は,いわゆる「釜石の奇跡」(その後この言い方が推奨されていないことはよく知っていますがあえて「わかりやすく」するために使います)と呼ばれる事象について否定的な意見は持っていません.また,その立役者とされる当時群馬大,現東大の片田先生に対しても批判的な気持ちは全くありません.片田先生とは20年ほどの付き合いで,私にとって数少ない「価値観を共有し信頼できる災害研究者」であり,「盟友」(私がだいぶ年下ですが)だと思っています.
 
 いわゆる「釜石の奇跡」がよく知られる一方で,あたかも釜石だけで子どもが助かり,他の地域ではそうではなかったかのように思われているのではないか,と感じることがあり,今回の寄稿に至りました.
 
 また,釜石を含め,子どもが助かったケースが少なくないのだから,助けられなかったケースの方はミスである,といった言説に共感するものでもありません.
 
 気仙中学校の状況については,震災発生1カ月後くらいにはあらましのことは耳にしていましたが,これまであまり明示的に文章にしたことはありませんでした.というか,様々な気持ちから,ためらい続けてきました.8年たって,やっとためらいの程度が少し下がったようです.
 
 なお私自身は,震災前,震災後ともに気仙中学校と直接的なかかわりがあったわけではありませんので,同校内のことについては特に知識はありません.
 
 気仙中学校は震災後7年間,別の場所を仮校舎として継続し,2018年3月に閉校しました.一方,震災前に使われていた同校の校舎は,いわゆる震災遺構として保存されることが決まっており,現在も震災発生直後に近い姿を目にすることができます.この場所はいずれ「高田松原津波復興祈念公園」の一角となる見込みです.
 
 なお,私はいわゆる災害遺構の保存については,推進すべきとも,すべきでないとも,どちらとも思いません.多くの人が賛同できるなら残すのもよし,そうでないならば撤去するのもよしだと思います.「災害遺構は当然保存すべきだ,お前らは意識が低い,あとで後悔するぞ」みたいなことを言う「学識者」に対しては怒りを覚えます.
 
 遺構保存には,将来にわたって社会的な負担が生じると予想され,大変な面もあると思います.維持が困難となる局面もあるかもしれませんが,それはそれでやむを得ないかもしれないと思っています.そこにかかわる多くの人たちによって,考えていくしかないだろうと思っています.

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2019年1月23日 (水)

「防災豆知識」に要注意

日本災害情報学会のNews Letter No.76(2019/1)に,次の寄稿をしました.「防災熱心な方」に対する嫌みです.

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柔軟な防災を
 
 防災に関する「豆知識」が世に溢れている.なんらかの「教訓」に基づく「豆知識」も多いが,机上の空想ではないか,と思うような「豆知識」もある.「豆知識」は頭に入りやすい(ように工夫されているというべきか).「防災を学んだぞ」という達成感にも寄与しそうだ.学んだ「豆知識」を人に教えたい,という善意の気持ちにもつながりやすそうだ.
 
 「豆知識」には要注意と私は思う.災害には様々な姿がある.特定事例の「教訓」に基づく「豆知識」でも,次に起こる事例の際には負の効果を生むこともあり得る.「わかりやすく」する過程で致命的な誤認が紛れ込むこともある.どこかで教わった「豆知識」を振り回し,「こうしなければならない」と教えたがる「教条的防災」には十分注意せねばならないと思う.
 
 防災は易しくない.幅広い知識,見識を培い,柔軟な視点で取り組むことが必要だと思っている.
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なお,News Letterのバックナンバーは,約1年遅れで公開されています.関心をお持ちの方は下記をご覧ください.
 

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2019年1月 7日 (月)

2019年 新年のご挨拶

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謹んで新春のご挨拶を申し上げます.

 
災害と,社会に向き合うことに疲れを感じつつあります.ことに,「社会」と向き合うことには疲れ果てました.できる限りやるしかないと思っておりますが,どこまでもつものやら.
 
ご指導,ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます.
 
(写真:東武ワールドスクエア)

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2018年9月14日 (金)

時評=西日本豪雨の避難情報ー早期勧告 生かされず

 9月5日付け静岡新聞「時評」欄に下記記事を寄稿しました.平成30年7月豪雨に関しての「(避難勧告が出ていたのに)避難指示への切り替えが遅い!」という批判に対する違和感を書いたものです.
 
これまでの「時評」記事
 
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時評=西日本豪雨の避難情報ー早期勧告 生かされず
 
 平成30年7月豪雨に関する様々な報道の中で「避難指示が遅かった」といった趣旨の論調が見られたことが気になった.たとえば7月15日付読売新聞は,主に洪水により死者52人(8月14日現在)が生じた岡山県倉敷市の市長記者会見を伝える記事中で「6日深夜から7日未明に出した避難指示の判断が遅かったとの声もあるが、『市として、その時にできる判断をしたと思っている』と述べた」と,やや批判的に報じている.
 
 避難に関する情報は「避難準備・高齢者等避難開始」→「避難勧告」→「避難指示(緊急)」の3段階が用意されている.避難準備は,避難に時間のかかる人や危険な場所にいる人の避難開始を,避難勧告は対象地域全員の速やかな避難を,避難指示は極めて危険な状況であることから直ちに避難を,それぞれ呼びかけるものだ.なお「避難」とは「避難所へ行く」事だけではなく,差し迫る危険から様々な手段で安全確保を図ることを意味する.
 
 避難準備は早期の行動開始を促すいわば予備的とも言える情報だが,避難勧告と避難指示は何らかの安全確保行動の実施を明確に呼びかけるかなり重い情報である.それゆえに,空振りを恐れるなどして避難勧告の発令をためらううちに被害が生じたケースが相次いだことなどをふまえてガイドラインの整備が進み,ここ1,2年は避難勧告が早期に出るようになった.
 
 倉敷市では同市真備地区全域に避難指示を出したのが,堤防からの越流・決壊が生じ始めた後の7月7日01時30分だったことが批判されているが,その数時間前の6日22時にすでに避難勧告は出されていた.
 
 倉敷市のケースは例外的ではなく,今回の豪雨では比較的早期に避難勧告が出されていたケースが他にも見られている.災害後に避難勧告が出ることもしばしばあった数年前と比べれば飛躍的な改善とも思える.この状況下で「避難指示が遅い」と批判するのは,避難勧告の軽視のようにも感じられる.
 
 気象情報や避難の情報は,その精度を高める,早期に出すなどの改善を図っても,情報の受け手である我々国民が活用しなければ効果を発揮しない.被害軽減のために,我々自身も最善を尽くすことの重要性がますます高まっているのではなかろうか.

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2018年7月17日 (火)

「流れる水には近づくな」「土砂災害の前兆に頼るな」

 もう少し書こうかと思ったけど時間が無いので,先日のツイートにすこしだけ加筆.
 
 よく防災パンフレットなどで目にする記述,「徒歩での避難が難しくなるとされる50センチ」.これはとても危険な知識のように思う.このような伝え方をすると,「50cmまでなら歩ける」と思われてしまいそう.流速が速ければもっと浅くても流されるし,体格や年代性別によってもだいぶ話が変わる.

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このあたり,詳しくは関西大学の石垣先生が以前に書かれたコラムが参考になる.
 
 防災上の知識として単純化するなら「人も車も簡単に流される.流れる水には近づくな」でよいと思う.普通の人にとって,水に勇気を持って立ち向かう必要は無い.水からは逃れないといけないと思う.

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 でもそう言うと必ず怒り出す人がいて,「実際に水に取り囲まれたらどうするのか!,運動靴!,ロープ!,探り棒!」とかいう話に.そんな状況にならないように早めの行動をする事が何よりも重要.どうしてもだめなときは,少しでも高いところに逃れる.つまるところ,「最善を尽くす」しかない.
 
 これとよく似た「危ない防災知識」が,「土砂災害の前兆現象」だとおもう.これについては最近のコラム記事を参照ください.
 
時評=土砂災害-「前兆」頼りすぎるな

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2018年7月 6日 (金)

時評=災害時の安全確保-状況応じた避難が鍵

7月5日付け静岡新聞「時評」欄に下記記事を寄稿しました.「避難場所を覚えろ」といった声や,避難所への誘導がりをしたがる人に対する違和感を記事にしたものです.
 
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時評=災害時の安全確保-状況応じた避難が鍵
 
 「避難場所を覚えましょう」とよくいわれる.間違いとは言わないが,危ない面があると常々違和感を持っている.
 
 「避難とは避難場所へ行くこと」との単純な理解に様々な問題があることが近年指摘されている.内閣府「避難勧告等に関するガイドライン」では,「『避難行動』は、数分から数時間後に起こるかもしれない自然災害から『命を守るための行動』である」とし,形態として,①指定緊急避難場所への立退き避難,②「近隣の安全な場所」への立退き避難,③「屋内安全確保」を挙げている.命を守るための行動が重要であり,「避難場所へ行くこと」はその手段の一つに過ぎない.
 
 「避難所」の意味についても整理が進んでいる.現在の制度では,指定避難所「災害により住宅を失った場合等において一定期間避難生活をする場所」,指定緊急避難場所「切迫した災害の危険から命を守るために避難する場所」の2種がある.「命を守るための行動」で向かうのは主に指定緊急避難場所と言えるが,指定避難所と指定緊急避難場所が位置的に同一なことも多く,「避難所へ行くのは間違い,指定緊急避難場所へ行きなさい」とは単純に言えない.
 
 災害の種類により適切な避難場所が異なることも要注意.例えば低い場所の平屋や広場は,地震災害時ならばよいが大雨時の適切な避難場所とは言えない.各避難場所は,どの災害時に使うかが決められている事が多い.「避難所か,指定緊急避難場所か」より,「その避難場所はどの災害時に使うのか」を知る方が重要だ.
 
 そもそも避難の意味が災害によって異なる.地震災害では基本的に事後避難となる.自宅で暮らせなくなった場合に避難するのであり,自宅が健全ならば避難所へ行く必要もない.津波の場合は避難場所かどうかに関わらず,少しでも速く高いところへ移動することが重要.洪水や土砂災害では場所や状況により話がかなり変わる.また,災害種別ごとに指定された避難場所でも,予期せぬ危険に見舞われることもある.避難場所で安心してしまわず,状況を見つつの判断も重要だ.
 「避難場所を覚える」ことよりは,「避難の仕方を覚える」ことの方が,いざというときに応用が効くのではなかろうか.

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2018年6月 9日 (土)

気象防災ワークショップについての追記

5月21日に,
 
気象庁「地方公共団体防災担当者向け気象防災ワークショッププログラム」
というブログ記事を書きましたが,これについて追記.
 
その後,「気象庁地方公共団体防災担当者向け気象防災ワークショップ」について紹介する機会があって,その際にまたこの図のようにネガティブな紹介の仕方をしました.さらには「みんなでわいわいおもいつきの話し合い,ではダメです」なんて話までいたしました.

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ワークショップ的な取り組みに絡んでよく出てくる「気づき」っていう言葉が,私は大嫌い.で,「気づきの何がいけないんですか?」という人とは仲良くなれない,というのも経験的に判明しています.別に排除しようとは思いません.考えは多様であるべきですから.私は受け付けない,というだけのことです.
 
気象防災ワークショップについて重要だと思うこと.「人の命にかかわるテーマに関する議論を行うことになるため、ワークショップの実施にあたって技術的な知見からの助言が不可欠です」(気象防災ワークショップ運営マニュアルより)
 
つまり,参加者+自治体防災担当者はまず基本として,そこに加わる「専門家」は「ワークショップの専門家orコミニュケーションの専門家orまちづくりの専門家or訓練の専門家or計画の専門家」など『だけ』ではダメです,というのが私の意見.何らかの技術的・理工学的バックボーンを持った人の関与が必須でしょう,と思います.
 
ここでいう「何らかの技術的・理工学的バックボーンを持った人」の具体像は難しいけど,このWSでまず相談するなら気象台かなと.あとは自治体の技術系部署などが声をかけやすいところかと.このあたりは場合によりにけりでしょう.民間はダメということではなく,なんらかの「技術者」であることが重要という話.具体的には本当にケースバイケース.
 
それと,ワークショップ実施で「人を動かす」なら,ちゃんとお金も動かして欲しいもの.「ソフト防災=簡単・無料」と思われる雰囲気はなんとか変えていかないと,構造的に持たないと思う.「いいことやるのだからボランティアで」じゃ困る.
 
こういうこと言うから,「防災に熱心に取り組んでいる人」から嫌がられるのだ,ということは存じております.

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2018年5月21日 (月)

気象庁「地方公共団体防災担当者向け気象防災ワークショッププログラム」

同日発表の「スパコンで予報改善」の話題と異なり,全く注目されなかったみたいだけど,5月16日に気象庁が「地方公共団体防災担当者向け気象防災ワークショッププログラム」を公開しました.本件について,普段怖くてあまりしていない「監修」という立場に加わりました.

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同プログラムの概要説明 https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/jma-ws2/docs/00_about.pdf 中に私のコメントが載っていますが,「軽い気持ちでワークショップなんかやるんじゃねえ」みたいなひどいことが書いてあります.
 
このプログラムは,「土砂災害編」「中小河川洪水災害編」の2種類が用意され,それぞれについて運営マニュアル,事前学習資料,当日の教材や進行のためのスライドが用意されているものです.
 
運営マニュアルより,私が重要と思うことを挙げておきます.「気象防災ワークショップは防災気象情報や災害対応などの技術的な知見に基づいており、人の命にかかわるテーマに関する議論を行うことになるため、ワークショップの実施にあたって技術的な知見からの助言が不可欠です」
 
私は「防災ワークショップ」的な営為に対して批判的です.無論メリットも少なくないのですが,そこにいる「みんな」だけで盛り上がって,科学的,技術的,社会制度的に適切で無いことが「地域の総意」として固められてしまう危険性をはらんでいるからです.
 
「地域のことは住民が一番よく知っている」といった言説にも批判的です.地域の「日常」のことは、当然そこに暮らす住民が一番よくわかっているはずですが,自然災害は典型的な「非日常」の現象です.広い視点からの知見を盛り込まなければならないはずです.
 
残念ながら,「全国各地域の現場において,広い視点から災害・防災について考える」ための知見や仕組みは極めて未成熟です.このワークショップ,まだまだ成長途上のものとは思いますが,一つの試みではあろうかと思います.
 
言うまでもなきことかとは思いますが,私は「監修」者にすぎませんので,このワークショッププログラムは,構築に関わった多くの方々の取り組みの成果です.厳しい日程の中取り組まれたみなさまに頭の下がる思いです.

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2018年5月 9日 (水)

石巻市大川小学校災害 石巻市が上告方針との報を聞いて

大川小学校を巡る裁判は,5月8日に石巻市議会が,最高裁への上告を承認する議案を賛成多数で可決し,上告の方向に向かうことになった.控訴審判決については
に雑感を挙げたが,上告の方向となったことを受けて,追記をしておきたい.
 
本件に関し,被害に遭った方々の気持ちを考えるといたたまれないものがあり,このような争いが長引くことが良いことだとは思えず,何らかの解決の道はないものかと思う.
 
その一方で,ハザードマップや被害想定という情報に対する捉え方や,個々の現場における平時・災害時の対応を巡る現実の状況を考えると,今回の上告によって,さらに検討が加えられることは,今後の防災対策を考える上で重要かとも思われる.
 
控訴審判決は,事前に予見すべきだったのは東日本大震災の津波ではなく,震災前に公表されていた想定宮城県沖地震による津波であるとしているが,むしろそれならばなおさら被害想定やハザードマップから読み取れる「予見可能性」について,震災後の日本人の「常識」を踏まえて幅広く認めたものと思われ,現代の知見(としてもかなり高度な)で,過去の人の行動を裁いたものとして,どうしても違和感が拭えない.
 
防災上の計画は何らかの情報を目安にしなければそもそも作ることが難しい.ハザードマップや被害想定はそのための一資料である.ハザードマップが完璧なものではないことを理解することは必要だが,ではどの規模の現象まで想定して備えれば妥当なのか(現時点はともかく震災前の時点で妥当だったのか),控訴審判決を読むと戸惑いを感じる.
 
自然災害に関する予測は不確実性が高く,被害の有無が偶然の結果であることも少なくない.自然災害に対して「確実な安全性の確保」ができるように考えること自体,自然の脅威に対する過小評価になるのではなかろうか.災害時に,故意に対応を阻害したようなケースは別として,自然災害による被害の結果責任を組織や個人に対して問うこと自体も難しいのではないか.
 
なお,控訴審判決をみるところ,震災前の被害想定,津波シミュレーション,防災計画の構築や読み取り方について,被告・原告側の解釈が行き違っており,双方の主張ともに,筆者には十分理解できないところがあった.特にシミュレーションについては私の専門から外れ,微妙なところでもあり,具体的な言及はできないが,津波の被害想定に関する技術的な専門家の知見をもっと聞きたいと感じた.この点については,もう少し慎重に検討した方が良いように思われた.
 
上告審の結果の如何に関わらず,控訴審判決の内容が防災に関わる現場に与える影響はかなり大きいだろう.まずはマニュアル作り・防災計画作成などが対策として進められるだろうが,この判決で求めているような高度な判断は,ちょっとした講習で「心構え」を聞き,「みんなで考える」ような方法では全く対応できないだろう.一般的な教職員は無論のこと,県や市町村の防災関係職員も,現時点であってもこうした判断力を身につける機会が十分だとは言えない.
 
いずれにせよ、ちょっとした工夫や、単なる指針の策定などだけでは解決するものではないだろう。たとえば自然科学・社会科学などの幅広く高度な専門知識を持った人材(1人ではなくチーム等も含め)を多数育成・雇用することなども考えられるが,一般に人材育成や,継続的な確保への新たな予算支出は困難も多い.いずれにせよかなりの程度の経費と時間が必要だとおもわれる。そうした負担に社会全体として耐えられるか、考えていかなければならないと思う。
 
本件に関しては、相反する様々な考え方があるかと思います.当方のような考えを見るだけで不快だと思われるかもしれません.あくまでも,一つの考え方として申し述べているものであることをご理解いただければ幸いです.

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2018年4月27日 (金)

石巻市大川小学校災害に関する控訴審判決(仙台高裁)の判決から思うこと

大川小学校災害に関する控訴審判決は,東日本大震災後に大きく変化した現代の感覚で,当時の人の行為を裁いたもので,きわめて強い違和感を覚えた.判決が求めている判断は,現代においてもかなり高度なものであり,今後社会全体として対応していくことが現実的に可能なのか,強い疑問を感じた.

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●はじめに
 4月26日に仙台高等裁判所で出された,東日本大震災時の大川小学校での人的被害についての判決文を入手する機会を得たので,一読しての印象を書き留めておきたい.
 
 なお筆者は,災害情報に関する研究者ではあるが,法律や教育行政に関する専門的知見は持たない.災害や防災に関わる研究者として,また,災害後に場合によっては責任を問われる側になり得る国民の視点からの感想である.
 
 筆者は,災害時の「管理者側」の責任を問う訴訟に関して,上記のように,法律専門家ではない立場から関心を持っており,近年の関連判決に際しては,いくつか感想をまとめている.
 
宮城県山元町の自動車学校での津波犠牲者に関する訴訟の判決文を見て思うこと
災害に伴う犠牲-人ごとでない責任論
大川小学校災害に関する仙台地裁の判決から思うこと
釜石市鵜住居地区防災センターでの災害に関する盛岡地裁の判決から思うこと
東松島市野蒜小学校での災害に関する仙台高裁の判決から思うこと
 東日本大震災に限らず,自然災害によって人々が犠牲となることは大変痛ましく,ことに小学校のような,本来安全であるべき場で多数の子ども達が犠牲となることに対しては言葉がない.
 
 しかしながら,不確実性の高い自然災害に対して,災害発生時にいわゆる「管理者」側(個人は無論のこと組織に対しても)の対応の責任を強く問うことは,社会全体として現実的では無いのではないか,と考えている.
 
●訴訟の概要
 本件は,東日本大震災時に,宮城県石巻市立大川小学校において,児童74人,教職員10人が死亡・行方不明となった被害を巡って,遭難した児童の内23人の19遺族が,石巻市及び宮城県に損害賠償を求めた訴訟である.一審の仙台地方裁判所は,2016年10月26日に原告の主張の一部を認め,石巻市及び宮城県に賠償金の一部の支払いを命じる判決を言い渡している.原告,被告ともに判決を不服として控訴しており,今回の判決に至った.
 
 一審判決では,東日本大震災発生前の段階で大川小学校関係者が,学校周辺への津波の可能性を認識しておらず具体的な避難場所等を決めておかなかったことや,地震発生から15時半頃までの間に校庭にとどまったという判断については,注意義務違反ではなかったとした.15時半頃,石巻市の広報車が伝えた北上川河口付近の松林を津波が越えているという情報に接して以降は,同小学校付近に大規模な津波が到達することを予見できたとした.その上で,15時半頃以降に校庭から移動して避難先として「三角地帯」(標高約7m)を目指したことが「裏山ではなく,三角地帯を目指して移動を行った行為には,結果を回避すべき注意義務を怠った過失が認められる」とした.
 
 いわば一審では,災害発生前の対応に関しては被告側の主張を認め,災害発生時,特に津波到達直前の学校の判断については,原告側の主張を認めた,という印象だった.このためか,控訴審では,災害発生前の対応に関してが主な争点となったようである.
 
 これに対して控訴審判決は,災害発生前の津波災害に対する予見可能性を幅広く認め,災害後の事後の対応についての学校,行政側の責任を認めなかっただけで,ほぼ全面的に原告側の主張を認めたものとなった.

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●ハザードマップという情報の捉え方に対する違和感
 判決の最も基本的なポイントは,大川小学校がハザードマップで示された浸水想定区域内ではなかったが,
  1. ハザードマップで示された「津波浸水域予測についても相当の誤差があることを前提として利用しなければならなかった」ということ
  2. 感潮区域の河川と近接し,堤防はあるものの地震によって沈下し河川からの水が浸入する危険性があったこと
  3. 下流側の堤防は津波によっては停止,そこから津波が陸上を遡上する危険性があったこと
などの理由により,「大川小が本件想定地震により発生する津波の被害を受ける危険性はあった」と明確に認めたところだろう.これを認めたことが根本的なポイントとなって,危機管理マニュアルの見直しの不備や,市によるその点検の不備など,他の争点についても原告側の主張を認める結果となったと思われる.
 
 筆者は,「大川小が本件想定地震により発生する津波の被害を受ける危険性はあった」と,震災前の時点で予見可能であったとの判断には,強い違和感を覚えた.ハザードマップは,震災前は無論のこと,現在においても,各種防災計画を策定する上で基本となる情報であり,その内容が各種計画に反映されることは当然のことである.その内容にもとづいた防災計画(大川小を津波の際の避難所としていたことなど)が不適切であったという判断は納得ができない.
 
 ハザードマップが不確実性を持つ情報であり,それを鵜呑みにすべきではないということは,ハザードマップの一般的な注意事項として,ほぼ必ず注記されていることである.しかしそれはより応用的かつ一般的な留意事項であって,だからといって,ハザードマップの記載されていない場所も危険であると当然理解すべきであり,具体的に対策を考えておかなかったのは誤りであったかのようにいうのは,極めて非現実的な指摘であると思う.ハザードマップの示されない危険を想定するとして,では,具体的にどこまで想定するべきというのか.
 
 そもそも,上記1~3のような知見は,東日本大震災後の現代日本人にとっては理解しうることだろうが,東日本大震災以前の段階で十分に理解されていたとは到底言えない.東日本大震災以前にこうした知見が存在しなかったわけではなく,そのことを判決は常識であるかのように取り上げているが,かなり高度な専門的知見であったと筆者は考える.この点については,現代の知見(としてもかなり高度な)で,過去の人の行動を裁いたものであり,強い違和感を覚える.
 
●学校関係者は地域住民より高いレベルの津波に対する認識を持つべきであったとの指摘に対する違和感
 児童らの被害が注目されがちであるが,大川小学校の立地する石巻市河北町釜谷地区は,住民の犠牲者率自体が,他地区に比べ著しく高かった地区でもある.大川小学校事故検証報告書(大川小学校事故検証委員会,2016)によれば,被災当日釜谷地区に所在した住民及び来訪者の死亡率は84%とされている.これは今回の震災による犠牲者率として極めて.例えば,市町村別で犠牲者率が最も高かった市町村の一つである陸前高田市では,浸水域人口に対する犠牲者率11%,500mメッシュごとの地区人口に対しても最大で30%ほどである(筆者調査).大川小学校およびその周辺は,地域を知る住民自身にとっても,迷うことなく避難先を選択,移動することが難しい立地であったと思われる.
 
 しかしながら判決は,こうした状況についても否定的な判断をしている.たとえば,「校長等は,第1審被告市の公務員として,本件安全確保義務を遺漏無く履行するために必要とされる知識及び経験は,釜谷地区の地域住民が有していた平均的な知識及び経験よりはるかに高いレベルのものでなければならない」としている.その上で「釜谷地区に津波は来ないという釜谷地区の住民の認識が根拠を欠くものであることを伝えて説得し,その認識をあらためさせた上で,大川小の在籍児童を避難させるべき第三次避難場所の位置,避難経路及び避難方法について調整を行うことは十分に可能であった」としている.
 
 判決が指摘しているような判断は,防災について専門的な知見を持たない一般市民(現実には学校教職員も大きく変わるものではない)のレベルから見れば,極めて高度なものである.たとえば,数時間程度の講演の聴講などというもので修得できるような知識ではない.一般に「防災研修」で行われている,災害に対する心構えや助け合い,ワークショップ等の「演習」での教育内容などとは段違いに高度な(目安としては大学院レベルの)自然科学的基礎知識に加え,実務的な災害に対するを知識を十二分に修得していたとしても,果たして自信を持って判断に至れるかどうか,というくらいの水準を求めている.結果がわかっていれば何とでも言えるが,事前に的確に判断できるような水準の話とは到底思えない.
 
 また,学校関係者の防災に関する知識経験は一般住民より高いものでなければならないと判決は指摘するが,現実には,東日本大震災の前後を通じて,そのような知識経験を積むような機会は,学校の教職員は言うまでもなく,市町村防災担当職員ですらほとんど確保されておらず,そのための予算措置もほとんどなされていない.仮に多少の予算措置があったとしても,このような高度な知識経験の習得は,上記のように,数時間程度の研修などでは到底及ぶものではない.このような実情を,この判決は全く無視しており,憤りすら覚えるものである.
 
●今後の広く各地における防災対策に対して懸念されること
 そもそも東日本大震災による多数の被害は,まず第一義的には,それまでに具体的に考えられているものよりもはるかに大規模な現象(津波)が生じたことによるものであり,仮に高度な教育を受け,知識経験を有していたとしても,事前に今回のような事態を具体的に想定し,より安全側を見越した防災計画が立てられていたかはかなり疑問であり,少なくとも,当然できたはずだと言えるようなものではないと考える.
 
今回の被告が行政機関であり,学校関係者であったことから予見可能性が一般住民(個人というべきだろうか)より強く認められたようである.しかし,その線引きはどのあたりとなるのだろうか.いわゆる「管理者」側の組織・個人は,なにも行政関係とは限らない.民間企業,任意団体など,国民のかなりの割合が「管理者」側となる可能性がある.大規模災害の発生も想定される中,多数の「管理者」組織・個人の責任を強く問うやり方は,社会的に本当に対応可能なのだろうか.
 
 自然災害に対して,様々な対策を講じ,最善を尽くすことが重要であることは言うまでもない.また,現実に責任を問われる立場の人たちからも犠牲が出ている現実から,現場において最善が尽くされなかったとはとても思えない.人知の及ばないことも生じやすい自然災害に関して,最善を尽くした結果,結果的に厳しい事態が生じたことについて,「だれかが悪いことをしたから被害が生じたのだ」「対応できたはずではないか」と,事後的に断ずることは,厳しい事態を改善する上での事実把握や記録に対して妨げとなり,かえっていわゆる「教訓」を埋もれさせてしまうことにならないだろうか.
 
【追記】
 5月8日に石巻市議会が上告賛成の議決を行ったことを受けて下記に追記をしました.

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