都賀川災害・過去にあった酷似事例
今回の災害現場となった都賀川は,地形的に急峻な流域を背後に持っていること,流域の都市化が非常に進んでいることなどから,豪雨の際に流出率が高く流出速度も速いという特徴(災害に対しては素因)を持っていた.また,都市部で河岸が親水公園としてよく整備され,人が集まりやすいところであったという,社会的素因も存在した.ここに,短時間の豪雨という誘因が加わって今回の災害となったものと言える.ただし,このような素因を持つ河川はけっして珍しいものではなく,都賀川が特異な条件を持っていたことによって発生した災害であるとの見方は妥当でない.
今回の現場が「特別に危険な場所」であったとは考えていないが,過去の事例を調べていたところ,あまりにも酷似した事例があったことに少々驚いた.1998年7月27日付朝日新聞記事に,以下のような記述が見られる.
二十六日午後二時ごろ、神戸市灘区岸地通一丁目の都賀川の河川敷と中州で、二組の家族連れが増水した流れに立ち往生しているのに近くの灘区民ホールの窪田武館長(六五)が気付き、一一九通報した。灘消防署員らが駆けつけ、中州まで川を横切るようにはしごを渡し、一組の家族連れを河川敷にいた家族連れと合流させ、道路につながる階段まで誘導して救助した。 調べによると、神戸市に住む会社員ら二組の家族計八人で、別々に河川敷でピクニックをしていたが、雨が降り始めたため、川の水面より高くなっている新都賀川橋の橋脚付近で雨宿りをしていた。いずれも乳児を連れており、水かさが増した川の流れに身動きがとれなくなったという。<中略>川の水深は普段、約三十センチだが、この日は降雨のため約六十センチになっていた。
この事例は,場所も,状況もほとんどそっくりで,日付や発生時刻まで近い.異なっているのは,外力の大きさだけである.1998/7/26の13時~15時の2時間降水量は,神戸海洋気象台(神戸市中央区):2.5mm,AMeDAS六甲山:6mm,AMeDAS芦屋:0mmなど,長峰山(国交省所管・都賀川流域内):8mm,永峰(同):5mmなどとなっており,豪雨の範囲がよりせまく,規模も小さかったように思われる.
このような事実を見ると何ともやりきれない気持ちになる.過去に起こった災害について,われわれはより積極的に学んで行くことの重要性を,重ねて指摘していくしかない.
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