静岡新聞「時評」

2021年4月 9日 (金)

線状降水帯情報の新設に思う まず「危険度分布」活用

(2021年04月01日付静岡新聞への寄稿記事)

 

 気象庁「防災気象情報の伝え方に関する検討会」で、「線状降水帯」に関する気象情報の新設が提案されている。同会資料によれば「顕著な大雨に関する気象情報」を新設し、「○○地方では、線状降水帯が発生した可能性があり」といった文言で伝えることが考えられている。

 

 線状降水帯とは、気象庁の予報用語では「次々と発生する発達した雨雲が列をなした、組織化した積乱雲群によって、数時間にわたってほぼ同じ場所を通過または停滞することで作り出される、線状に伸びる(一部略)強い降水をともなう雨域」とされている。近年では、2020年7月の熊本県南部、2018年7月の広島県などの豪雨災害時にみられている。

 

 同会で気象庁が示したアンケート結果では、「線状降水帯を観測した場合に気象庁が情報提供することについてどう思いますか」の質問に対し、「情報を提供して欲しい」が92%だった。線状降水帯だけに着目すればこうした結果となるのは当然で、筆者自身もこう答えると思う。線状降水帯の発生を解説的な情報として伝えることに違和感はない。しかし、防災気象情報全体を眺めると、すでに多種の情報が存在するなかで、さらに新たな種類の情報を増やしてよいものか、疑問も感じる。

 

 「氾濫警戒情報」「内水氾濫危険情報」「土砂災害警戒情報」「記録的短時間大雨情報」「高潮氾濫危険情報」「早期注意情報」「竜巻注意情報」。これらは筆者が「知名度が低いのでは」と思う防災気象情報で、この他にも様々な情報がある。あるいは、「大雨特別警報」「暴風特別警報」はあるが、「洪水特別警報」は存在しない。これら情報の意味や危険度をだれもが完全に理解できるだろうか。率直に言って筆者もその自信はない。

 

 「線状降水帯」は大雨をもたらす気象現象の1つであり、それ自体が洪水・土砂災害をもたらすのではない。洪水・土砂災害をもたらすのは「大雨」であり、その原因が時には台風であり、低気圧であり、線状降水帯である。原因に関係なく「大雨」による災害の危険度を高低を細かな地域毎に示す情報として気象庁は、洪水・土砂災害などの「危険度分布」を運用している。「防災」を考えたいのなら、まず活用すべきはこの情報ではなかろうか。

 

【追記】

 
 文中で挙げた気象庁「防災気象情報の伝え方に関する検討会」については下記に資料が挙げられています。線状降水帯の情報については、主に第8回、第9回で議論されています。

 

気象庁|防災気象情報の伝え方に関する検討会
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/shingikai/kentoukai/tsutaekata/tsutaekata_kentoukai.html

 

 まずあらためて強調しておきますが、筆者は線状降水帯に関する情報なぞ一切必要ないとは考えていません。「台風」とか「発達した低気圧」のように、激しい気象現象が生じていることを、解説的な情報の「内容」として伝えることは意義があると考えています。

 

 また、線状降水帯という言葉の定義が必ずしも明確になっていない状況下で、言葉自体が社会的に広く認知されつつあることを考えると、気象庁により言葉を何らかの形で定義し(今後の研究・技術的進展に伴い定義は少しずつ変化してもよいでしょう)、個々の事例について「線状降水帯が発生」と、ある種の「認定」を行うことも意義があると思います。

 

 しかし、既に膨大な「種類」の気象情報がある中で、「線状降水帯が発生」という「(やや目立つ)新たな種類の情報」を増やすことにはためらいを感じます。ここ数年、線状降水帯に関わる大雨による災害がいくつか目立つ形で発生しました。しかし、大雨にともなう被害をもたらすのは線状降水帯だけではありません。台風による雨も考えられますし、線状降水帯による大雨のような短時間・集中的な降り方だけでなく、長時間降り続くタイプの雨である場合もあります。あるいは気象現象としては、高潮とか暴風なども無視できません。目先の出来事としては線状降水帯に関心が持たれ、その情報が必要だ、という気持ちになるかもしれませんが、それだけ注意していればいいわけでもありません。「線状降水帯ではないから安心」などということもありません。

 

 となると、注意すべきは線状降水帯とか台風とかいった「大雨をもたらす現象」よりは、「大雨による危険度はどうなっているか」のほうが、端的で「わかりやすい」のではないでしょうか。こうした、洪水などの「危険度分布」は「キキクル」という愛称がつきましたが、気象庁のトップページから参照できます。

 

 繰り返しますが、線状降水帯についての情報を一切出すべきではないとは思っていません。ただ、いろいろな災害がある都度、新たな種類の情報を増やしたり、呼称を変えたりすることによって、情報が膨大・複雑になってきたことを考えると、気象情報や避難情報については、整理統合も目指していった方がいいように感じます。

 

 正直なところ、「防災のために役立つよい情報を出そうとしているのに邪魔をするのか」といった批判が予想され、この記事を書くことに対しては、かなりおびえを感じています。これはあくまでも私の考え方であり、これに従うべきだと、他人に押しつけるものではないことはご理解いただければと思います。

 

※この記事はnoteにも書いています。
https://note.com/disaster_i/n/n76286ce91c5f

 

2021年2月11日 (木)

外出予定を見合わせる 災害時 被害軽減に有効

(2021年02月03日付静岡新聞への寄稿記事)

 災害時の「避難」とは「避難所へ行く」だけではなく、「難を避ける」ための行動全般を指す、と近年強調されている。「避難所へ行く」ことは目的ではなく一手段であり、場所や状況に応じた対応が必要ということである。

 

 「難を避ける」行動のひとつとして「外出予定を見合わせる」が考えられる。たとえば、台風接近時に出勤などの外出を取り止めるといった対応である。「避難所へ行く」に比べ実施のハードルが低い対応かもしれない。また、「避難所へ行く」が有効なのは洪水・土砂災害などの危険性がある場所が中心だが、「外出予定を見合わせる」はその場所の災害危険性の高低に関わらず、ほとんどの人にとって有効な対応となりうる。

 

 筆者の調査結果では最近約20年間の風水害犠牲者の約半数は屋外で遭難している。そのほとんどは避難とは無関係で、用事・仕事などで屋外に外出したケースである。また、すべての屋外犠牲者についての確認はできないが、その多くは自宅の倒壊など自宅にいても命を落とすような状況は生じていなかった可能性が高い。あくまでも結果論だが、「外出予定を見合わせる」ことでこれら犠牲者の多くは生じなかった可能性もある。

 

 災害時に「外出予定を見合わせる」ことはすでに多くの人が実施している可能性もある。2019年10月台風19号の際に筆者が静岡県、神奈川県で行った調査では、勤務先への出勤予定があった人の7割前後、個人的な用事での外出予定があった人の8割前後が予定を取り止めたと回答した。

 

 近年、荒天が予想される際に鉄道などが計画的に運休することが珍しくなくなった印象がある。あるいは、コロナ禍を経てのテレワーク推進や、体調が悪いときには無理して出勤しないという呼びかけの日常化などもあり、何らかの支障が予想される際に「外出予定を見合わせる」ことを私たちの社会が受け入れやすくなった面もあるのではないか。無論、災害の危険性が高い場所など「避難所へ行く」の重要性が高いケースはある。あらゆる時点・場面で「外出予定を見合わせるだけでよい」訳ではないが、「外出予定を見合わせる」ことも災害時に有効な被害軽減策の一つであるととらえることも重要ではなかろうか。

 

【追記】

 風水害時の「避難」のあり方が多様であった方がよいだろう、というのはたびたび申し上げているところで、今回の記事もその話題の1つです。「立退き避難」せず自宅にいたところ自宅が倒壊するなどして犠牲となった人について、「避難していれば助かったのでは」と考えることは自然なことで、それが間違いというつもりはありません。しかし、風水害犠牲者全体の約半数が屋外で遭難していることを考えると、避難場所等への立退き避難【だけ】で犠牲者を大きく軽減することは難しそうに思います。この記事で挙げた「外出予定を見合わせる」も、それが唯一の正解ではありませんが、犠牲者軽減手段の1つとしてもう少し注目されてもよいのでは、と思っています。

 

 「外出予定を見合わせる」は、避難所等への立退き避難に比べれば「やりやすい」対応のようにも思います。とはいえ、個人的な用事ならまだしも、自分以外の人も関わるような行事等に「悪天候だから」という理由で欠席することは実際にはなかなか容易でないとも思います。実は、私自身が講師であった講演会を「悪天候」を理由にキャンセルしたり、取りやめを働きかけたことが何回かあります。そうしてとりやめた講演会主催地付近でそれなりの規模の災害が結果的に起きたこともありますが、何事も無かったこともあります。いずれにせよ、主催者や関係者のみなさまには迷惑はおかけしたと思っていますし、二度と頼みたくないと思われた方もいるだろうなと思っています。

 

 「他人事」として「空振りを恐れるな」を言うことはたやすいですが、「自分事」、というか「他人も関わっている自分事」になると本当に難しいところだなと思います。なお、「風水害犠牲者全体の約半数が屋外で遭難」については、下記記事をご参照ください。

 

台風などの風水害犠牲者の半数は屋外で遭難 風雨が激しいときの屋外行動は要注意(牛山素行) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/ushiyamamotoyuki/20200904-00196557/

 

 「2019年10月台風19号の際に筆者が静岡県、神奈川県で行った調査では、勤務先への出勤予定があった人の7割前後、個人的な用事での外出予定があった人の8割前後が予定を取り止めた」については、残念ながら論文化等ができていないのですが、下記に集計結果概要だけは公表しています。

 

2019年台風19号災害時の災害情報に関するアンケート【2019/10/29速報版】
https://disaster-i.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-f8284d.html

 

 なお、2020年台風10号接近時の「外出予定を見合わせる」行動についての調査の概要を、3/19~20に行われる日本自然災害学会学術講演会で口頭発表する予定です。

 

【2021/04/16追記】自然災害学会で発表した上記の話題についての予稿集原稿は、下記に掲載しました。
牛山素行:2020年台風10号接近時の住民の「予定変更行動」について,日本自然災害学会第39回学術講演会講演概要集,pp.115-116,2021
http://www.disaster-i.net/notes/2020jsnds.pdf

 
※この記事はnoteにも書いています。
https://note.com/disaster_i/n/ncc43fa236f56

2020年11月27日 (金)

風水害被災現場を見る 多様な視点から記録

(2020年11月26日付静岡新聞への寄稿記事)

 

 先日あるテレビ局から、十数年前に起こったある風水害被災現場の写真を持っていないかとの照会を受けた。覚えのある地名で、確かに現地調査しており、数点の写真を提供できた。災害後の地域の取組を紹介する番組で、写真は放送のお役に立ったようだ。土砂災害で一人の方が亡くなった所で当時報道もあったが、全国的に注目されたような場所ではなかった。筆者のところに照会が来たのは、取材過程で地元の方から、筆者が当時現場に来たようだとの情報を得たためと聞いた。

 

 当時この現場での聞き取りや、関係者への問合せなどをした記憶はないが、写真と現地を見てのメモは筆者のホームページ上で公開している。地元の方は、これをご覧になり覚えておられたのかもしれない。思いがけずお役に立てた事をありがたく思うとともに、こうした記録を残しておく事の重要性をあらためて感じた。

 

 筆者は規模の大きな風水害が発生するとなるべく早い時期に、人的被害が生じた箇所を中心に現地調査を行う。調査の主目的は、現場の被害形態、規模、周囲の状況などを目で見て確認する点にある。気象データ、地理情報、空中写真などの定量的・俯瞰的な資料の参照も必須だが、現地でなければ得られないものも確かにある。

 

 こうした筆者の視点からの記録はごく限定的なものに過ぎない。災害には実にさまざまな側面がある。制度的、行政的な記録も行われるが、それだけでなくさまざまな人達が災害現場を訪れ、さまざまな専門的視点から観察、記録、分析を行っており、その結果が被害軽減を図る上で大変重要な役割を果たしていると思う。

 

 今年も7月の九州地方での豪雨などの風水害が発生したが、新型コロナウィルス感染症の流行状況を考慮し、筆者は現地調査をすべて見合わせた。同様な判断は各所で行われたのではなかろうか。現地に赴く人を制限しても得られる視点もあるだろうが、現地を見る人が減る事で、例年なら記録に残されたかもしれない視点、知見のいくつかが、今年の災害においては残らなかった可能性はあるように思う。すぐに何か解決策を提示できるものではないが、感染症の流行にはこうした影響もあるのではないかという事は、念頭に置いておきたい。

 

【追記】

 

 本記事、ある種「課題の指摘」のような内容もあるので、「これこれすべきだ」といった「課題解決策」が入らないと収まりが悪い感じもあるかもしれませんが、適当な思いつき的「課題解決策」を上げるのが大変好きでないので、言及していません。「これこれすべきだ」的な事を口に(文字に)するのは、そのことに自分自身も一定の時間を割いて関わる覚悟があるときだけにしたい、と思っています。

 

 ところで記事やこの追記でも、当該の写真の場所についてぼやかした書き方をしているのは、最近では個々の被災現場について写真を多く公開したり詳しく言及したりする事をなんとなくためらうようになっているためです。以前はかなり多くの現場について10枚、20枚と写真を上げたりしていましたが、最近だと例えば下記のように(昨年の台風19号の現地調査)1つの現場について1,2枚で、漠然としたコメントを上げるスタイルが中心に。現場は見ているけど写真はあえて出さない事も増えました。

https://disaster-i.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-b4dc35.html

 このような判断の背景には、「よそものが被災地にカメラを向けるな!」といった声を感じるという事があるのですが、被災した様子を記録に残す事は意義があると今回も感じましたし、ためらいながらも、試行錯誤をしていくところかなと思っています。

 

※この記事はnoteにも書いています。

 

2020年11月24日 (火)

台風接近時の高潮発生 人的被害なくても注意

 高潮それ自体への注意喚起、というよりは、近年起こっていないタイプの災害にも要注意、というお話です。2020年9月30日付静岡新聞への寄稿記事です。

 
 
台風接近時の高潮発生 人的被害なくても注意

 

 台風や前線の活動などの激しい気象現象により生じる災害は風水害と呼ばれ、その形態には様々なものがある。筆者が調査している1999~2019年の風水害による死者・行方不明者(以下では犠牲者と略し基本的に関連死者を除く)1373人全体で見ると、土砂災害が44%、洪水など水関連が44%、強風・高波などその他が12%の割合である。令和2年7月豪雨の犠牲者は86人で8割弱は洪水などの水関連、昨年の台風19号では同88人の7割強が水関連と、この2事例では水関連犠牲者が目立った。しかし、平成30(2018)年7月豪雨では犠牲者230人のうち土砂災害が5割強、平成29(2017)年九州北部豪雨では同41人中土砂災害が5割強。被害形態はそれぞれの事例に特徴がある。

 

 風水害による被害形態のうち近年大きな人的被害がみられないのが高潮災害だろう。高潮は高波と混同されやすいが、繰り返し打ち寄せる波ではなく、台風などの接近時に海水面全体が高くなる現象である。特性は異なるが見た目では津波のような現象とも言える。高潮が生じると、海近くの低い土地では大規模な河川洪水と同様な状況になる場合があり、海岸付近では高潮と高波の双方の影響を受ける。

 

 高潮による人的被害は、2004年台風16号による高松市と倉敷市での3人以降発生しておらず、まとまった被害では1999年台風18号による熊本県不知火町(現・宇城市)の12人が最後である。高潮の発生自体は珍しくなく、近年の県内でも2017年台風21号の際に静岡市の由比漁港で漁港施設が損壊するなどの被害が生じている。

 

 高潮は干満の影響も大きく、同規模の高潮でも満潮時に重なるか否かで被害規模が変わってくる。先日の台風10号でも山口県の瀬戸内側などで高潮が生じたが、潮位上昇のピーク時刻が予想より3時間ほど遅くなった事で、予想されていたほどの潮位にならなかった可能性があることが9月16日の気象庁資料に示されている。

 

 高潮による人的被害が長く生じていないのは、防災対策の効果も少なくないと推測されるが、偶然の結果という面もあるだろう。私たちは、直近の災害事例に目が奪われがちだが、そうした災害だけが怖いわけではない。最近起こっていないタイプの災害にも注意を向ける事が重要ではなかろうか。

 

※この記事はnoteにも書いています。

 

2020年7月31日 (金)

避難しない自由 個別の判断 尊重したい

 7月30日付静岡新聞「時評」への寄稿記事です.「避難しない自由」 これは許せない人は絶対に許せないでしょう.意見が分かれることは承知の上で,ひとつの考え方としてあえて書いてみました.色々追記したいことはあるのですが,きりがない気もするので,900字の制限の中で書いた文章のママでまずは挙げておきます.
 
時評=避難しない自由 個別の判断 尊重したい

 

 今回の話題は,意見が分かれるところと思う.受け入れがたい人もいるかもしれないが,このような考え方もあるのだと思っていただければありがたい.「避難=避難所へ行くこと」だけではないという話を5月の本欄で述べた.避難とは難を避けるための行動を広く指すが,ここでは風水害時に自宅から別の場所へ移動するという形の避難に絞って議論したい.

 まず仮定条件を決めたい.自宅は木造平屋,ハザードマップでは浸水想定区域内で想定される浸水の深さは3~5mとしよう.この深さだと平屋は完全に水没する可能性がある.この自宅にいるときに大雨で避難勧告が出たとする.内閣府の「避難行動判定フロー」を参考にすれば,この場合の「とるべき行動」は,自宅から指定緊急避難場所や,安全な場所にある親戚・知人宅などに移動(避難)することになる.

 
 この住民が,洪水時には自宅全体が水没する可能性があることを理解しており,避難勧告が出たことも認識していた場合,「自分は避難しない」という判断は認められるだろうか.災害対策基本法では,避難勧告(避難指示も同様)に応じなくても罰則の既定はない.法制度的には「避難しない自由」がないとまでは言えなさそうだ.一方で,「避難を拒む人がいると,避難を呼びかけに行く人が危険にさらされ迷惑だ」といった,避難しない自由などない,という考え方もあるだろう.

 

 上記の仮定では話を災害の危険度だけに単純化したが,現実には災害とは無関係の個別的な様々な事情もあるだろう.あるいは,コロナ禍の中で避難所に行くことの危険性と風水害で被害を受ける危険性のどちらが重いと捉えるか,といった判断は簡単には答えが出せなさそうだ.

 

 第三者から見たら「避難所へ避難すべき」と思う状況でも,当事者にとっては「自宅にいた方がよい」と判断されることもあるのではないか.さして理由もなく「避難しない」と判断することは適切とは思えないが,よく考えて危険性も受け入れた上で「避難しない」と判断している人を「避難させる」事を筆者はしたくないし,自らもされたくないと思う.その意味で,「避難しない自由」はあるのではないかと筆者は思うが,どうだろうか.

 

※この記事はnoteにも書いています。

 

2020年6月 5日 (金)

コロナ禍,災害対応 避難所以外の選択肢も

2020年6月3日付静岡新聞「時評」欄に,下記の記事を寄稿しました.「避難=避難所へ」だけではないという話が,新型コロナウィルス感染症の流行状況下においても重要ではないか,という趣旨の記事です.

 

コロナ禍,災害対応 避難所以外の選択肢も(静岡新聞「時評」寄稿記事)

 

 「『避難』とは『難』を『避』けることです 安全な場所にいる人は、避難場所に行く必要はありません」

 これは,内閣府の「令和元年台風第19号等を踏まえた水害・土砂災害からの避難のあり方について」という報告中の「避難行動判定フロー」に明記された言葉である.「避難」とは「避難所へ行く」ことと連想されやすい.無論「避難所へ行く」が間違いではないが,あくまでも「手段」の一つであり「目的」ではない.

 広辞苑で「避難」の語を引くと「災難を避けること.災難を避けて他の所へのがれること」とある.自然災害について言えば,洪水,土砂,津波など,人に危害を与えうる自然現象から逃れ,助かることが「避難」の目的だろう.そのためには,現象の影響を受けない「他の所」へ移動すれば良く,そこが避難所であろうがなかろうが,どうでも良いはずである.また,すでに現象の影響を受けにくい所にいるならそこは「他の所」であり,動かないことが「避難」になる.

 津波避難は,「揺れたら高いところへ」と単純にとらえても大きな問題はない.一方,洪水・土砂災害は様々な状況があり話が単純でない.たとえば筆者の調査では,洪水・土砂災害犠牲者のほぼ半数は屋外で遭難している.このほとんどは「避難行動中」ではなく,日常生活の中で車や徒歩で移動して亡くなっている.雨風が激しいときに屋外で行動することは大変危険性が高い.

 「避難行動判定フロー」ではハザードマップで身の回りの危険性を確認した上で,洪水や土砂災害の危険性が低い場所や,予想される浸水深より高い建物や堅牢なマンション等にいる場合は,そこにとどまることも避難行動になるとしている.また,危険性の低い場所にある親戚,知人宅への避難も考えられるともある.

 新型コロナウィルス感染症の流行が懸念される中,災害時の避難が大変悩ましい状況である.避難所の感染症対策は重要だが,避難所に集まる人を減らすことも対策の一つではないか.他に選択肢のない人のために避難所は当然必要だが,身の回りの危険性を把握した上で,「避難所へ行かなくても良い暮らし方」を考えることは,コロナ流行下に限らず,今後を見据えても重要なことだと思う.

 

[追記1]参考資料など

 内閣府の「令和元年台風第19号等を踏まえた水害・土砂災害からの避難のあり方について(報告)」はこちらにあります.
http://www.bousai.go.jp/fusuigai/typhoonworking/index.html
 紹介した「避難行動判定フロー」の抜き書きはこちらです.
http://www.bousai.go.jp/fusuigai/typhoonworking/pdf/houkoku/campaign.pdf
 「筆者の調査では,洪水・土砂災害犠牲者のほぼ半数は屋外で遭難している」と書きましたが,これについては下記などが参考となるでしょう.
https://disaster-i.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-b96593.html

  

[追記2]「避難場所に行く必要はありません」は静岡では以前から
 「安全な場所にいる人は、避難場所に行く必要はありません」というフレーズは,全国レベルでは最近強調されるようになったことですが,静岡県内では,(風水害ではなく地震災害を念頭に置いたものではありますが)以前からこうしたことが言われてきました.

 私は2009年に静岡県に移ってきたのですが,その際に「いわゆる防災先進地としての静岡」ならではだなと感心したのは,行政機関自身が「安全な場所にいる人は、避難場所に行く必要はありません」という趣旨のことを明言していることを知ったときでした.

 たとえば,静岡県が発行している「自主防災新聞」という刊行物がありますが,その第79号(2011年8月発行)には,地震災害時においてもいくつかの条件を挙げたうえで「自宅付近の安全が確認できれば避難地へ行く必要はありません」と書かれています.
http://www.pref.shizuoka.jp/bousai/e-quakes/data/toukei/jishubousai/79/79_02.html ※このページだけ見ると平成28年12月26日に更新された情報のようにも見えてしまいますが,これは2011年8月発行の資料を転記したものです.

 あるいは,静岡県地震防災センターのサイト内には「避難を考えよう『避難すべきかどうか、考えてみよう!』」というページがあり,ここでも条件を挙げた上で「住宅の耐震性もある場合は、避難の必要はありません」とあります.このページがいつからあるか詳しく分かりませんが,「東海地震」「警戒宣言」といった単語があることから,少なくともここ数年のものではないとは思います.
http://www.pref.shizuoka.jp/bousai/e-quakes/shiraberu/hinan/03/01.html

 こうした記述からは,静岡県における地震防災の目標は,「避難所に真面目に集まる人を増やすこと」ではなく,「地震が起きても自宅で暮らせる人を増やすこと(耐震化等の推進)」なのだな,と感じられました.

  

[追記3]常に「避難所へ行くな」ではありません
 「避難所に避難する」という行動に対して否定的と受け止められる言説に対しては,強い反感が生じることを経験的に知っていますからあえてしつこく書きますが,「あらゆる場合において避難所へ行くなと言っているわけではない」事は強調しておきます.

 また,ここで述べているのは,事前に安全確保のための避難をできる可能性がそれなりにある風水害の,「事前」の避難についてのことです.災害発生後に自宅が損壊して居住できなくなった場合をはじめとして,避難所に行かざるを得ないことは当然あります.

 またここでは「指定避難所」「指定緊急避難場所」の区別を厳格にしていませんが,「指定避難所」「指定緊急避難場所」いずれについても,「あらゆる場合においてそこへ行くことだけが正しいわけではない」という点では同様だと思っています.

 筆者は「避難所へ行く」という行動をあらゆる場合において否定するものではありません.多様な「避難」のあり方がある,と考えています.また,様々な危険性(自然災害に関われ事に限らず)を比較検討した上で「避難所へ行かない」という判断をすることも否定すべきではないと考えています.このあたりは人により大きく考えが変わるところでしょうから,「こちらが正しい,こう考えるべき」と申し上げるつもりはありません.判断するのは自分自身だと思います.

  

[追記4]大前提は「絶対に安全な場所」などはないということ
 誤解を生みそうなので更に追記しておきます.ハザードマップなどで身の回りの災害の危険瀬を確認しておくことは重要ですが,ハザードマップは「絶対に災害など起こらない場所」を保証しているものではありません(下記note記事).自然現象は様々な複雑性,不確実性を持っていますから,例外的なことは起こり得ます.絶対確実に安全な避難方法などというものはありませんから,少しでも難を逃れるために,余裕を持って情報をとらえ,個々の場面で最善の努力をはらう事が重要でしょう.

 

※この記事は、noteにも書いています。静岡新聞「時評」投稿記事については、バックアップの意味から、ブログにも挙げていこうと思っています。

 

2020年3月28日 (土)

時評=災害への備えは人それぞれ 個々に必要性考えて

3月26日付け静岡新聞に下記寄稿をしました.

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時評=災害への備えは人それぞれ 個々に必要性考えて

 取材や講演の際などに,「防災のため住民が備えておくべきものは?」といった質問を受けることがある.筆者は「身近な備え」は専門でないので,「詳しくありませんが」と前置きした上で,「自分にとって必要なもの,使えなくなると困るものを用意しておけばよいのでは」などと答えるようにしている.

 このように答えると(おそらくは筆者の思い込みだろうが)「期待外れ」といった様子の反応を見るような気がする.更に想像を逞しくすると,「○○という防災グッズが有効です,□□災害の教訓では△△が役立ちました」のような「ノウハウ」を聞きたかったのかな,などという気もする.少し申し訳ない気分にもなるが,自分自身があまり重要だと思っていない話を,人にお勧めはできない.

 「自分にとって必要なもの」は,人により様々だと思う.「乳幼児がいる世帯では子ども用おむつの必要性が高いが他の世帯では必要ない」などはわかりやすいだろうが,そう単純な話ばかりではない.備蓄食のように誰もが必要としそうなものでも,実際に自分が食べたいもの,食べられるもの,など具体的に考えていけば,誰もが同じものを備えれば良い,とはならないだろう.あるいは,災害用備蓄食(災害用のグッズ全般かもしれないが)は,量や質の割に高額なこともよくあるが,高額品を揃えるか,なにか他の方法を講じるか,このあたりも人によって考え方が分かれるところだろう.

 「必要なもの」も,それをどう保管するかという問題もある.これは人それぞれの住まいの様子によっても話が大きく変わるだろう.保管に便利だからと地下室に備蓄していたら,急な浸水で備蓄品が真っ先に使えなくなった,などということもあるかもしれない.備蓄を考える以前に,その地域で起こる災害について知っておくことも必要だ.

 災害への備え方は,どのような人が,どこで,どのように暮らしているか,まさに人それぞれだろう.「正解」が何かはそもそも難しく,仮に「正解」があったとしても,それを実際に実施し続けることができるかという問題もある.目新しい「ノウハウ」を求めるのではなく,自分自身のこととして,具体的に考えてみることが重要だろう.

 

2020年1月31日 (金)

時評=住まい選びの条件 「防災最優先」は困難

1月29日付け静岡新聞に下記寄稿をしました.「防災最優先で暮らせますか?」と書かずに,「防災最優先で私は暮らせません」と書いて自己保身を図っております.

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時評=住まい選びの条件 「防災最優先」は困難

 今年も年度末が近づいてきた.新たな年度からは新しい土地で暮す予定の方もおられよう.賃貸,持ち家,いずれにせよ新たな住まいを選ぶとき,どのような条件を考えるだろうか.まずはどの程度のスペースが必要か考えねばならない.予算がどれくらい,も重要だ.勤め人なら勤務先へのアクセスは重要なポイントになる.生活面からは,商業施設など日常的に利用する施設へのアクセスも考慮する必要があろう.子供のいる世帯なら,学校へのアクセス,あるいはその学校の評判なども気になろう.


 災害に対する安全性を考える人もいるかもしれない.地震は専門でないので詳しく分からないが,地形等から「地震に対して安全性の高い場所」を判断することはなかなか難しそうだ.ただ,建築基準が大きく変わった1981年以前とそれ以降の建物では,地震の際の被害の程度が変化していることは知られており,築年数は判断材料となりそうだ.洪水・土砂災害については本欄でも繰り返し触れているように,「起こりうるところで,起こりうることが発生する」が基本である.ハザードマップ等で危険箇所となっている場所や,河川の近くなどを避けるといった判断もあり得る.「避難の仕方を確認」より,「そもそも避難しなくても良いような場所を選んで住む」事も重要だと思う.


 しかし,これら条件を満たす物件を探すことは極めて困難だろう.不動産関係のサイトで希望条件を増やすと,数千件の候補がたちまち数件程度に絞られる,といった経験のある方もいよう.災害の危険性がある居住地も少なくない.たとえば山梨大学の秦康範先生の解析によると,洪水の浸水想定区域(大河川周辺を中心に指定)の居住者だけでも2015年時点の全人口の28%に上るという.防災の諸条件を考慮となると,候補物件数は更に限定的となろう.


 筆者はこれまで何度となく転居を経験したが「防災最優先」で住まいを選べたことなどない.住まい選びに限った話ではないが,日常生活のあり方を「防災最優先」で構築することは少なくとも筆者には困難だ.我々一人一人が,考えられる危険性を知った上で,何を優先するかを考え,危険性も受け入れつつ暮らしていく事が重要ではなかろうか.

2019年12月 6日 (金)

時評=直近の災害事例に強い関心 広い視点から議論を

11月14日付け静岡新聞に下記寄稿をしました.目先で起こった災害事例のことばかりに注目し,振り回された議論をするのはいかがなものか,という,みなさまのお気持ちに沿わない内容です.

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時評=直近の災害事例に強い関心 広い視点から議論を

 10月12~13日に日本列島を通過した台風19号は,本県をはじめ全国で死者・行方不明者87人(11月3日消防庁資料)などの大きな被害をもたらし,今なお各地で発災後の厳しい対応が続いている.

 この台風では特に洪水の被害が目立った.筆者の調査では,洪水で流されたり河川付近を通行中に転落するなど,水関連の犠牲者は63人で,犠牲者中の7割を占める.筆者の1999~2018年の風水害犠牲者1259人の調査では水関係犠牲者は42%なので,本事例の水関係犠牲者はかなり多かったと言える.また,床上・床下浸水家屋の合計は6万8千棟に上る.床上浸水などの指標の意味は時代ととも変化し単純な比較はできないが,この台風による浸水関係の家屋被害は最近20年間で最大規模となる可能性が高い.

 筆者は10月末に静岡県,神奈川県などに居住する人を対象に調査を行ったが,台風上陸前日に「自宅が暴風による被害を受けるかもしれない」とイメージした人は静岡で6割,神奈川で7割に,「自宅が数日以上にわたって停電するかもしれない」とイメージした人は静岡,神奈川とも6割弱に上った.一方,洪水可能性がある付近に居住と推定される回答者でも「自宅が洪水による被害を受けるかもしれない」とイメージしたのは静岡で3割,神奈川で4割ほどだった.暴風を心配した人に対し,洪水を心配した人は比較的少なかった印象がある.この理由は明確には分からないが,9月上旬に房総半島などを襲った台風15号の暴風による家屋損壊や,長期停電が印象に残っていたのかもしれない.

 災害に対する関心は時間とともに急速に低下する事はよくいわれ,たとえば京都大学の矢守らの研究ではその低下速度は5年で10分の1,10年で100分の1といった見方もある.これは,直近の災害事例に対しては強く関心が持たれるが,少し前の災害に関しては薄れていく可能性も示唆している.

 自然災害は様々な様相を見せる.大きな災害が起こった直後は,その直近の災害に目を向けた議論が活発になりやすいが,直近の災害に見られた「課題」は,災害に関わる「課題」のあくまでも一つに過ぎない.目先のことばかりにとらわれず,広い視点からの議論が重要だと考えている.

 

2019年9月30日 (月)

時評=災害教訓に学ぶ難しさ 多くの事例収集重要

9月18日付け静岡新聞に下記寄稿をしました.「ある災害事例の教訓「だけ」に注目することは,かえって危険な対応をもたらすこともありうる」というお話.ぼうさいを教えたがる人が怒り出しそうな話だとは思っていますが.

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時評=災害教訓に学ぶ難しさ 多くの事例収集重要

 「過去の災害教訓に学べ」といった話をよく聞く.これは無論重要なことだ.しかし,ある災害事例の教訓「だけ」に注目することは,かえって危険な対応をもたらすこともありうる.

 1982年5月26日に発生した日本海中部地震では,主に津波により104人の犠牲者を生じたが,被害の多かった秋田県内で「地震が起きたら浜へ出ろ」という言い伝えがあり,実際に地震直後に海岸に向かって避難した人もいたことが話題となった.1939年に同県内で発生した地震の犠牲者(27人)の多くが建物倒壊や土砂災害で死亡したことからこのような言い伝えが生じたのでは,と考えられている.また,本来はこの言葉の後に「浜へ出たら山を見ろ,動かなかったら山へ登れ」が続いていた,とも言われている(1982年5月29日付秋田魁新報).

 こんな言い伝えを信じることは現在では考えられない,と感じるかもしれない.しかし,似たようなことは現代でも決して無縁ではない.たとえば平成30年7月豪雨で大規模な浸水被害を受けた岡山県倉敷市真備地区では,1976年の水害を経験した住民が「大雨が来ても、あの時くらいだろう」と考え,結果的に天井まで浸水した自宅から救助された話が報じられている(2018年7月20日付読売新聞).過去に災害を経験した事が,かえって次の災害時の適切な行動を阻害することは「経験の逆機能」とも呼ばれ,しばしば見られることが知られている.

 自然災害を構成する個々の要素,例えば「大雨が降ったら川があふれる」「深夜に大雨が降った」といったことは,過去から繰り返し生じているが,それらの組合せは無数にある.ある災害の「教訓」とは,こうした無数の組合せの一つに関わる「教訓」にすぎない.「様々な災害事例の教訓」に学ぶことが重要だろう.

 日本海中部地震の例では,「浜へ出ろ」の後に続いていた言葉が欠落したらしい,という点も注目される.災害の教訓や知識が,時を経ると簡略化されてしまう事がありうることを示唆している.災害に関する情報を「簡単に」「わかりやすく」とよく言われるが,言葉を「簡単に」することで,致命的に誤った情報を伝える可能性があることには,十分注意しなければならないだろう.

 

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