今は新型コロナウィルス感染症で大変で,洪水・土砂災害の避難の話なんかしてられないよ,と思われるかもしれません.その気持ちもよく分かります.しかし,もしかすると現在の状況下で重要となってくるかもしれないポイントがあると思いましたので,話を絞って書き述べてみることにしました.とは言っても,極力誤解を避けるために,回りくどい長文(約5800字)です.図表は取り急ぎ,省略しています.
■3月末に公表された水害時の「避難」に関する報告書から
2020年3月31日に,2019年の洪水・土砂災害での課題を踏まえた様々な取組について,3つの報告書が公表されました.
●内閣府
令和元年台風第19号等を踏まえた水害・土砂災害からの避難のあり方について(報告)
http://www.bousai.go.jp/fusuigai/typhoonworking/index.html
●国土交通省
河川・気象情報の改善に関する検証報告書
https://www.mlit.go.jp/report/press/mizukokudo03_hh_001018.html
●気象庁
防災気象情報の伝え方の改善策と推進すべき取組について
~令和元年度に実施した「防災気象情報の伝え方に関する検討会」における検討結果~
http://www.jma.go.jp/jma/press/2003/31a/20200331_tsutaekata_report2.html
これら3点の報告は相互に連動しており,私はいずれにも委員または助言者として参加させていただきました.無論,以下の文章はこれらの検討会等とは無関係で,私の個人的な考えです.
一連の報告書で述べられていることは,基本的にはこれまでの取組の強化や,制度周知の徹底が中心と言っていいでしょう.情報の伝え方や強調の仕方の工夫はありますが,「新たな情報の新設」などはありません.これは良いことだと思います.ここ十数年,目立った洪水・土砂災害が起こる都度,その「教訓」を「生かし」,「『わかりやすい』情報や制度」が新設される,といったことが繰り返されてきました.その結果,「『わかりやすい』情報」が多く,複雑になり,その整理が必要ではないかという声も上がるようになりました.
昨年2019年3月29日に公表された内閣府「避難勧告等に関するガイドライン(平成30年度)」は,「警戒レベル」という5段階の数字による表に様々な情報を当てはめることにより,複雑化した情報の整理の第一歩としたものと,筆者はとらえています.今回の一連の検討では,このガイドラインは改定されませんでした.これも私は良かったと思っています.毎年のように改定されるガイドラインは,「改善」ではありましょうが,それを普及させる自治体の現場,受け止める私たちの社会のことを考えれば,あまり良いこととは言えないと私は思っています.
今回の3点の報告書で,注目されるポイントはいくつかあるのですが,昨今の状況に関わりそうな一点に絞って話を続けます.それは,洪水・土砂災害時の避難については,
「避難イコール避難所Go! だけ,ではない」
ということだと思います.これは,今回の報告書で新たに出てきた話ではなく,近年のガイドライン等でもたびたび強調されているところで,今回更に強く呼びかける方向が示されたものと理解しています.
このようなことを言うと,「行政は避難せよと言っているではないか,避難所へ行くなというのか」「一刻も早く避難することが東日本大震災の教訓ではないか」,といった不信感を持たれるかもしれません.私が言っているのは「避難するな」という話ではありません.「避難とは,どのような場合にも,一定の避難場所に移動することが有効なわけではありません」という話です.「わかりにくい」かもしれません.しかし,自然災害は自然現象に起因するものです.自然は複雑で「わかりにくい」ものです.「自然」と向き合うためには話を単純化せず,私たちも少し汗をかかなければならないと,私は思います.
■そもそも「避難」とはなんだろう
内閣府「避難勧告等に関するガイドライン 避難行動・情報伝達編(平成31年3月)」には,
「避難行動」は、数分から数時間後に起こるかもしれない自然災害から「命を守るための行動」である。
との記述があります.その上で,
避難勧告等の対象とする避難行動については、命を守るためにとる、次の全ての行動を避難行動としている。<中略>
① 指定緊急避難場所への立退き避難
② 「近隣の安全な場所」(近隣のより安全な場所・建物等)への立退き避難
③ 「屋内安全確保」(その時点に居る建物内において、より安全な部屋等への移動)
と書かれています.このうちの①が一般にイメージされる「避難」でしょうか.しかし,それだけが「避難」ではなく,場所や状況によっては②や③も「避難」であり,けっしてこれらが「間違った行動」ではないことが書かれています.
■津波と水害では「避難」のあり方が異なる
そもそも,避難のあり方は,原因となる自然現象によって異なります.津波災害の避難であれば,「海岸付近で強い揺れを感じたら,少しでも早く高い場所へ移動すること」が「避難」である,と理解してほぼ間違いではないと言っていいでしょう.しかし,洪水・土砂災害は津波との相違点,共通点があります.
- 危険が予測される段階から危険な状況の発生までに時間的余裕があることが多い.ただし,その幅は数日~数時間,場合によるとほぼ無いこともあるなど,ばらつきも大きい
- 海岸付近に限定されず,全国どこでも発生するが,地形的に起こりやすい場所,起こりにくい場所がある
- 建物内にとどまることにより命の危険を免れうることがかなり期待されるが,建物内では助からないこともしばしばある
- 屋外で行動中に洪水,土砂災害に見舞われると,命の危険につながる可能性がかなり高い
私の最近約20年間の洪水・土砂災害犠牲者1259人を対象とした調査では,犠牲者の発生場所は「屋外」が47%,「屋内」51%と屋内外はほぼ半々です.土砂災害については82%が「屋内」ですが,洪水など水関連犠牲者では「屋外」が71%,強風や高波の犠牲者も「屋外」が79%に上ります.土砂災害については危険な場所にある建物から立退き避難することが有効ですが,不用意に屋外を行動すると,水などに襲われてしまうという危険性があるわけです.
家屋が倒壊・流失する状況では,屋内にいても犠牲者が出る可能性が高まります.土砂災害,特に土石流に見舞われると家屋全体が倒壊してしまうことも珍しくありません.一方洪水で家屋が流失するケースは,堤防が決壊した場所や,堤防のない河川の脇などに限定され,浸水だけで家屋が流失することはほとんどありません.浸水だけならば,建物の上層階に移動できれば命は助かることが期待できます.筆者の調査では,浸水による屋内犠牲者が目立った平成30年7月豪雨や,2019年台風19号でも,2階建て建物の2階で亡くなった犠牲者は明確には確認できていません.
つまり,洪水・土砂災害からの避難は,場所や状況により,「適切な行動」がかなり多様で,一律に「指定避難場所へ避難」とだけ覚えておくことが良いとは言えないと思います.
一方,洪水,土砂災害の犠牲者は,その多くが「起こりうる場所」で発生していることは,犠牲者を軽減する上で重要なポイントでしょう.先にも挙げた私の調査では,土砂災害犠牲者の87%が,土砂災害危険箇所等の付近で発生しています.水関連犠牲者が浸水想定区域付近で亡くなったケースは41%と多数派とは言えませんが,地形的に見ると,洪水の可能性がある「低地」で亡くなった犠牲者が92%でです.けっして「起こるはずもない場所で多くの犠牲者が生じている」訳ではありません.なお,この調査結果については内閣府報告書にも収録いただいています.
■内閣府報告書の「避難行動判定フロー」を読む
こうした洪水・土砂災害犠牲者発生状況に関する知見も元に,今回の内閣府報告書には,「避難行動判定フロー」及び「避難情報のポイント」という資料が収録されました(50~53ページ).まずは「避難行動判定フロー」を見ましょう.
ここでは,ハザードマップを参照し,自宅がどのような危険性があるかを確認する際のポイントが上げられています.なお,大前提としてハザードマップは,家一軒ごとの危険性の有無を明確にしめせるような精度はないので,あまり細かくは見ないで欲しいところです.「自宅付近」の危険性を読むつもりで見たいところです.
ああ,そういうややこしい話はいい,はっきり,分かりやすく言え,と思われるかもしれません.すみません,繰り返しますが,自然はややこしいのです.情報にはばらつきや幅があります.時間,空間的に,かなり幅を持ってみる,という姿勢について,ご理解をお願いします.「避難行動判定フロー」もあまり単純な図にはなっていません.フローの分かれた先に,「ああでもない,こうでもない,こういう場合もある」みたいなことが書いてあります.
「避難行動判定フロー」ではまず
家がある場所に色が塗られていますか?
とあります.これをまず確認することが重要です.「いいえ」,つまり,色が塗られていない場所では,闇雲に「避難所Go!」をする必要性は低いといえます.そういったところにいるのであれば,むしろ屋外を行動して難に遭うことを避けるために,自宅にとどまることが重要でしょう.
ただし「いいえ」となっても,絶対に安全とは言いきれません.特に中小河川の付近では「地形的に洪水が起こりうるけど,情報整備が間に合っておらず,色が塗られていない」事がかなりあります.堤防がない小さな河川のすぐ脇,というような場合は,色が塗られていなくても洪水の影響を受けうる,と考えていただいても大きな間違いではないでしょう.
さて話を続けます.「避難行動判定フロー」で,
家がある場所に色が塗られていますか?→はい→災害の危険があるので、原則として、自宅の外に避難が必要です。→例外
という流れがあります.その先の枠内に
※浸水の危険があっても、
①洪水により家屋が倒壊又は崩落してしまうおそれの高い区域の外側である
②浸水する深さよりも高いところにいる
③浸水しても水がひくまで我慢できる、水・食糧などの備えが十分にある場合は自宅に留まり安全確保をすることも可能です。
※土砂災害の危険があっても、十分堅牢なマンション等の上層階に住んでいる場合は自宅に留まり安全確保をすることも可能です。
とあります.
ここです.つまり,「避難イコール避難所Go!」ではないですよ,それぞれの自宅の場所や建物の状況を確認し,自宅にとどまることも選択肢の一つですよ,という話です.土砂災害の場合は,「少しでも斜面から離れた部屋に」を追加しても良かったかもしれません.
「避難行動判定フロー」の裏面ではこのあたりについて更に強調する言葉が続いています.
・「避難」とは「難」を「避」けることです 安全な場所にいる人は、避難場所に行く必要はありません
・避難先は小中学校・公民館だけではありません 安全な親戚・知人宅に避難することも考えてみましょう
ここでは明記されていませんが,金銭的な負担もいとわないのであれば,危険性の低い場所にあるホテルや宿泊施設に宿泊するといった選択肢も十分ありうると思います.
■「避難所に集まる人を少しでも減らす」
さて,新型コロナウィルス感染症の流行状況下と,この避難の話にどんな関係があるか,なんとなくおわかりかと思います.新型コロナウィルス感染症の流行を抑制する方法として,密閉・密集・密接の「3つの密」を避けることが重要であるといわれています.災害時の避難所は,まさにこの「3つの密」の場ではないか,と心配する人もいるかと思います.この問題は非常に難しく,「こうすれば確実に安全だ」という対策はなかなか立てられないのではないかと思います.
そうなると,「避難所に集まる人を少しでも減らす」という考え方も,あくまでも方法論の一つとしては,考えられることではないかと思います.「避難行動判定フロー」に示された情報を参考に,避難の必要性が高くない人は自宅にとどまる,避難の必要性がある人も,なるべく避難場所を使わない避難の方法を考えておく,という形で難を避け,どうしても避難場所を使わねばならない人が避難場所を利用する,という方向です.これは,新型コロナウィルス感染症の流行状況下に限らず,避難場所の対応能力が必ずしも十分でない場合もあることを考えると,一般的な洪水・土砂災害時であっても的外れな方向ではないのではないか,と思っています.
無論これは,非常に微妙な話であり,逆に危険を惹起しかねない危うさもあります.「避難場所に集まらなくても良いのだ」という考え方「だけ」が強く印象づけられ,闇雲に「コロナも怖いし避難は止めよう」という考え方が広がってしまう,という危険性です.あくまでも「避難イコール避難所Go! だけ,ではない」です.「避難所に行かなくていい」と【だけ】言っているのではありません.避難場所に移動すること以外にも,いろいろな「避難」のあり方があり,それを平時から考えておくことが重要で,それは簡単とは言わないけど,不可能でもない,ということです.
はい,また「わかりにくい」話になりました.すみません,繰り返しになりますが,自然と向き合うのは「わかりにくい」ことの連続です.どこかに「これさえ理解すれば解決!」みたいな「コツ」はありません.「こうすればいい」という,すべての人に一律適用可能な「ノウハウ」もありません.私たち自身のおかれた条件があまりにも多様なため,私たちそれぞれが考えておくしかないのだと思います.
残念ながら,「避難イコール避難所Go! だけ,ではない」という考え方で準備を進めたとしても,新型コロナウィルス感染症の流行状況下での避難所についての課題がきれいに解決するわけではありません.最も効果的に機能したとしても,部分的な解決策の一つにすぎないでしょう.ただ,防災対策はそもそもそうした「一発解決にはならない細々した対策」の積み重ねでありましょう.また,この考え方は,新型コロナウィルスの危機が去ったあとでも有効な対策の一つになり得ると思います.
「避難」については,いろいろなお考えがあると思います.私がここで述べた考え方に反発を感じる方もいるかもしれません.私は「みんな必ずこうすべきだ」と述べるつもりは全くありません.あくまでも一つの考え方です.
なお,大変申し訳ありませんが,個々の場所について「どうしたらよいのか」というご質問に対応できる余裕がこちらにはありません.ご理解をいただきますようお願い申し上げます.