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2006年12月30日 (土)

12月27日豪雨被災地を現地踏査

本日12月30日,27日の豪雨で被害が生じた,岩手県沿岸北部の各地を現地踏査してきました.岩手県内では,豪雨の翌日からは断続的に雪となっており,被災地では,流出してきたばかりの土砂の上に雪が積もるような光景が見られました.

P1020703 宮古市内では緑ヶ丘地区などで床上浸水が生じました.同地区は,周囲よりわずかに低地(0.5~1m程度)となっている場所で,住宅が密集していますが,床上浸水が生じたと思われる場所は,ほぼ半径50m程度の狭い範囲内にありました.日常は余り意識しないわずかな高低差が,災害時には影響してくることをあらためて感じさせられました.

P1020721 今回の災害では,土砂災害による住家の全半壊は生じなかったようですが,斜面崩壊や渓流からの土砂流出,水田畦畔の浸食などは各地で見られました.宮古→田野畑→普代→野田と走った範囲内でみられたもっとも規模の大きい土砂流出は,普代村普代地区のものでした.土砂によって損壊した家屋は見られませんでしたが,渓流の勾配がほぼ水平となる国道45号線付近では,渓流の周囲約100m位の範囲に土砂の堆積が広がっていました.

P1020730 1:20万地質図を見ると,付近の基岩は花崗岩類で,流出している土砂もマサ土でした.1999年の広島災害を思わせる光景で,花崗岩地帯での豪雨の恐ろしさをあらためて感じさせられました.すでにかなり後片付けが進んでいますが,おそらく当初は国道上にも堆積していたと思われます.堆積物の中には数十cm程度のレキも見られました.

本日見た限りでは,「思いもかけないところで,思いもかけないことが起こっていた」という状況は確認できませんでした.だから,たいしたことではない,などという話ではありません.災害の起こる可能性のある場所は無数にあり,たまたま生じた条件の組み合わせにより,実際の被害が生じるという,災害の基本的な性質(怖さ,困難さ)をあらためて感じさせられました.

2006年12月28日 (木)

「12月としては記録的」

200612280024h  12月26日から27日にかけ,発達した低気圧が日本付近を通過し,関東以北に豪雨,暴風をもたらしました.12月28日21時現在,消防庁による集計は発表されておらず,全国の被害概要はよくわかりません.左図は,アメダス観測値を元にした,12月27日24時の24時間降水量分布図です.

 報道では例によって,「12月としては記録的な・・・」といった表現が散見されます.豪雨災害の場合,同じ降水量が6月に記録されようと,12月に記録されようと,その結果(激しい現象であれば災害,被害)に違いが出ることは余り考えられません.しかし,日本の多くの地域では,夏季の降水量と冬季の降水量に大きな差がありますから,「6月の日降水量の過去最大値」と「12月の日降水量の過去最大値」は大きな差があり,太平洋側では一般的に後者の方が少です.「12月としては激しい雨」は,必ずしも「その地域にとって激しい雨」とは限りません.

2006122711re01  ただし,今回の豪雨では,27日11時に,岩手県の普代および釜石で,1時間降水量が,アメダス観測開始(1979年)以降最大値を更新しています.24時間降水量はそれほど大きな値は記録されていません.これらの地域では,短時間降水量については,「12月としては」という限定条件下の話ではなく,文字通り「記録的な」値が観測されたと言っていいでしょう.実際に,岩手県内では被害が生じています.

 岩手県内の被害は,12月28日16時05分現在の同県の資料によると,住家の半壊1棟,一部損壊6棟,床上浸水22棟,床下浸水203棟とのことです.

http://www.pref.iwate.jp/%7Ehp010801/index/saigai12-28-1605.pdf

 この数字はまだ変化すると予想されますが,仮に,床下浸水家屋数200棟以上の記録を見ますと,気象庁の異常気象報告を元に筆者が集計したところによれば,岩手県内では,1970年代に7回,1980年代に8回,1990年代に6回の記録があり,「記録的な災害」とまでは言えそうにありません.ただし,岩手県では,1971年以降で見る限り,12月に住家の浸水の記録はなく,「季節外れの災害」であるとは言ってよさそうです.

2006年12月13日 (水)

大学発信のリアルタイム減災情報のあり方と役割に関する研究集会

 12月15日に,京都で「大学発信のリアルタイム減災情報のあり方と役割に関する研究集会」という集会が行われます.牛山は,「研究者が発信する災害情報の役割」というタイトルで話題提供します.あまり研究的な話題ではないのですが,大きく言うと,Web2.0時代の「防災専門家」による情報発信に関する,私の考えを挙げてみたいと思っています.

案内状の内容を以下にそのまま掲げさせていただきます.

==============================================================
平成18 年度京都大学防災研究所 防災研究推進特別事業経費研究集会
「大学発信のリアルタイム減災情報のあり方と役割に関する研究集会」
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 大学発信のリアルタイム減災情報のあり方と役割に関する研究集会を実施し、減災
情報の高度化・総合化に関して議論する。最近は計算機の低廉化が進み、インターネ
ットを通じた情報公開も容易に実現できる。これらの情報ネットワーク資源を利用す
れば、大学が最新の成果をもとに予測情報をリアルタイムで公開することが可能であ
り、実際にそうした活動がなされている。しかし、どのような情報が期待されている
かを十分把握することなく、いたずらに様々な情報が提供されることが減災に繋がる
とは限らない。そこで、予測情報を発信する大学、住民避難の先頭に立つ地方自治体、
予警報を発する気象庁の現場からみたこうした動きに対する注文、さらに大学が発信
を試みているさらなる付加情報の提供に関する発表を行い、最後に大学発のリアルタ
イム減災情報のあり方・役割に関する討議を行いたい。

日時:2006 年12 月15 日(金)午後1 時から5 時
場所:ぱるるプラザ京都5 階会議室A
JR 京都駅烏丸中央口を出て右手に歩いて3 分、tel: 075-352-7444(代表)

プログラム(案):

  1. 大学初となる気象予報業務許可の取得と局地気象予測情報について(岐阜大学大学院 工学研究科:吉野 純)
  2. 大学が発信する実時間流出予測情報-淀川流域を対象として-(京都大学防災研究所:立川康人・佐山敬洋・宝 馨)
  3. 研究者が発信する災害情報の役割(岩手県立大学 総合政策学部:牛山素行)
  4. 地方自治体が期待する減災情報(宇治市危機管理課)
  5. 防災・減災情報の法的な位置づけ(奈良地方気象台台長:大奈 健)
  6. ITV カメラによる河川流況のリアルタイム観測とその利活用(京都大学防災研究所:馬場康之)
  7. 大学が発信するリアルタイム情報・フィールドステーション(京都大学防災研究所:林 泰一)
  8. リアルタイム情報に関する新たな技術(京都大学防災研究所:松浦秀起)
  9. 討議

2006年12月12日 (火)

内閣府広報「ぼうさい」に紹介記事

内閣府が発行している「ぼうさい」という広報誌がありますが,その最新号(第36号)に当方の研究内容が紹介されました.

広報「ぼうさい」No.36
http://www.bousai.go.jp/kouhou/pdf/kouhou036.pdf

誌面の19ページ付近です.紹介されている内容は,災害情報学会で発表した津波予報に対する避難意向についての調査結果です.この話題,これほどいろいろと紹介をいただけるとは思っていませんでした.

2006年12月11日 (月)

一関遊水地付近を訪問

昨日12月10日,学内の他の先生による1年生向け演習の一環として行われた現地見学に同行し,岩手県一関市の一関遊水地付近を訪れてきました.

一関遊水地付近は,施設,現場ともいろいろと見所があるのですが,今回初めて訪れた「柳之御所資料館」が案外興味深く感じました.

柳之御所資料館(平泉町教育委員会)
http://www.town.hiraizumi.iwate.jp/scripts/hiraizumi/html/yakuba/yanagino_gosyo/siryoukan.htm
柳之御所資料館(国土交通省・あいぽーと)
http://www.iport.jp/link/kitakami/mizube/yanagi.htm

施設の呼称からは想像しにくいのですが,施設の半分は一関遊水地とその関連施設(周囲堤,バイパス,橋梁など)に関する展示でした.ことに驚いたのが,一関遊水地付近の立体地図模型.模型そのものはありがちなものですが,地形の再現性が非常に精密でした.一関遊水地は,水田が広がり一面の平地に見えますが,北上川河床から周囲堤付近までの比高は10m程度あり,一部には段丘崖らしい樹林帯の残存も見られます.ここの立体模型では,それらの細かな地形が再現されていました.

国土地理院地図閲覧サービス
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?id=58413100&slidex=2000&slidey=400

一関遊水地は,周囲堤の工事がほぼ終わり,遊水地内の農地への浸水に対応した「小堤」の工事が始まっているところです.事業開始から30年余,事業のきっかけとなったカスリーン・アイオン台風から起算するとまもなく60年.「ハード対策には長い時間が必要」ということをあらためて感じさせられます.

※筆者はハード防災対策を否定する気持ちはけっして持っていません.

2006年12月 8日 (金)

佐呂間町・北見市常呂付近を現地踏査

少し時間が経ってしまいましたが,12月5日に,北海道の佐呂間町と,北見市常呂町(旧常呂町)付近を現地踏査してきました.10月7~8日にかけて,北東北,北海道東部で発達した低気圧による災害が発生しており,

2006年10月6日~7日の北東北などの豪雨災害に関するメモ
http://www.disaster-i.net/disaster/20061007/

この災害によってもっとも浸水被害が大きかったのが,佐呂間町,旧常呂町周辺の地区でした.現在,この災害時の地域の対応に関する調査に着手しており,その関連での現地調査でした.

諸般の事情により,災害後2ヶ月という,当方としては異例の出足の遅い現地踏査となってしまいました.現地はすでに数cmの積雪があり,災害時の様子をうかがうことはいささか難しい状況でしたが,やはり,行ってみないと感じ取れないこともありました.

この調査についての詳報は,まだしばらく先になると思います.

2006年12月 1日 (金)

津波予報と避難意向に関係に関する報道

11月27日付朝日新聞夕刊に,「津波警報、なぜ逃げぬ 「2メートル」誤解?余裕? 択捉沖地震、避難所へ1割だけ」という記事が掲載されました.その中で,過日の災害情報学会において発表した,

吉田淳美・牛山素行,津波経験地域における住民の危険認知について,日本災害情報学会第8回研究発表大会予稿集
http://disaster-i.la.coocan.jp/notes/2006JSDIS_Y.pdf

で触れた,津波予報で伝えられる津波の高さと,避難意向の関係についての調査結果が紹介されました.

gooニュースでまだ記事本体を参照できるようです.

http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/K2006112702140.html?C=S

11月15日の津波に関しては,「(逃げた人が多数派とまでは行かないかも知れないが)意外に多くの人が逃げたのかも知れない」と考えているのですが,

津波避難者は意外に多かった可能性も
https://disaster-i.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_f849.html

この記事だけを見ると,逃げる人が少ない話を私もしているように見えるかも知れません.なかなか難しいものです.

朝日新聞夕刊は,岩手県内では配られませんので,紙媒体での記事は見ていませんが,全国紙に載ると見ている人も多いようで,検索すると少なくとも7,8カ所のブログなどでこの記事が取り上げられているようです.

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