2017年2月16日 (木)

台風10号の岩手・北海道災害-山地河川洪水の教訓

11月24日付け静岡新聞「時評」欄に掲載された筆者の寄稿記事です.あまりにも遅れての掲載となりました.「避難準備情報がどうこう」というより,山地河川での洪水の恐ろしさを見せつけた災害,目先の事例に引きずられるな,という意図が強くにじんでいます.
------------------------
時評=台風10号の岩手・北海道災害-山地河川洪水の教訓
 
 2016年の出水期が終わり,季節的には洪水・土砂災害は一段落の時期となった.11月上旬現在,今年の洪水・土砂災害で最大のものは,8月30~31日にかけて北日本を通過した台風10号による災害となっている.
 
 この災害では,岩手県岩泉町でのグループホームでの高齢者9人死亡の被害が注目されたが,この場所にとどまらずこの事例の人的被害は,主に山地の河川での洪水によってもたらされたことが特徴である.
 
 全国の人的被害は,死者22人,行方不明者5人(10月27日消防庁資料)が伝えられている.筆者の調査ではこれらのうち,洪水(川から溢れた水)によるもの18人,増水した河川に近づいた事によるもの4人,土砂災害によるもの5人という内訳だった.筆者の最近十数年間の風水害犠牲者の調査によれば,洪水による犠牲者は全体の2割であるので,27人中18人(7割)というのはかなり多い割合である.
 
 また,何らかの避難行動をとったにもかかわらず遭難したと思われるものが8人おり,これは2004年以降の風水害では3番目の多さである.避難行動は必ずしも低調ではなかった可能性も考えられる.
 
 山地河川の洪水は,河川の勾配が急なこと,洪水が流れ得る断面積が狭いことから,流速が速くなりやすく,家屋や人に対し大きな被害をもたらしうる.近年では,2011年台風12号災害時の和歌山県那智勝浦町,2009年兵庫県佐用町での災害などが類例である.静岡県内にもこうした河川は少なくない.
 
 山地河川ではハザードマップ整備が進んでいないことも多いが,「山だから洪水は関係ない」などというのは誤解であり,河川付近で,河川と同様な高さの場所は基本的には洪水の影響を受けうると考えた方がいいだろう.
 
 2013年の伊豆大島では火山地帯での土砂災害,2014年の広島では都市近郊の土砂災害,2015年は鬼怒川の平野部河川洪水,今回は山地河川の洪水と,いろいろなタイプの風水害が繰り返されているが,共通しているのは「大局的には,起こりうる場所で,起こりうる現象が発生している」である.「いつ」災害が起こるかの予測は困難だが,「どこで,どんな」災害が起こりうるかはある程度予測可能で,情報も充実しつつある.私たちにはまだまだできることがある.
--------------------------

|

2016年9月 9日 (金)

大雨時の避難行動-河川水位情報 活用を

9月8日付け静岡新聞「時評」欄に掲載された筆者の寄稿記事です.8月末の東北・北海道での豪雨災害発生より前に入稿した原稿ですが,原稿が出る前にまたしても洪水災害発生となってしまいました.岩手県岩泉町の災害に限っていえば,山間部で水位観測所の少ない地域でした.「やっぱり役に立たないじゃないか」ではなくて,行き届いていない地域は当然ありますが,役に立つ地域も多くあるわけですから,「使えない」と決めつけず,活用していくことが重要だと思っています.
 
------------------------
時評=大雨時の避難行動-河川水位情報 活用を
 
 昨年,関東から東北の広い範囲に被害をもたらした「平成27(2015)年9月関東・東北豪雨」からまもなく1年となる.この豪雨に伴って様々な災害が生じたが,茨城県常総市(鬼怒川)などでの堤防決壊,各地の河川での越水(堤防がある川で水が堤防からあふれだすこと)など,洪水による災害が目立つ事例であった.
 
 「水につかる(浸水)」現象は大別すると「洪水」と「内水氾濫」の2種類がある.洪水は主に堤防の決壊や河川の水が堤防を越えたりすることにより起こる浸水をさし,内水氾濫は大雨によって地表の水が増えて河川等への排水が追いつかなくなり,側溝などから水があふれ出す浸水を指す.
 
 ただし両者は明確に区別できない場合も少なくない.洪水,内水氾濫ともに浸水による家屋や農地などの被害があるが,洪水の場合は堤防決壊箇所付近での家屋の流失,道路走行中の車や人が流されるなど,より深刻な被害に繋がる場合がある.
 
 洪水は,自分がいる場所を見回している限りでは,「突然水がやってきた」と感じるかもしれない.しかし,何の前触れもなく突然洪水が発生することは考えにくい.大量の降雨→近隣の河川水位が上昇→越水や堤防決壊が発生→浸水開始,というケースがほとんどである.雨や,河川の水位に注意していれば,不意打ちは回避できる可能性がある.
 
 河川水位は重要な情報だが,大雨の中で川にちかづくことは危険で推奨できない.筆者の最近約10年間の調査では,「水田,用水路,川などの様子を見に」でかけて亡くなった人が,全犠牲者の11%にも達する.
 
 水位は主な川の多くの地点で観測されており,国土交通省「川の防災情報」,Yahoo!「天気・災害」,静岡県「サイポスレーダー」などのホームページや,SBSとNHKテレビのデータ放送で見ることができる.主な観測所については,注意する基準の水位が設定されており,たとえば「氾濫危険水位」を超えると,その観測所の周辺で水が川からあふれ出す可能性があることを意味する.
 
 まずはハザードマップで自宅や勤務先付近の浸水の可能性を確認し,大雨の時には河川の水位情報にも目を向けたい.「ここが浸水するとは思わなかった」「突然水がやってきた」といった声は少しでも減らしたい.

|

2016年6月29日 (水)

改めて考える地震対策-耐震が一丁目一番地

6月25日付け静岡新聞「時評」欄に掲載された筆者の寄稿記事です.繰り返し指摘されていることですが,人的被害(最も深刻な被害)は明らかに古い家屋に集中しています.
--------------------------
 「平成28年熊本地震」発生から約2ヶ月.この間に3回ほど現地を調査で訪れた.地震は私にとって専門外の現象でもあり,いろいろと知らなかったことにも出会った.この地震では,地震そのものによる直接死者・行方不明者が50人に上った.避難生活などに伴う関連死者数はまだ流動的だが,6月14日静岡新聞朝刊では関連死疑いが20人とも伝えられる.
 
 死者・行方不明者が50人以上となった自然災害は,1980年代以降でも本事例を含めて15事例,仮に70人以上では11事例である.50人以上の被害となったことは大変痛ましいが,決して「未曾有」ではなく繰り返し発生している規模だ.日本が厳しい自然環境下にあることにあらためて愕然とさせられる.
 
 現地を見て最も印象的なことは,すでに多く伝えられてはいるが,「激しく倒壊しているのは主に古い家屋である」だった.比較的新しい家屋の倒壊,損壊も見られたが,大局的には古い家屋の被害の方が目立った.
 
 筆者は今回の地震による犠牲者発生状況の調査を進めているが,地震による建物等倒壊に伴って亡くなった方は38人で,そのうち所在家屋が現在の耐震基準とおおむね同等の1980年代半ば以降の新築だった可能性が高いのは今のところ2人(1世帯)である.犠牲者は明らかに古い家屋に集中している.
 
 4月14日の「前震」があり,その直後は避難したが「もう大丈夫だろう」と考え16日夜は自宅に戻り,「本震」で亡くなったことが伝えられている.確かにそうしたケースも少なくないが,ほとんどが古い家屋での犠牲者だったことを考えると,「もう大丈夫だろう」という判断によって厳しい結果となったというよりは,そもそも家屋自体に主な原因があったと考えた方がいいのかもしれない.
 
 いくら一生懸命避難袋を作り,サバイバル知識を身につけ,緻密な津波避難訓練をしていても,古い家屋に居住し地震発生とともに建物倒壊で命を失っては,それらの「備え」は何の役にも立たない.耐震化の支援策も様々用意されている.賃貸であれば「比較的新しい家屋を選ぶ」ことも立派な対策となる.地震対策の一丁目一番地は耐震化である,とあらためて考えている.

|

2016年5月13日 (金)

自力避難困難者の支援-助ける側の安全 第一

だいぶ時間が経ってしまいましたが,4月13日付け静岡新聞「時評」欄に掲載された筆者の寄稿記事です.「避難を支援する=助けに行く」ととらえる事には強い違和感を覚えます.何よりも重要なのは「支援する人」も含めた各自の安全確保だと思います.

-----------------------------
時評=自力避難困難者の支援-助ける側の安全 第一
 
 災害時の「避難」を考える上で,自力避難が難しい人の支援は大きな課題となっている.近年の災害対策基本法改正で,高齢者,障害者,乳幼児など「自ら避難することが困難な者であってその円滑かつ迅速な避難の確保を図るため特に支援を要するもの」は「避難行動要支援者」と呼ばれ,行政機関による名簿作成が行われることになった.要支援者支援が必要なことは言うまでもないが,「避難を支援する=助けに行く」ととらえる事には,筆者は強い違和感を覚える.
 
 たとえば,地震災害は地震発生の瞬間に最も危険性が高まるタイプであり,「支援」は,状況が少し落ち着いてから要支援者の安否を確認に行く,といったスタイルが想定される.危険がある程度去った事後の活動が中心である.
 
 一方,風水害や津波災害など危険性が次第に高まっていくタイプの災害では,事前の活動の余地がある.しかし,危険性が高まる前に「助けに行く」活動を完了することはかなり難しい.
 
 「AさんがBさんを支援する」といった計画自体はよいが,これを「AさんがBさんを必ず助けに行く」ことととらえてしまうと,助かることが可能だったAさんまでが犠牲になってしまうことにもつながりかねない.
 
 「要支援者を見捨てるのか」「最後の1人まで見逃すな」といったご意見もあろう.しかし我々は東日本大震災で,消防団員254人,民生委員56人,警察官50人が死亡(消防庁資料など)したという,悲しく厳しい現実を見てしまった.すべてが「要支援者を助けるための犠牲者」とは言えないが,「支援する人」が多数亡くなったことは重く受け止めなければならない.
 
 まず何よりも重要なのは「支援する人」も含めた各自の安全確保である.2006年に全国社会福祉協議会が刊行した「民生委員・児童委員発 災害時一人も見逃さない運動実践の手引」にも「危険な状態の中で要援護者の救援を委員自らが行なうということではありません」とある.災害対策基本法でも「災害応急対策に従事する者の安全の確保に十分に配慮して、災害応急対策を実施しなければならない」とある.
 
 「命をかけて助けに行くことが基本」であってはならない.また,安全確保策は極力制度化しておく必要がある.「支援する人は各自の判断で退避」では「自分の判断で見捨ててしまった」と悔いを残すことになりかねない.簡単なことではないが,理想(形式)に陥らず,現実的な対策の検討が重要だろう.
 

|

2016年3月 6日 (日)

自然災害科学中部地区研究集会での当研究室からの発表予稿

昨日2016年3月5日(土)に,静岡県地震防災センターを会場に「平成27年度自然災害科学中部地区研究集会」 goo.gl/bmSSc9 が行われました.当研究室からいくつかの発表が行われたのでお知らせします.

  • 水戸地台の津島さん「1951~2014年の台風の強さと死者・行方不明者の関係」.台風の規模を1つの指標で表現し,それと犠牲者数の関係を簡明に検討した研究.近年になるほど同規模の台風での被害が少ない傾向を示しています.予稿→http://www.disaster-i.net/notes/20160305_tsushima.pdf
  • 沼津市の諸星さん「沼津市における東日本大震災前後の人口変化」.東日本大震災前後の町丁目単位での人口変化を整理し,海岸に近い地区ほど激しく減少する傾向があることを示しました.ある意味今回最も注目される発表.予稿→http://www.disaster-i.net/notes/20160305_morohoshi.pdf この発表については,毎日新聞で報じていただきました→http://goo.gl/Z9pWz5
  • SBS情報システムの蓑田さん「登録型防災メールの活用状況に関する調査」.いわゆる防災メール登録者数が開設後どうに推移するか解析.各種広報より,警報発表など現象発生の方が登録者増加につながっている可能性を示唆.予稿→http://www.disaster-i.net/notes/20160305_minoda.pdf
  • 静岡エフエム放送の日下さん「県域FM局における災害時の放送内容に関する事例調査」.台風接近時のFM放送の内容をテキスト化し分類.避難勧告の報道に時間がかかっている,身近な被害情報を伝えられていないなどの課題を整理.予稿→http://www.disaster-i.net/notes/20160305_kusaka.pdf
  • 静岡市の杉村さん「東日本大震災後の沿岸部住民における津波と洪水の危険度認知」.居住地域の災害危険度認知の調査.津波は強く危険だと思っているが,洪水土砂に対してはあまり危険だと思っていないなどの傾向.予稿→http://www.disaster-i.net/notes/20160305_sugimura.pdf この発表については,毎日新聞で報じていただきました→http://goo.gl/nHZ88a
  • 名古屋地台の向井さん「「クロスロード防災気象情報編」の作成と防災啓発の取り組み」.防災気象情報について情報を造る立場からクロスロードを設計し,実践した取り組みの報告.予稿→http://www.disaster-i.net/notes/20160305_mukai.pdf
  • 静岡大の横幕さん「2003年の豪雨災害の人的被害の原因分析(続報)」.当研究室で行っている風水害犠牲者調査を過去にさかのぼって集計している作業の途中経過報告.予稿→http://www.disaster-i.net/notes/20160305_yokomaku.pdf

|

2016年2月 6日 (土)

災害に伴う犠牲-人ごとでない責任論

だいぶ時間が経ってしまいましたが,1月20日付け静岡新聞「時評」欄に掲載された筆者の寄稿記事です.なにかというと「ケシカラン」と評論なさっている方々,明日は我が身がされる側かもしれませんよ,という嫌みな内容です.

-------------------------
時評=自然災害に伴う犠牲-人ごとでない責任論
 
 自然災害に伴う被害で最も痛ましいのは「犠牲者の発生」だろう.自然災害の原因となるハザード(地震,大雨など)は自然の現象だが,ハザードにより生じた「被害」は人間社会の現象である.自然災害に伴う犠牲者は自然の力によるもので誰のせいでもない,という考え方もあるが,一方で,誰かが対応を誤ったために犠牲者が発生したのだ,という考え方もあり,裁判で争われることもある.
 
 たとえば2009年兵庫県佐用町の水害では,避難勧告の発令時刻が遅かったなどとして犠牲者のご遺族の一部が町を相手に損害賠償の訴訟を起こした.結果的に神戸地裁姫路支部は訴えを棄却し,原告,被告ともに控訴せず判決は確定している.
 
 しかし,判決は故意や過失による不当な勧告で被害が生じた場合,自治体側は賠償責任を負うとの判断を示しており,状況によっては責任を問われる可能性が示唆された.
 
 また,東日本大震災に関連してはいくつかの訴訟があるが,宮城県石巻市の私立幼稚園に関わる訴訟では,仙台地裁が「地震発生後に津波に関する情報収集義務の履行を怠った結果,(園児の乗る)バスを眼下に海が間近に見える高台にある幼稚園から海側の低地帯に出発させて園児ら4名の津波被災(死亡)を招いた」などとして,原告の主張を全面的に認める判決を出し,その後控訴審で園側が責任を認め和解となった.
 
 ハザードマップでは津波浸水想定区域からは近いところでも数百m離れた場所にバスを走らせたことなどの責任が問われ,判決はハザードマップで浸水域でなかったとしても大津波警報や高台への避難の呼びかけなどから,危険性についての予見可能性はあったと判断した.
 
 災害時の犠牲者発生と人の対応の因果関係については様々な見方があり,何が絶対に正しいということはない.しかし,「予見可能性」を広めに認め,管理者側の責任を問う判決が出つつあることも現実である.
 
 管理者とは公的機関関係者には限られず,現に前述した訴訟の被告は民間の幼稚園関係者である.企業や各種組織で管理的立場に立つ人は非常に幅広い.
 
 他地域の災害のニュースを見て「悪い奴が責任を取らされるのは当たり前だ」と思っていた当人が,自らの地域での災害後に突然「悪い奴」とされてしまう可能性もある.どのように対応するかは難しいが,このような現実があることは,社会で暮らす我々皆が心にとめておきたい.

|

2015年12月 1日 (火)

自治体防災部署 厳しい立場-人材の育成は不可欠

11月21日付け静岡新聞「時評」欄に掲載された筆者の寄稿記事です.相変わらず行政べったりの御用記事です.自治体防災担当者の苦境を訴えると共に,そうした人たちを支援する目的で静岡大学で開始した育成講座が資金的に限界を迎えつつ有り,「お金がありません」ということも訴えています.

-------------------------
時評 自治体防災部署 厳しい立場-人材の育成は不可欠
 
 我々住民に関わる防災対策を直接的に執り行う責務を負うのは,基本的に市町村とされている.「避難勧告」が首相でも県知事でもなく,市町村長から基本的に出されるのはこのためである.各市町村には防災関係部署があり,平時の計画策定・訓練,災害時の状況把握・判断,災害後の復旧・復興計画などを行っている.住民の生命,財産に関わる部署だが,現実にはなかなか厳しい環境下におかれている.
 
 まず,配属職員数が決して多くはない.筆者が2014年に全国の自治体対象に行った調査によれば,防災関係部署の専従担当者が0人,つまり兼任担当者のみの自治体が全体の30%に達し,1人(15%),2人(11%)を合わせても過半数の自治体では担当者2人以下という状況である.小規模自治体で担当者が少ない傾向だが,「市」でも専従担当者0人は13%に上る.
 
 専従担当者といっても,防災の専門知識を持った職員という意味ではない.一般的に防災関係部署は総務系部局の一部におかれ,いわゆる事務系の職員が主に従事し,役所の他の仕事と同様に2~3年程度のローテーションで交替している.
 
 防災に関しては,自然科学的,社会科学的な様々な情報や制度が存在するが,担当者は特にこうした基礎知識を持った上で採用されるわけでなく,担当前に特別な教育が義務づけられているわけでもない.しかし,いざ災害となった場合には,様々な専門的情報を活用して重大な判断を迫られる,大変厳しい仕事である.
 
 近年になって,こうした自治体の防災担当者などの実務者を支援することの必要性が指摘されるようになり,内閣府による「防災スペシャリスト養成研修」などの研修制度も始まった.静岡大学でも2011年から静岡県と連携し「ふじのくに防災フェロー養成講座」を実施している.
 
 しかし,こうした研修を継続的に実施するための人員,予算の確保にも課題が生じている.我々の「ふじのくに防災フェロー養成講座」も文科省からの助成が終了し,大学や県からの資金的支援をいただきつつあるが,来年度からはまとまった額の受講料徴収が必要となるなど,予算的には厳しい状況を迎えつつある.
 
 直接的な利益を生む取り組みではないこともあり,資金確保は難しい面が多いが,防災人材の育成は社会として不可欠なことであり,さらに努力を重ねたいと考えている.

|

2015年10月 1日 (木)

案外奥が深い「降水量」 捉えにくい「激しさ」

9月17日付け静岡新聞「時評」欄に掲載された筆者の寄稿記事です.台風18号が日本に接近中,浜松付近の浸水災害が起こる前日,鬼怒川の破堤氾濫が発生する前々日頃に執筆した原稿です.この直前までの,今年の豪雨災害の「少なさ」にかえって恐怖を感じて書いたものでした.やはり,雨は侮れません.
 
-----------------------------
時評 案外奥が深い「降水量」 捉えにくい「激しさ」
 
 天気予報や各種気象情報で毎日のように聞く言葉に「降水量」がある.当たり前のように使っている言葉だが,これが案外難しい.
 
 地面に降った水が、しみこんだり,流れたりせずに,そのまま地面に溜まったとした場合の水の深さをmm(ミリメートル)単位で計ったものを降水量という.貯まった水の体積や容積を測るものではない.雪などの固体で降った場合は、それを溶かした水の深さを測ることになる.雨量という言葉もよく使われる.降水量という場合は雪なども含めたものであり,雨量というのは液体の水で降ってきたもののみを指すが,厳密には使い分けられていない.専門的には主に降水量という.
 
 降水量は,その値が示されても,その値の「激しさ」をとらえにくいのではなかろうか.気象庁の「雨の強さと降り方」という表によれば,1時間降水量20~30mm程度で「強い雨(どしゃ降り)」であり,地面一面に水たまりができる,車のワイパーを速くしても見づらいといった状態になる.この表で最も大きな値は80mm以上で,「猛烈な雨」とされ,「水しぶきであたり一面が白っぽくなり視界が悪くなる」という状態である.
 
 ただし,降水量の「激しさ」は1時間降水量だけでは表現できない.しばらく雨が降っていない状況下で「猛烈な雨」が降っても1時間程度でやめば,家屋の倒壊や多数の犠牲者発生といった大きな被害につながることはまずない.しかし,弱い雨が降り続いた後で「猛烈な雨」が降る,「猛烈な雨」が数時間続けて降るなどすれば大きな被害につながる可能性が高い.
 
 雨による深刻な被害は,どちらかといえば1日などのまとまった時間の降水量の方が目安としては使いやすい.では,1日の降水量がどの程度になれば要注意なのか.これは地域によって「何倍」という単位で異なり,数字を挙げることが難しい.一つの目安としては,その地域で過去に記録された最大値を見る方法がある.
 
 たとえば1日の降水量について共通の統計がある1976年以降で県内各地の最大値を見ると,静岡は368mmだが,伊豆の天城山では627mmである.一方,西部ではやや値が小さく浜松では223mmである.あくまでも簡単な目安だが,それぞれの地域でこれらの値を大きく超える雨が降れば,災害に結びつく可能性がある.
 
 過去の降水量記録は気象庁ホームページで確認できる.現在の降水量もネット上の各種気象関係のページのほか,テレビのデータ放送でも読み取れる.よく聞くけど案外奥が深い「降水量」について,時には考えてみてはいかがだろうか.

|

2015年7月 3日 (金)

豪雨災害 犠牲減らすには-実態把握して対策を

 7月2日付け静岡新聞「時評」欄に掲載された筆者の寄稿記事です.至る所で紹介している,当方で行っている豪雨災害時の人的被害に関する研究成果の概説ですが,「時評」ではこれまで書いたことが無く,時期も時期ですので,取り上げてみました.
 
-----------------------------
豪雨災害 犠牲減らすには-実態把握して対策を
 
 今年も出水期(しゅっすいき)がやってきた.出水期とは,河川が増水しやすい時期のことで,一般的には前線や台風などの影響で雨が降りやすい6~10月頃を指す.河川が増水するときは,多量の雨が降るときであり,このようなときは土砂災害も懸念される.出水期は,洪水,土砂災害といった,いわゆる豪雨災害に注意が必要な時期である.
 
 豪雨災害時の被害にも様々なものがあるが,最も深刻なのは死者などの人的被害だろう.豪雨災害時にどのような犠牲者が生じているのか,実はあまり明らかになっていない.本稿では筆者が行った2004~2014年の豪雨災害による全国の犠牲者712人の集計結果から考えてみたい.
 
 まず犠牲者が生じた原因となった現象は,「土砂災害」が49%と最も多く,以下「洪水」18%,「河川」19%,「強風」6%,「高波」3%などとなる.ここで「洪水」とは川からあふれた水で犠牲者が生じたケースであり,「河川」とは,用水路の見回りや,川沿いの道を通行するなど,増水した川に近づいて亡くなったケースである.大雨でも川があふれていなければ大丈夫,という訳ではないことが示唆される.
 
 犠牲者の遭難場所を大別すると,「屋内」51%,「屋外」48%となる.原因となった現象別に見ると,「土砂災害」のみは「屋内」が大多数(87%)だが,他の現象では「屋外」が多数を占める.自宅などにいる人が避難することで犠牲者を減少させることが期待できるのは主に土砂災害で,他の現象については,むしろ激しい現象が発生している際に屋外で無理な行動をとらないことが重要であることが示唆される.
 
 犠牲者の年代を見ると,65歳以上が犠牲者全体の54%を占める.高齢化が進んだとはいえ,2010年の国勢調査で65歳以上の人口比は23%であり,豪雨災害の犠牲者は高齢者の比率が高い.しかし,日頃から介護が必要だったなど,いわゆる「避難行動要支援者」と思われる犠牲者は全犠牲者の4%ほどである.日常生活には特に支障の無い高齢者にも注意を向けなければ,高齢者への被害集中の改善は期待できない可能性がある.
 
 豪雨災害の犠牲者発生状況を精査すると,何となくイメージされる犠牲者像と実態の乖離に気づかされる.被害軽減のためには,実態を把握した上での対策が重要だろう.

|

2015年3月11日 (水)

東日本大震災 私の教訓-嫌われても対策発信

3月11日付け静岡新聞「時評」欄に掲載された筆者の寄稿記事です.ありきたりですが,4年目の3月11日を迎えて思うことを書きました.

 
読んでいただければわかりますが「嫌われても」とは「お上に疎まれても正しいことを言うのだ」という意味では絶対にありません.私はそういう反体制っぽい思考が大嫌いです.
 
-----------------------
東日本大震災 私の教訓-嫌われても対策発信
 
筆者は4年前の3月11日14時46分を,静岡市内の駐車場に停めた車に乗り込んだところで迎えた.異様に長い揺れに,これは遠方でかなり規模の大きな地震が起きたと思い,ラジオのスイッチを入れた.番組はすでに地震報道に切り替わっており,宮城県で震度7が,さらに大津波警報の宮城県6m,岩手県・福島県で3mが伝えられた.宮城のみとはいえ地震発生直後に「6m」が出たことで,これまで警戒されてきた想定宮城沖地震より大きなものが来たのではと思いつつ車を大学に向けて走らせた.
 
大学に戻っても最初は状況がよくわからない.しかし15時15分頃だったか,テレビで見覚えのある岩手県釜石市の防潮堤を津波があっさりと乗り越えていくのが見え,想定宮城沖地震どころではない,とてつもない事態が発生しつつあることを悟った.
 
筆者は静岡へ来る前に岩手県立大に在職しており,その頃からの調査フィールドである岩手県陸前高田市のことが気がかりだった.当初は全く情報が無かったが,12日未明になって同市が津波に飲まれる映像,12日朝にはごく一部の建物しか残存していない同市街地の映像が伝えられた.
 
災害発生後最初に同市に入ったのが3月29日.海岸から4キロ以上離れた場所から「あらゆるものが流された結果,そんな所から見えるはずがない海が見えた」時の気持ちは忘れられない.同市の震災前2010年の人口は23300人,津波・地震による直接死者と行方不明者は1771人(2013年9月資料)となった.
 
筆者は震災前,陸前高田市気仙町今泉地区で,住民の防災意識調査,防災ワークショップ,マップ作り,講演などを行っていた.自分が偉そうに防災を語り,「調査」をした地区が大規模な津波に襲われて文字通り壊滅し,この地区だけで数百人規模の犠牲者が生じた.取り返しのつかないことになってしまった.
 
防災対策は単純明快なものではない.根拠不明なイメージが先行して多くの人が「これはいい」と思っている対策が,実は的外れでかえって被害を誘発しかねないものだった,ということすらある.行政への批判,要求を叫ぶことは簡単だが,そんなことで課題は解決しない.住民や善意の方々に,耳障りな話を説かねばならないことも少なくない.一方で自分が使える時間は有限であり,できない事はできないと明言することも必要だ.自分に何ができるかを考え,嫌がられても言うべきことは言い,されど理想には逃げ込まず現実的解決策を探る.これが私の東日本大震災の教訓である.

|

より以前の記事一覧