2018年7月17日 (火)

「流れる水には近づくな」「土砂災害の前兆に頼るな」

 もう少し書こうかと思ったけど時間が無いので,先日のツイートにすこしだけ加筆.
 
 よく防災パンフレットなどで目にする記述,「徒歩での避難が難しくなるとされる50センチ」.これはとても危険な知識のように思う.このような伝え方をすると,「50cmまでなら歩ける」と思われてしまいそう.流速が速ければもっと浅くても流されるし,体格や年代性別によってもだいぶ話が変わる.

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このあたり,詳しくは関西大学の石垣先生が以前に書かれたコラムが参考になる.
 
 防災上の知識として単純化するなら「人も車も簡単に流される.流れる水には近づくな」でよいと思う.普通の人にとって,水に勇気を持って立ち向かう必要は無い.水からは逃れないといけないと思う.

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 でもそう言うと必ず怒り出す人がいて,「実際に水に取り囲まれたらどうするのか!,運動靴!,ロープ!,探り棒!」とかいう話に.そんな状況にならないように早めの行動をする事が何よりも重要.どうしてもだめなときは,少しでも高いところに逃れる.つまるところ,「最善を尽くす」しかない.
 
 これとよく似た「危ない防災知識」が,「土砂災害の前兆現象」だとおもう.これについては最近のコラム記事を参照ください.
 
時評=土砂災害-「前兆」頼りすぎるな

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2018年7月 6日 (金)

時評=災害時の安全確保-状況応じた避難が鍵

7月5日付け静岡新聞「時評」欄に下記記事を寄稿しました.「避難場所を覚えろ」といった声や,避難所への誘導がりをしたがる人に対する違和感を記事にしたものです.
 
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時評=災害時の安全確保-状況応じた避難が鍵
 
 「避難場所を覚えましょう」とよくいわれる.間違いとは言わないが,危ない面があると常々違和感を持っている.
 
 「避難とは避難場所へ行くこと」との単純な理解に様々な問題があることが近年指摘されている.内閣府「避難勧告等に関するガイドライン」では,「『避難行動』は、数分から数時間後に起こるかもしれない自然災害から『命を守るための行動』である」とし,形態として,①指定緊急避難場所への立退き避難,②「近隣の安全な場所」への立退き避難,③「屋内安全確保」を挙げている.命を守るための行動が重要であり,「避難場所へ行くこと」はその手段の一つに過ぎない.
 
 「避難所」の意味についても整理が進んでいる.現在の制度では,指定避難所「災害により住宅を失った場合等において一定期間避難生活をする場所」,指定緊急避難場所「切迫した災害の危険から命を守るために避難する場所」の2種がある.「命を守るための行動」で向かうのは主に指定緊急避難場所と言えるが,指定避難所と指定緊急避難場所が位置的に同一なことも多く,「避難所へ行くのは間違い,指定緊急避難場所へ行きなさい」とは単純に言えない.
 
 災害の種類により適切な避難場所が異なることも要注意.例えば低い場所の平屋や広場は,地震災害時ならばよいが大雨時の適切な避難場所とは言えない.各避難場所は,どの災害時に使うかが決められている事が多い.「避難所か,指定緊急避難場所か」より,「その避難場所はどの災害時に使うのか」を知る方が重要だ.
 
 そもそも避難の意味が災害によって異なる.地震災害では基本的に事後避難となる.自宅で暮らせなくなった場合に避難するのであり,自宅が健全ならば避難所へ行く必要もない.津波の場合は避難場所かどうかに関わらず,少しでも速く高いところへ移動することが重要.洪水や土砂災害では場所や状況により話がかなり変わる.また,災害種別ごとに指定された避難場所でも,予期せぬ危険に見舞われることもある.避難場所で安心してしまわず,状況を見つつの判断も重要だ.
 「避難場所を覚える」ことよりは,「避難の仕方を覚える」ことの方が,いざというときに応用が効くのではなかろうか.

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2018年6月 9日 (土)

気象防災ワークショップについての追記

5月21日に,
 
気象庁「地方公共団体防災担当者向け気象防災ワークショッププログラム」
というブログ記事を書きましたが,これについて追記.
 
その後,「気象庁地方公共団体防災担当者向け気象防災ワークショップ」について紹介する機会があって,その際にまたこの図のようにネガティブな紹介の仕方をしました.さらには「みんなでわいわいおもいつきの話し合い,ではダメです」なんて話までいたしました.

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ワークショップ的な取り組みに絡んでよく出てくる「気づき」っていう言葉が,私は大嫌い.で,「気づきの何がいけないんですか?」という人とは仲良くなれない,というのも経験的に判明しています.別に排除しようとは思いません.考えは多様であるべきですから.私は受け付けない,というだけのことです.
 
気象防災ワークショップについて重要だと思うこと.「人の命にかかわるテーマに関する議論を行うことになるため、ワークショップの実施にあたって技術的な知見からの助言が不可欠です」(気象防災ワークショップ運営マニュアルより)
 
つまり,参加者+自治体防災担当者はまず基本として,そこに加わる「専門家」は「ワークショップの専門家orコミニュケーションの専門家orまちづくりの専門家or訓練の専門家or計画の専門家」など『だけ』ではダメです,というのが私の意見.何らかの技術的・理工学的バックボーンを持った人の関与が必須でしょう,と思います.
 
ここでいう「何らかの技術的・理工学的バックボーンを持った人」の具体像は難しいけど,このWSでまず相談するなら気象台かなと.あとは自治体の技術系部署などが声をかけやすいところかと.このあたりは場合によりにけりでしょう.民間はダメということではなく,なんらかの「技術者」であることが重要という話.具体的には本当にケースバイケース.
 
それと,ワークショップ実施で「人を動かす」なら,ちゃんとお金も動かして欲しいもの.「ソフト防災=簡単・無料」と思われる雰囲気はなんとか変えていかないと,構造的に持たないと思う.「いいことやるのだからボランティアで」じゃ困る.
 
こういうこと言うから,「防災に熱心に取り組んでいる人」から嫌がられるのだ,ということは存じております.

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2018年5月21日 (月)

気象庁「地方公共団体防災担当者向け気象防災ワークショッププログラム」

同日発表の「スパコンで予報改善」の話題と異なり,全く注目されなかったみたいだけど,5月16日に気象庁が「地方公共団体防災担当者向け気象防災ワークショッププログラム」を公開しました.本件について,普段怖くてあまりしていない「監修」という立場に加わりました.

Photo

 
同プログラムの概要説明 https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/jma-ws2/docs/00_about.pdf 中に私のコメントが載っていますが,「軽い気持ちでワークショップなんかやるんじゃねえ」みたいなひどいことが書いてあります.
 
このプログラムは,「土砂災害編」「中小河川洪水災害編」の2種類が用意され,それぞれについて運営マニュアル,事前学習資料,当日の教材や進行のためのスライドが用意されているものです.
 
運営マニュアルより,私が重要と思うことを挙げておきます.「気象防災ワークショップは防災気象情報や災害対応などの技術的な知見に基づいており、人の命にかかわるテーマに関する議論を行うことになるため、ワークショップの実施にあたって技術的な知見からの助言が不可欠です」
 
私は「防災ワークショップ」的な営為に対して批判的です.無論メリットも少なくないのですが,そこにいる「みんな」だけで盛り上がって,科学的,技術的,社会制度的に適切で無いことが「地域の総意」として固められてしまう危険性をはらんでいるからです.
 
「地域のことは住民が一番よく知っている」といった言説にも批判的です.地域の「日常」のことは、当然そこに暮らす住民が一番よくわかっているはずですが,自然災害は典型的な「非日常」の現象です.広い視点からの知見を盛り込まなければならないはずです.
 
残念ながら,「全国各地域の現場において,広い視点から災害・防災について考える」ための知見や仕組みは極めて未成熟です.このワークショップ,まだまだ成長途上のものとは思いますが,一つの試みではあろうかと思います.
 
言うまでもなきことかとは思いますが,私は「監修」者にすぎませんので,このワークショッププログラムは,構築に関わった多くの方々の取り組みの成果です.厳しい日程の中取り組まれたみなさまに頭の下がる思いです.

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2018年5月 9日 (水)

石巻市大川小学校災害 石巻市が上告方針との報を聞いて

大川小学校を巡る裁判は,5月8日に石巻市議会が,最高裁への上告を承認する議案を賛成多数で可決し,上告の方向に向かうことになった.控訴審判決については
に雑感を挙げたが,上告の方向となったことを受けて,追記をしておきたい.
 
本件に関し,被害に遭った方々の気持ちを考えるといたたまれないものがあり,このような争いが長引くことが良いことだとは思えず,何らかの解決の道はないものかと思う.
 
その一方で,ハザードマップや被害想定という情報に対する捉え方や,個々の現場における平時・災害時の対応を巡る現実の状況を考えると,今回の上告によって,さらに検討が加えられることは,今後の防災対策を考える上で重要かとも思われる.
 
控訴審判決は,事前に予見すべきだったのは東日本大震災の津波ではなく,震災前に公表されていた想定宮城県沖地震による津波であるとしているが,むしろそれならばなおさら被害想定やハザードマップから読み取れる「予見可能性」について,震災後の日本人の「常識」を踏まえて幅広く認めたものと思われ,現代の知見(としてもかなり高度な)で,過去の人の行動を裁いたものとして,どうしても違和感が拭えない.
 
防災上の計画は何らかの情報を目安にしなければそもそも作ることが難しい.ハザードマップや被害想定はそのための一資料である.ハザードマップが完璧なものではないことを理解することは必要だが,ではどの規模の現象まで想定して備えれば妥当なのか(現時点はともかく震災前の時点で妥当だったのか),控訴審判決を読むと戸惑いを感じる.
 
自然災害に関する予測は不確実性が高く,被害の有無が偶然の結果であることも少なくない.自然災害に対して「確実な安全性の確保」ができるように考えること自体,自然の脅威に対する過小評価になるのではなかろうか.災害時に,故意に対応を阻害したようなケースは別として,自然災害による被害の結果責任を組織や個人に対して問うこと自体も難しいのではないか.
 
なお,控訴審判決をみるところ,震災前の被害想定,津波シミュレーション,防災計画の構築や読み取り方について,被告・原告側の解釈が行き違っており,双方の主張ともに,筆者には十分理解できないところがあった.特にシミュレーションについては私の専門から外れ,微妙なところでもあり,具体的な言及はできないが,津波の被害想定に関する技術的な専門家の知見をもっと聞きたいと感じた.この点については,もう少し慎重に検討した方が良いように思われた.
 
上告審の結果の如何に関わらず,控訴審判決の内容が防災に関わる現場に与える影響はかなり大きいだろう.まずはマニュアル作り・防災計画作成などが対策として進められるだろうが,この判決で求めているような高度な判断は,ちょっとした講習で「心構え」を聞き,「みんなで考える」ような方法では全く対応できないだろう.一般的な教職員は無論のこと,県や市町村の防災関係職員も,現時点であってもこうした判断力を身につける機会が十分だとは言えない.
 
いずれにせよ、ちょっとした工夫や、単なる指針の策定などだけでは解決するものではないだろう。たとえば自然科学・社会科学などの幅広く高度な専門知識を持った人材(1人ではなくチーム等も含め)を多数育成・雇用することなども考えられるが,一般に人材育成や,継続的な確保への新たな予算支出は困難も多い.いずれにせよかなりの程度の経費と時間が必要だとおもわれる。そうした負担に社会全体として耐えられるか、考えていかなければならないと思う。
 
本件に関しては、相反する様々な考え方があるかと思います.当方のような考えを見るだけで不快だと思われるかもしれません.あくまでも,一つの考え方として申し述べているものであることをご理解いただければ幸いです.

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2018年4月27日 (金)

石巻市大川小学校災害に関する控訴審判決(仙台高裁)の判決から思うこと

大川小学校災害に関する控訴審判決は,東日本大震災後に大きく変化した現代の感覚で,当時の人の行為を裁いたもので,きわめて強い違和感を覚えた.判決が求めている判断は,現代においてもかなり高度なものであり,今後社会全体として対応していくことが現実的に可能なのか,強い疑問を感じた.

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●はじめに
 4月26日に仙台高等裁判所で出された,東日本大震災時の大川小学校での人的被害についての判決文を入手する機会を得たので,一読しての印象を書き留めておきたい.
 
 なお筆者は,災害情報に関する研究者ではあるが,法律や教育行政に関する専門的知見は持たない.災害や防災に関わる研究者として,また,災害後に場合によっては責任を問われる側になり得る国民の視点からの感想である.
 
 筆者は,災害時の「管理者側」の責任を問う訴訟に関して,上記のように,法律専門家ではない立場から関心を持っており,近年の関連判決に際しては,いくつか感想をまとめている.
 
宮城県山元町の自動車学校での津波犠牲者に関する訴訟の判決文を見て思うこと
災害に伴う犠牲-人ごとでない責任論
大川小学校災害に関する仙台地裁の判決から思うこと
釜石市鵜住居地区防災センターでの災害に関する盛岡地裁の判決から思うこと
東松島市野蒜小学校での災害に関する仙台高裁の判決から思うこと
 東日本大震災に限らず,自然災害によって人々が犠牲となることは大変痛ましく,ことに小学校のような,本来安全であるべき場で多数の子ども達が犠牲となることに対しては言葉がない.
 
 しかしながら,不確実性の高い自然災害に対して,災害発生時にいわゆる「管理者」側(個人は無論のこと組織に対しても)の対応の責任を強く問うことは,社会全体として現実的では無いのではないか,と考えている.
 
●訴訟の概要
 本件は,東日本大震災時に,宮城県石巻市立大川小学校において,児童74人,教職員10人が死亡・行方不明となった被害を巡って,遭難した児童の内23人の19遺族が,石巻市及び宮城県に損害賠償を求めた訴訟である.一審の仙台地方裁判所は,2016年10月26日に原告の主張の一部を認め,石巻市及び宮城県に賠償金の一部の支払いを命じる判決を言い渡している.原告,被告ともに判決を不服として控訴しており,今回の判決に至った.
 
 一審判決では,東日本大震災発生前の段階で大川小学校関係者が,学校周辺への津波の可能性を認識しておらず具体的な避難場所等を決めておかなかったことや,地震発生から15時半頃までの間に校庭にとどまったという判断については,注意義務違反ではなかったとした.15時半頃,石巻市の広報車が伝えた北上川河口付近の松林を津波が越えているという情報に接して以降は,同小学校付近に大規模な津波が到達することを予見できたとした.その上で,15時半頃以降に校庭から移動して避難先として「三角地帯」(標高約7m)を目指したことが「裏山ではなく,三角地帯を目指して移動を行った行為には,結果を回避すべき注意義務を怠った過失が認められる」とした.
 
 いわば一審では,災害発生前の対応に関しては被告側の主張を認め,災害発生時,特に津波到達直前の学校の判断については,原告側の主張を認めた,という印象だった.このためか,控訴審では,災害発生前の対応に関してが主な争点となったようである.
 
 これに対して控訴審判決は,災害発生前の津波災害に対する予見可能性を幅広く認め,災害後の事後の対応についての学校,行政側の責任を認めなかっただけで,ほぼ全面的に原告側の主張を認めたものとなった.

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●ハザードマップという情報の捉え方に対する違和感
 判決の最も基本的なポイントは,大川小学校がハザードマップで示された浸水想定区域内ではなかったが,
  1. ハザードマップで示された「津波浸水域予測についても相当の誤差があることを前提として利用しなければならなかった」ということ
  2. 感潮区域の河川と近接し,堤防はあるものの地震によって沈下し河川からの水が浸入する危険性があったこと
  3. 下流側の堤防は津波によっては停止,そこから津波が陸上を遡上する危険性があったこと
などの理由により,「大川小が本件想定地震により発生する津波の被害を受ける危険性はあった」と明確に認めたところだろう.これを認めたことが根本的なポイントとなって,危機管理マニュアルの見直しの不備や,市によるその点検の不備など,他の争点についても原告側の主張を認める結果となったと思われる.
 
 筆者は,「大川小が本件想定地震により発生する津波の被害を受ける危険性はあった」と,震災前の時点で予見可能であったとの判断には,強い違和感を覚えた.ハザードマップは,震災前は無論のこと,現在においても,各種防災計画を策定する上で基本となる情報であり,その内容が各種計画に反映されることは当然のことである.その内容にもとづいた防災計画(大川小を津波の際の避難所としていたことなど)が不適切であったという判断は納得ができない.
 
 ハザードマップが不確実性を持つ情報であり,それを鵜呑みにすべきではないということは,ハザードマップの一般的な注意事項として,ほぼ必ず注記されていることである.しかしそれはより応用的かつ一般的な留意事項であって,だからといって,ハザードマップの記載されていない場所も危険であると当然理解すべきであり,具体的に対策を考えておかなかったのは誤りであったかのようにいうのは,極めて非現実的な指摘であると思う.ハザードマップの示されない危険を想定するとして,では,具体的にどこまで想定するべきというのか.
 
 そもそも,上記1~3のような知見は,東日本大震災後の現代日本人にとっては理解しうることだろうが,東日本大震災以前の段階で十分に理解されていたとは到底言えない.東日本大震災以前にこうした知見が存在しなかったわけではなく,そのことを判決は常識であるかのように取り上げているが,かなり高度な専門的知見であったと筆者は考える.この点については,現代の知見(としてもかなり高度な)で,過去の人の行動を裁いたものであり,強い違和感を覚える.
 
●学校関係者は地域住民より高いレベルの津波に対する認識を持つべきであったとの指摘に対する違和感
 児童らの被害が注目されがちであるが,大川小学校の立地する石巻市河北町釜谷地区は,住民の犠牲者率自体が,他地区に比べ著しく高かった地区でもある.大川小学校事故検証報告書(大川小学校事故検証委員会,2016)によれば,被災当日釜谷地区に所在した住民及び来訪者の死亡率は84%とされている.これは今回の震災による犠牲者率として極めて.例えば,市町村別で犠牲者率が最も高かった市町村の一つである陸前高田市では,浸水域人口に対する犠牲者率11%,500mメッシュごとの地区人口に対しても最大で30%ほどである(筆者調査).大川小学校およびその周辺は,地域を知る住民自身にとっても,迷うことなく避難先を選択,移動することが難しい立地であったと思われる.
 
 しかしながら判決は,こうした状況についても否定的な判断をしている.たとえば,「校長等は,第1審被告市の公務員として,本件安全確保義務を遺漏無く履行するために必要とされる知識及び経験は,釜谷地区の地域住民が有していた平均的な知識及び経験よりはるかに高いレベルのものでなければならない」としている.その上で「釜谷地区に津波は来ないという釜谷地区の住民の認識が根拠を欠くものであることを伝えて説得し,その認識をあらためさせた上で,大川小の在籍児童を避難させるべき第三次避難場所の位置,避難経路及び避難方法について調整を行うことは十分に可能であった」としている.
 
 判決が指摘しているような判断は,防災について専門的な知見を持たない一般市民(現実には学校教職員も大きく変わるものではない)のレベルから見れば,極めて高度なものである.たとえば,数時間程度の講演の聴講などというもので修得できるような知識ではない.一般に「防災研修」で行われている,災害に対する心構えや助け合い,ワークショップ等の「演習」での教育内容などとは段違いに高度な(目安としては大学院レベルの)自然科学的基礎知識に加え,実務的な災害に対するを知識を十二分に修得していたとしても,果たして自信を持って判断に至れるかどうか,というくらいの水準を求めている.結果がわかっていれば何とでも言えるが,事前に的確に判断できるような水準の話とは到底思えない.
 
 また,学校関係者の防災に関する知識経験は一般住民より高いものでなければならないと判決は指摘するが,現実には,東日本大震災の前後を通じて,そのような知識経験を積むような機会は,学校の教職員は言うまでもなく,市町村防災担当職員ですらほとんど確保されておらず,そのための予算措置もほとんどなされていない.仮に多少の予算措置があったとしても,このような高度な知識経験の習得は,上記のように,数時間程度の研修などでは到底及ぶものではない.このような実情を,この判決は全く無視しており,憤りすら覚えるものである.
 
●今後の広く各地における防災対策に対して懸念されること
 そもそも東日本大震災による多数の被害は,まず第一義的には,それまでに具体的に考えられているものよりもはるかに大規模な現象(津波)が生じたことによるものであり,仮に高度な教育を受け,知識経験を有していたとしても,事前に今回のような事態を具体的に想定し,より安全側を見越した防災計画が立てられていたかはかなり疑問であり,少なくとも,当然できたはずだと言えるようなものではないと考える.
 
今回の被告が行政機関であり,学校関係者であったことから予見可能性が一般住民(個人というべきだろうか)より強く認められたようである.しかし,その線引きはどのあたりとなるのだろうか.いわゆる「管理者」側の組織・個人は,なにも行政関係とは限らない.民間企業,任意団体など,国民のかなりの割合が「管理者」側となる可能性がある.大規模災害の発生も想定される中,多数の「管理者」組織・個人の責任を強く問うやり方は,社会的に本当に対応可能なのだろうか.
 
 自然災害に対して,様々な対策を講じ,最善を尽くすことが重要であることは言うまでもない.また,現実に責任を問われる立場の人たちからも犠牲が出ている現実から,現場において最善が尽くされなかったとはとても思えない.人知の及ばないことも生じやすい自然災害に関して,最善を尽くした結果,結果的に厳しい事態が生じたことについて,「だれかが悪いことをしたから被害が生じたのだ」「対応できたはずではないか」と,事後的に断ずることは,厳しい事態を改善する上での事実把握や記録に対して妨げとなり,かえっていわゆる「教訓」を埋もれさせてしまうことにならないだろうか.
 
【追記】
 5月8日に石巻市議会が上告賛成の議決を行ったことを受けて下記に追記をしました.

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2018年2月28日 (水)

災害時のツイッター「ハッシュタグ」やツイートについて思うこと

2018年の福井での大雪に関連して,ツイッターのハッシュタグが有効,というような話を聞くので,災害時のハッシュタグについての考えをメモしておきたい.
 
一般論だが,ハッシュタグは,多数のツイートの中から特定の話題に関係するツイートを検索しやすくための手法の一つであり,福井での大雪のようなケースでもその意味での有効性は当然ありうる.一方で,自然災害の場合は,突発的・自然発生的にハッシュタグが生まれてくるので,よく似たハッシュタグが複数並行して使われることも考えられ,またそもそもハッシュタグを使わない,ハッシュタグが使われていることに気がつかないユーザーも少なくないと考えられ,有効性には限界もある.そもそもツイートは本文の検索も容易なので,ハッシュタグを使わなければ関連するツイートを探しようもないというわけでもない.
 
ハッシュタグ以前に,自然災害では統一的な名称がかならずしも定まらないという課題もある.特に顕著な現象に対しては気象庁が命名をすることがあるが,福井の大雪では命名されいない(濫発すべきものではないと思うので,これは妥当と考えている).気象庁の命名がない局地的な災害では,各地域でメディアや行政機関が事実上の標準となる名称をつかうことがよくみられる.何らかの形で,標準的な名称を決めることは,その後の記録の整理や後世に教訓を伝える上でも重要なことと思う.標準的な名称が定着すれば,ハッシュタグや,ツイートの本文でも積極的に取り入りられることが予想され,有効だと思う.
 
災害時のツイートについて注意しなければならないことは,ハッシュタグなどよりもっと基本的なことがいろいろあるだろう.私が重要だと思うのは「自分がそのリツイートをすることが本当に必要なのか,冷静に考える」こと.災害時には,被災した地域のことが心配になり,自分にも何かできないか,という気持ちになることは当然.しかし,ツイートが爆発的に増えることにより,重要な情報が埋もれてしまい,探しにくくなってしまうといったことが考えられる.リツイートしたことで,自分も被災地のためにささやかな貢献をした,という気持ちになることもよくわかるが,むしろその善意が逆効果となることもある事に注意が必要.
 
また,災害時には不確かな情報や,誤った情報がツイートされることもよくある.「これは大変だ」「みんなが知った方がいい」と思うツイートに出会ったら,その情報は本当に確かな情報なのか,よく考えることが必要.公的機関や企業以外のツイートの場合,そのツイートのアカウントが,これまでにどのようなツイートをしているかを見て,信頼できるアカウントかどうかを見極めるといった方法も考えられる.
 
自らがツイートする場合は(個人でも組織でも同様),まずその情報に関する場所,時刻,情報源などを明記することを心がけたい.また,なるべく具体的な記述を心がけることも重要.たとえば「川が増水しています」と書くより,「○○橋の50cmくらい下まで水が流れています」と書く方が情報としての価値が高まるだろう.

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2018年2月 6日 (火)

あらためて災害時の死者・行方不明者の匿名化について

数年前から顕在化した難しい話「災害時の死者・行方不明者の氏名を公表するかどうか」という件.草津白根山の噴火に伴う災害でもあらためて課題となったことが報じられている.
 
(Media Times)「県が氏名発表」認識にズレ 草津白根山噴火、死亡の自衛隊員:朝日新聞デジタル
 
この記事中に私のコメントもあるけど,私は「死者・行方不明者の氏名は特別な事情が無い限り基本的には公表」だと思う.災害発生時には多くの人が自分の関係者の安否情報を求める行動を起こすわけで,その際の混乱や,場合によっては生じうる不確実情報などを軽減するためにもその方がいいと思う.
 
災害時には感情的に受け入れられない人もいると思うけど,自然災害の死者等の氏名は,個々の災害を教訓として後世に残す記録としても重要な情報.後世の人が,過去の災害について整理・検討する際に,亡くなった方のお名前は,各種資料を横断的に検討する際の重要な情報となる.
 
これはわかる人にしかわからない話だけど,災害時の死者名等匿名化が徹底されたら,「君の名は。」で瀧君が図書館で糸守町の隕石災害犠牲者名簿を参照して三葉達の名前を見つけて衝撃を受けるシーンは成り立たないかも.「後世の人が,過去の災害について整理・検討」というのはそんな感じのこと.
 
災害時の死者等匿名化の「空気」は,個人情報保護に対する過剰反応の一つとも思うけど,犠牲となった人の周辺に生じる「メディアスクラム」が嫌われている面もあるのでは,とも思う.犠牲者の「人となり報道」はメディアの常道かとは思うけど,時代に合わなくなっているのかも.
 
ツイートとか,ヤフコメとか見ていると,「自然災害の死者等の名前は公表するな」という声を強く感じるのだけど,
 
Yahoo意識調査「災害時の行方不明者の氏名、どうすべき?」
 
では「原則、公表すべき」が7割強というのは意外だった.主張したい人が回答するタイプの調査法なので,もっと「公表するな」が多くなると思ったのだけど.
 
この件については以前ブログにも書きました.
 
時評=災害時の行方不明者-「匿名化」行き過ぎでは
 
岩手日報の連載 岩手日報企画・特集 「あなたの証し 匿名社会と防災」
も考えさせられる.
 
この件自体が研究のテーマになってきたかもしれない.

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2018年1月 3日 (水)

2018年 新年のご挨拶

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謹んで新春のご挨拶を申し上げます.

よい展望はなかなか描けませんが,何とか今年も防災研究に携われるよう,予算と時間の確保に邁進する所存です.ご指導,ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます.

(写真:JR大船渡線BRT細浦駅)

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2017年9月 1日 (金)

風水害時の土嚢積みに関する懸念

少し必要があって,「風水害時に土嚢積み作業をしていて死亡した人」を数えてみました.基礎資料は当方が整備しているの風水害犠牲者資料 http://www.disaster-i.net/research4.html で,2004-2016年の761人が対象.
 
当方では「移動や避難の目的ではなく,自らの意志で危険な場所に接近したことにより遭難」を「能動的犠牲者」と定義しており,この形態の犠牲者が下図に見るように全体の24%.「土嚢積み」はこの一部に当たる.

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「能動的犠牲者」をさらに分類すると下図のようになる.40%は何らかの防災行動を取っていたもの.ただしそのほとんどは個人的な行動.「土嚢積み」はこの一部で,少なくとも9人確認された.水防活動による土嚢積みと思われるケースはなく,いずれも個人的な行動らしい.

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「土嚢積み」による犠牲者,761人中9人なので格別に多いわけではないが,要注意な行動の一つであるとは言えそう.少なくとも「水害に備えましょう!」と言って,土嚢積みをオススメすることは私はしたくはない.水には立ち向かうのではなく,逃れましょう.
 
なお,「土嚢積み」については,
  • 水防団による組織的な水防活動として,堤防上に積む
  • 個人宅で,雨が降り始める前の段階で予防的に積む
といった場面での有効性を否定するものではありません.雨が降る中,すでに周囲を洪水が流れているような状況下で積むようなことを強く否定しているものです.土嚢積みは「浸水したら対策としてやるべきこと」と受け止められている印象があり,そのイメージはまずいと考えます.

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より以前の記事一覧