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2011年5月16日 (月)

「アンケート」を軽く考えている人が良くいるように思います

以下は,最近刊行された,「社会と調査」第6号にエッセイとして掲載させていただいた原稿です.

最近に始まったことではありませんが,いろいろな意味で,「アンケート」というものを軽く考えている人を(特に理工系バックグラウンドの人の中で)よく見かけます.震災を経てまたそういう場面を目にしそうな気がします.

専門家として,社会に向けて「アンケート調査結果」を公表するならば,その方法論を踏まえた上で,その内容に責任を負えるものを出すべきだと私は考えます.無論,「アンケート」には様々な問題があり,その限界や注意点を合わせて明記することは必要です.

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「アンケートでもとって

 筆者は,豪雨災害や津波災害を主な対象として,災害時の避難行動,情報の活用による被害軽減などについての調査研究を行っている.もとは農学部・林学の出身で,「人」を対象とした調査研究の基礎教育はあまり受けていないのだが,現在の仕事は災害に関わる「人」を対象としたものが多くなっている.

 防災に関わる分野で「人」を対象とした調査研究が行われる場面は多々ある.災害発生時の住民の避難行動調査,何らかの対象地における住民の災害に対する意識の調査などはその典型例であろう.防災研究分野は1995年の阪神・淡路大震災をターニングポイントとして,それまでの理工学的研究者・技術者中心だった世界から,人文・社会科学系分野も含む幅広い研究者・技術者の活躍が目立つようになってきた.まさに学際的な分野である.前述のように,防災に関わる調査研究で「人」を対象としたテーマが取り上げられる機会は多く,防災関連学会等でこのような報告を目にする機会が少なくない.しかし,様々なバックグラウンドを持つ報告者が多いゆえか,時として「人」を対象とした調査(社会調査)としては,方法論などがいささかどうかと思われる場面を目にすることがある.あくまでもデフォルメされた例とご理解いただきたいが,たとえば,回答数数百件のグループと,十件程度のグループの回答構成比を(0.1%単位で)議論するケースとか,逆に数人に対するインタビュー調査に対して,人数が少ないということだけを持って無意味なものと決めつけるといった場面に遭遇することもある.また,調査研究や地域防災等のプロジェクト初期に,「まずアンケートでもとって実態を調べましょう」といった話を聞くこともある.少し厳しい見方かも知れないが,社会調査的な手法が「誰にでもすぐできる簡単なことだ」などと,軽視されているのではないかと考えさせられる.

 調査票調査も聴取調査も,それぞれに多様な方法論があり,方法論に対する理解が不十分に行われた調査は,その結果への信頼性が損なわれることになる.その構造自体は,理工学的フィールドワークにおいて,機器を用いて行う観測や,試料を採取しての分析などと同様で,「アンケートは簡単でだれにもでき」,「観測は十分な知識と訓練が必要」といった差はないはずである.

 筆者は理工系分野から,「人」を対象とした調査研究の分野に参入していく中で,現地での様々な失敗や,異分野の研究者からの手厳しい指摘から多くのことを気づかされてきた.バックグラウンドの枠を超えた活発な議論がますます盛んになることを通じて,地域の防災に資する成果が生まれることを願っている.

2011年5月13日 (金)

東日本大震災死者・行方不明者数は4月中旬にピークとなり,その後減少

rescuenowにも似たようなグラフがありますが http://goo.gl/0hBwc ,東日本大震災に伴う犠牲者数として発表されている数値の推移のグラフを作成しました.

http://twitpic.com/4wt8o8

情報源は朝日新聞で,記事中で報じられた警察庁発表の値をもとに作成しています.なお,3/14~17は警察庁資料が朝日新聞で報じられていないため,記事中に「朝日新聞まとめ」として報じられた値を利用しています.「朝日新聞まとめ」の値は行方不明者数に警察庁資料との乖離があり,3/18に見られる行方不明者の減少はこの為に生じたものです.

まず,当初の2週間近くの間,毎日値が大きく変化(増加)し続けたことが目に付きます.これについては,山梨大学の秦さんが指摘していますが http://twitpic.com/4co3zg 阪神・淡路大震災と比べてもその変化が長期化したことが明白です.

死者,行方不明者数の合計は,3月下旬に27000人台に達し,その後大きく変化しなくなります.このグラフ中では,4月13日の28525人が最大で,その後日に日に減少していきます.死者数は一貫して増加しており,合計の減少は行方不明者数の減少に起因します.

自然災害による人的被害,家屋被害が,災害発生後に次第に増加し,どこかでピークを迎えてその後減少していくことは全く当たり前なことで,珍しいことではなく,むしろそのパターンを示さない事例を思い出せないほどです.「状況が明らかになるにつれ,被害の値が大きくなる」というのは思い込みであり,正しい認識ではありません.また,発災後1日間くらいは別として,「日に日に被害が拡大していく」という認識も適切ではありません.被害の規模は,「拡大する」のではなく,「明らかになっていく」ものです.

近年は,特に地震災害の際に,外力(地震,大雨などの自然の力)に直接起因せず,避難先で亡くなるなどのケースを,「関連死」としてその災害による犠牲者に含むことが多くなっています.2004年新潟県中越地震では,「地震による死者」としてあげられている68名のうち,地震に直接起因する犠牲者は24名で,2/3近い44名が関連死です.これについては下記参照.

牛山素行・太田好乃,2009:平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震による死者・行方不明者の特徴,自然災害科学,Vol.28, No.1, pp.59-66.
http://goo.gl/Yhb9d

外力に直接起因する犠牲者と,関連死の犠牲者は,対策の方法が全く異なりますから,区別して議論されなければなりません.今回発表されている死者には,いまのところ関連死はほとんど含まれていないと思われます.少なくとも,岩手,宮城,福島以外の各県での犠牲者68名の中では,関連死と思われる犠牲者は1名 http://goo.gl/TAGvQ です.

犠牲者を統計値として扱うことに抵抗を感じる向きもあるかと思いますが,エピソードだけでは次に生かす情報になりません.客観的な数値と,1人1人の状況を合わせて観ることが重要だと考えています.

2011年5月12日 (木)

市町村長は津波警報を発表することができる

大雨警報,津波警報などの「警報」は,気象業務法では次のように定義されています.

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第二条
7  この法律において「警報」とは、重大な災害の起るおそれのある旨を警告して行う予報をいう。
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警報は予報の一種ですが,気象庁以外の機関が出すことはできません.予報業務を許可されている気象会社であっても警報は出せません.つまり,「津波が来るぞ」という情報を出すことが許されているのは気象庁だけ,ということです.このことについて,気象業務法では次のように記述されています.

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(警報の制限)
第二十三条  気象庁以外の者は、気象、地震動、火山現象、津波、高潮、波浪及び洪水の警報をしてはならない。ただし、政令で定める場合は、この限りでない。
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ちなみに,「避難勧告」「避難指示」は警報とは直接関係のない全く別の情報で,これらは市町村長しか出すことができません.

気象庁以外の者が警報を出すことができる,ほぼ唯一の例外と言っていいものに津波警報があります.気象業務法施行令に以下の記述があります.

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(気象庁以外の者の行うことができる警報)
第八条  法第二十三条 但書の政令で定める場合は、津波に関する気象庁の警報事項を適時に受けることができない辺すうの地の市町村の長が津波警報をする場合及び災害により津波に関する気象庁の警報事項を適時に受けることができなくなつた地の市町村の長が津波警報をする場合とする。
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つまり,市町村長(市町村と言い換えてもいいでしょう)は災害によって通信事情が悪化したなどの切迫した場合においては,「津波が来るぞ」と公式に言うことが認められています.

今回の津波は,手続きや記録などは残らなかったでしょうが,実質的な意味での「市町村(長)による津波警報」が行われた初めての例となったと言っていいのかも知れません.

陸前高田市・津波到達直前の防災無線の内容とその時間を推定

陸前高田市中心部付近の津波到達時刻の推定
http://goo.gl/HNVxu

と同じ資料,手法で,岩手県陸前高田市の津波到達直前の防災無線の内容を文章化し,その放送時刻を推定しました.

陸前高田では,防潮堤に設けられた陸閘のところなどにカメラが設置されており,この映像を市役所等で遠隔で見ることができるようになっていたはずです(ただしこれを示す資料が手元に無い).したがって,防潮堤付近に津波が達していれば,現場からの報告や,目視をしていなくても津波到達を確認できていたと思われます.3/28読売新聞に,下記記事があります.

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市消防署に駆けつけた市消防団長の佐藤勝さん(58)は、防潮堤を映す三つのモニター画面を祈るような思いで見つめていた。まもなく、防潮堤の鉄門がすべて閉められたのが確認できた。ところが、モニター画面は間もなく、津波が防潮堤を一気に乗り越え、街をのみこむ様子を映し出した。
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防災無線では,1522の時点では「津波が押し寄せている」と言っていますが,「越えている」とはいっていません.米崎消防団が米崎港に到達した津波を見て退避を始めたのが1523頃,この頃に高田松原付近でも津波が防潮堤を越え始めたのかと思われます.

1525の放送では津波が「水門を越え」たことが放送されています.1526の放送では,気仙川でも津波が堤防を越えていると取れる内容が放送されています.

津波警報が出ているというだけでなく津波が堤防を越えたという情報を流していることが重要な意味を持っていると思います.気仙小学校ではこの放送を聞いてさらに裏山へ児童らが避難し,児童,園児の全員が助かっています.市役所付近ではこの放送に呼応して多くの人が市民会館や市役所庁舎に駆け込んでいます.市民会館は結果的に完全に津波に飲まれてしまいましたが,市役所は屋上まで上がれた人は助かっています.しかし,いずれにせよ津波到達までわずか1,2分の間に行われた避難行動だったと読み取れます.

なお,陸前高田市の防災担当職員の方々は,津波で全員死亡されたそうです.これらの放送も防災担当職員の方々がなさっていたそうです.

【陸前高田市防災無線の放送内容】
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15:22
ただいま大津波警報が発表されています.<不明瞭> 市内各地で津波が押し寄せています.沿岸住民,海岸付近にいる人は,直ちに高台に避難してください.ただいま大津波警報が発表されています.市内各地で津波が押し寄せています.

15:25
松原地内において,水門を越えておりますので直ちに避難してください.ただいま,大津波警報が発表されています.松原水門においては,津波が越えておりますので,すぐに避難してください

15:26
津波が水門を越えております.住民は直ちに避難してください.津波による,津波により,堤防から,津波が越えています.住民は直ちに避難してください.ただいま,気仙川において,津波が越えております,ただいま,気仙川において,津波が越えています,浸水地域にいる人は,直ちに高台に避難してください.ただいま,大津波警報が発表されております,松原水門及び気仙川において津波が越えておりますので,ただちに高台へ避難をしてください.浸水地域にいる人は直ちに避難をお願いします.

15:27
ただいま,津波が押し寄せております <不明瞭>
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※市役所付近へ津波が到達したと思われるのが15時27分頃
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2011年5月11日 (水)

岩手県陸前高田市・地区別犠牲者数の特徴

今回の津波による犠牲者はあまりに膨大で,そのことに圧倒されてしまいますが,なにか今後につながる傾向が見いだせないかと考えています.市町村別犠牲者の傾向については先に,

岩手,宮城,福島の犠牲者について
http://goo.gl/50GXB

としてまとめましたが,もう少し細かい検討をしてみました.

警察庁から,身元が確認された犠牲者の住所が,おおむね大字くらいの単位で公表されています.5/6現在の警察庁資料「今回の災害でお亡くなりになり身元が確認された方々の一覧表」に示された住所をもとに,地区別の死者数を集計しました.ここで示されているのは犠牲者自身の住所であり,遭難場所とは限らない事に注意が必要です.また,行方不明者については同様な資料はありませんので,集計対象外です.

岩手県陸前高田市における集計結果を分布図として示します.
http://twitpic.com/4w6t6a

本図に示した陸前高田市の身元が確認された死者数は1018名です.警察庁からは市町村別死者・行方不明者数の表は公表されていないので,5月10日現在の消防庁資料を見ると,陸前高田市の死者は1465名,行方不明者738名となっています.従って,この図に示されたのは同市の死者行方不明者の半数弱ということになります.

図を見ると,死者数は同市の中心部である高田町地区と,同地区と気仙川を挟んで隣接する気仙町地区に集中していることがわかります.なお,横田や矢作は作図上の都合でかなり上流部にグラフがプロットされていますが,浸水域はこれらグラフの位置よりももっと下流側までです.

高田町や気仙町は人口が比較的多い地区なので,死者数もそれに応じて多くなっていることが推察されますので,人口を考慮した集計が必要になります.

2005年国勢調査のデータと,国土地理院による今回の津波浸水区域に関するデータを用いて,津波浸水区域内の人口を地区別に集計しました.国土地理院による,陸前高田市付近の津波浸水範囲概況図は下記です.
http://twitpic.com/4w6yez

先に集計した地区別死者数を,津波浸水区域内人口で割った値を地区別死者率として図にしたのが下記です.
http://twitpic.com/4w6tgr

ここで用いている数値はいろいろな意味で限定的な値です.人口は居住者の数ですから,津波のその瞬間にそれぞれの場所に一人数とは乖離があります.また,浸水域のデータと人口のデータの分解能の差もあります.身元確認された犠牲者のみが対象なので,たとえば町の中心部では身元確認が先行しているとか,特定の地区の遭難者は海上に流された人が多くて発見されにくいなどといった状況があれば,傾向が変わってくる可能性はあります.

あくまでも限定的な検討結果ではありますが,あえて特徴を読めば,高田町は浸水域人口(6504人)と死者数が多いだけでなく,死者率も高くなっていると読み取れます.対照的に,広田町は浸水域人口(3578人)は気仙町(3572人)とほぼ同程度ですが,死者率は1%程度と,相対的に低くなっています.

一つの可能性として,

・いわゆる「町中」で犠牲者が生じやすかったのではないか

という特徴が挙げられそうです.これは,現地調査でいくつか話を聞いた中でも感じていたところで,小さな漁村的な所では迅速かつ積極的な避難が行われていたようなのに対して,市街地的なところではそうではなかったような話も聞きました.

広田町と高田町の対比で言えば,過去の津波経験の違いも挙げられそうです.広田は,明治三陸津波では518名の死者を生じていますが,高田では22名でした.昭和三陸津波でも広田は26名の死者がありますが,高田は3名でした.高田町では,むしろ1960年チリ津波の影響の方が大きかったのですが,このときは浸水被害が中心で,死者は高田で3名,広田で0名でした.

データそのものがかなり限定的であることに加え,このような「被害の生じ方」については「これが原因だ」と明確に断定することはそもそもできません.あくまでも一つの可能性として挙げさせていただきます.

2011年5月10日 (火)

梅雨期を前に・被災地での豪雨災害警戒に役立つ情報(岩手県)

梅雨期が近づいてきました.東日本大震災の被災地では,例年以上に雨による災害(豪雨災害)に対する注意が必要になってきます.豪雨災害を警戒するための情報源は豊富にありますが,被災地では通信環境も必ずしも回復していませんので,携帯電話などからも参照可能なものを中心に,必要最小限の情報に絞って紹介してみたいと思います.

●天気予報
天気予報は携帯電話上からも様々なサイトから見ることができます.無料で比較的充実しているのは,

Yahoo!のモバイル版
http://yahoo.jp/

あたりでしょうか.天気予報だけではなくて,気象レーダー(Yahooの場合「雨雲の動き」,気象庁では「解析雨量」)を見て,現在どのあたりで雨が降っているか,今後,雨域はどのあたりに移動すると予想されているかを確認することが非常に重要です.

避難所などでは,印刷物を掲示することも多いと思います.web接続できてプリンターがある環境ならば,気象庁が3時間毎の天気予報や防災上のコメントをPDFにして公開していますので,これらを随時張り出しておくのもいいかもしれません.

岩手県を例にすると,予測資料の一覧は下記です.
http://goo.gl/AiAWD

このページでは,市町村別の3時間毎の天気予報,週間天気予報,東北地方全体の天気分布の予報,近くの港の潮位などが掲載されています.1日に3回更新されます.

●警報
大雨による災害の発生が予想されるときには,大雨警報や洪水警報などが発表されます.現在,岩手県などの被災地では,大雨警報と洪水警報の発表基準を通常より下げて運用しています.つまり,普段ならば警報にならないような弱い雨でも警報が発表される状態になっています.

大雨により,土砂災害の発生する危険性が高まった際には,大雨警報に加えて,「土砂災害警戒情報」が発表されます.「土砂災害警戒情報」は土砂災害「だけ」の危険性を知らせる情報ではなく,それぞれの地域にとって「激しい雨」が現在降っている,または予想されることを示す情報と受け取っても差し支えありません.

警報,注意報は,携帯電話などの天気情報サイトから確認することができます.

岩手県庁が運営している,

いわてモバイルメール
http://goo.gl/HNaQh (PC版URL)
http://www.pref.iwate.jp/m (携帯版URL)

に登録すると,自分が選択した市町村を対象に,大雨警報や土砂災害警戒情報,津波警報などが発表されると,携帯メール宛に情報が配信されます.

●土砂災害や洪水災害の危険箇所
土砂災害や洪水災害は,どこで発生するか見当も付かないような災害ではありません.危険性のある場所をあらかじめ知っておくことが重要です.

土砂災害の危険性がある場所は,「土砂災害警戒区域」,「急傾斜地崩壊危険箇所」,「土石流危険渓流」などの名称で行政機関による指定がなされています.洪水による浸水の危険性がある場所も,「浸水想定区域」として行政機関による指定がなされている場合があります.

これら,土砂災害や洪水災害の危険性がある場所については,市町村が作成しているハザードマップに掲載されている場合があります.

岩手県では,土砂災害警戒区域を空中写真上に示した図を公開しています.PCでないと参照は困難です.
http://goo.gl/c455a
また,「いわてデジタルマップ」の上から,浸水想定区域などを見ることができます.PCからでないと参照不可能です.
http://goo.gl/z2MvA

従来から示されていた土砂災害や洪水災害の危険性がある場所は,今回の震災の後でも,その危険性に特別な変化が生じることはありませんから,今まで通りに注意が必要です.また,今回の地震により,斜面に亀裂が入るなどして,あらたに土砂災害の危険性が生じている場合もあります.地形に変化が生じていないか,確認しておくことも重要です.

仮設住宅や避難所など,従来は人が常住していなかった場所に多くの人が居住するようになった場合もあるかと思います.人が常住していなかった場所については,「土砂災害警戒区域」の指定対象外となっている場合があります.「土砂災害警戒区域になっていないから安全」,とは思わないでください.土砂災害に対して最も危険な場所は,【谷の出口付近】です.大雨が降った場合には,【谷の出口付近】で特に警戒が必要です.

2011年5月 9日 (月)

陸前高田市中心部付近の津波到達時刻の推定

ネット上で公開されている動画や,新聞報道,筆者の現地での聞き取り調査の結果を総合して,岩手県陸前高田市中心部付近に,陸上まで遡上した津波の到達時間を推定しました.

http://twitpic.com/4veg66

赤い点で示した位置の横に示した数字が,推定された到達時刻(1523ならば3月11日15時23分の意味)です.津波の第一波はもっと早く到達していたと思われますので,あくまでも防潮堤を越えて陸上まで遡上した津波(人の目で明らかに見えた津波)の到達時刻を意味します.

聞き取り調査結果は,人の記憶していた時刻ではなくて,何らかのタイムスタンプが残る記録を伴う情報を用いています.それぞれのタイムスタンプには時計の設定上の誤差が含まれますが,複数の情報源で補い合っている情報もありますので,おおむねプラスマイナス1分程度の範囲に収まっているものと思われます.

いずれにせよ,地震発生(1446)から致命的な津波が陸上に到達するまでの時間は40分程度あったと考えられます.陸前高田の場合,海岸から標高20m以上の高台までの距離は最も遠いところでも2km程度のですので,地震直後に移動を始めていれば,徒歩であっても何とか間に合うだけの時間があったことになります.

2011年5月 6日 (金)

岩手,宮城,福島の犠牲者について

岩手,宮城,福島以外での震災による死者・行方不明者について, http://goo.gl/MMOi6 に先にまとめました.津波に犠牲者が偏在し,建物倒壊による犠牲者が全域的にほとんど生じていない事が確認されます.筆者は建築の専門性がありませんので,このことの意味についてはコメントできません.構造物の損壊による人的被害が目立たなかったという事実だけを指摘します.

岩手,宮城,福島の犠牲者についてはあまり詳しい検討ができません.今のところ,津波と明らかに関係のなさそうな内陸の市町村での死者・行方不明者数は67名,うち土砂災害が25名以上,建物倒壊は1名,あとはまだ不明です.これら3県では,ダブルカウントも出ています.建物倒壊に伴う犠牲者が非常に少なく,むしろ土砂災害の犠牲者が目立ちます.なお,この集計では,福島県須賀川市でのダム決壊による犠牲者10名を土砂災害に含んでいます.

4/30消防庁資料を元にした市町村別死者・行方不明者数.最多は宮城県石巻市の5649人.2番目は岩手県陸前高田市の2212人.1000人以上は釜石市,大槌町,気仙沼市,名取市,東松島市,女川町,南三陸町,南相馬市となっています. http://twitpic.com/4tydbd

2005年国勢調査500mメッシュと国土地理院資料を元に,津波浸水域の人口を市町村別に求め,死者・行方不明者の比率を示します.最多は女川町16.4%.10%以上が陸前高田市,大槌町,南相馬市となります. http://twitpic.com/4tyfdd

石巻市の犠牲者数が多いのは,人口の多いところが広範囲に津波に見舞われたためとも読み取れそうです. http://twitpic.com/4tygab

浸水域人口が多い(31002人)割に犠牲者が少ない(22人,0.1%)のが塩竃市.塩竈も松島と同様に外力としての津波の規模が相対的に弱かったことが影響していそうです.浸水面積自体は少なくないので,津波の流速が弱かった結果なのかも知れません.

岩手県沿岸部で犠牲者率が比較的低いのは,久慈市(浸水域人口4316人,犠牲者4人,0.1%),洋野町(1725,0,0.0%),普代村(719,1,0.1%),岩泉町(961,7,0.7%).洋野,久慈あたりは外力の違いも関係ある?

2011年5月 3日 (火)

東日本大震災犠牲者(東北3県以外)の原因別分類・4月30日時点

筆者はこれまで,豪雨災害を中心として自然災害の犠牲者の発生状況に関する調査研究をしてきました.

http://disaster-i.net/research4.html

もともとこの研究の発端は津波災害についてでしたし,地震災害についても一部同様な手法での研究を行っています.

東日本大震災では,その被害規模があまりに大きいことから,従来と同様な手法ではこのような調査研究を行うことは困難です.そもそも,発災後まもなく2ヶ月になろうとしていますが,いまだに死者・行方不明者数は変動しつつあります.4月30日の警察庁資料によれば死者・行方不明者数は25681人で,これは4月20日の27754人より2000人ほど少なくなりました.これは全く奇異なことではなく,発表される被害が発災直後から次第に増え,やがてピークを迎えてその後減少するのは一般的に見られることですが,これほど極端に増減することは極めて異例です.

しかし,被害が特に大きい岩手・宮城・福島以外の各地では,死者・行方不明者数については大きな変動が見られなくなってきました.これら3県以外の死者・行方不明者数は相対的に少ないことから,従来と同様な方法での集計も可能と思われますので,4月末時点のデータをもとに検討してみました.

基礎となるデータは,消防庁の「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)(第115報) 4/30」です.ここに示された市町村別の値をもとに,各県の公表資料,報道記事をもとにデータベース化し集計しました.

3県以外では,北海道,青森,茨城,栃木,群馬,埼玉,千葉,東京,神奈川の9都道県で,死者64名,行方不明者4名,計68名の被害が生じています.いわゆる関連死がほとんどカウントされていないので,ほぼ地震による直接的な犠牲者数となります.また,3月11日夕方,4月7日,4月11日の余震による死者各1名・計3名が含まれています.

これだけでも,近年の主要地震災害である2008年岩手・宮城内陸地震(死者・行方不明者23名),2004年新潟県中越地震(地震に直接起因する死者・行方不明者は24名)などを大きく超えていることになります.

これら犠牲者を原因別に分類すると下図のようになります.

http://twitpic.com/4ss6z1

分類法は,筆者の既往研究である,

牛山素行・太田好乃,2009:平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震による死者・行方不明者の特徴,自然災害科学,Vol.28, No.1, pp.59-66.
http://goo.gl/lX06S

に,あらたに「津波」と「落下」を加えたものとしました.

東北3県以外で集計しても「津波」が多く,全体の1/3程度を占めます.これに次ぐのが「倒壊」です.ただし,建物が完全に倒伏してその下敷きになったと見られる犠牲者は2~3名で,落下した天井に当たったと思われるケースが4~5名,橋梁や立体駐車場の落下に巻き込まれたものが3名,屋外で瓦や壁の落下に巻き込まれたものが3名,家具や本の下敷きとなったものが2名となっています.

「その他」はいわゆるショック死4名,いろいろな状況での転倒5名,酸素吸入器の停止2名,有毒ガス吸引2名,などです.「落下」6名の内4名は茨城県東海村火力発電所工事現場での遭難者です.「土砂」は栃木県那須烏山市での2名と,茨城県つくば市筑波山での落石事例です.

今回の震災の犠牲者が津波に大きく偏り,建物倒壊に伴う犠牲者が限定的だということは現地を見ればだいたい推察できますが,東北3県以外の傾向からもその傾向は見て取れそうです.

2011年5月 2日 (月)

「津波の前必ず引き潮」 誤信が悲劇招く

「津波の前必ず引き潮」 誤信が悲劇招く 岩手・大槌 (河北新報)
http://bit.ly/lkPMAh

この話,私は直接聞いていませんが,非常にまずい話だと思います.ただ,私の過去の調査では,津波の前に潮が引く現象が必ずあると考えている人は多数派とまでは言えません.聞き方によってだいぶ回答傾向が変わります.聞き方の難しい設問になります.

2003年5月26日「三陸南地震」時の住民と防災情報
PDF→ http://goo.gl/KYw6k の4ページ.
「大きな津波が来るときは必ず海の水位が下がる」が正しいと思う人は6~8割.

岩手県陸前高田市気仙町地区における防災意識に関する調査
PDF→ http://goo.gl/QQqEC 15ページ.
「海の水が引かなければ津波は来ない」が正しいと思う人は3割

2010年2月28日のチリ地震津波に関するアンケート
概要PDF→ http://goo.gl/pRTAh 5ページ.
「津波が来るときは前兆として海面の低下が必ず起こる」が正しいと思う人が7割前後.

「津波が来るときは海面低下が起こる」ならば正しくないとまでは言えません.しかし,「津波が来るときは海面低下が必ず起こる」ならば正しいと言えません.「必ず」を回答者が読み取れるかどうかでこの質問の結果の読み方は代わってしまいます.聞き方を悩んだ設問です.

「海の水が引かなければ津波は来ない」ならば正しい,正しくないがはっきりします.この設問でいくつか聞いておくべきだったと後悔しています.

結局,「海面低下が起きたら津波が来る」と思っている人は,三陸でも静岡でも多数派と考えられますが,「海面低下が起きなければ津波は来ない」と考えている人が多数派か少数派かについては私の手持ち資料ではよくわかりません.

つまり,河北新報の記事にある 「『津波が来る前には必ず潮が引く』。過去に津波を経験した三陸沿岸の住民の多くは、そう信じていた。」という指摘について,「【必ず】潮が引く」と思っていた人が「多く」とまでは言えないのではないかと思います.

津波防災教育の教材として有名な「稲むらの火」があります.印象的で優れた作品なのですが,「津波が来るときは潮が引く」という「正しいが,正しくないこともある」知識を刷り込んでしまう危険性を私は以前から危惧しています.

RT @HayakawaYukio: @disaster_i あれ、ひき波からはじまったんじゃなかったの?@kuri_kitchen さんの聞き取りでは、いままでにないほど引いた、だから逃げた、って聞いた。

@HayakawaYukio @kuri_kitchen 引き波があった,という話は陸前高田で私も聞いています.記事中の今村さんのコメントにあるように,引き波が見えにくい場所というのもあったのでは.

気象庁「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第6報) http://goo.gl/Wijxv あたりに載ってる潮位記録で見ると,宮古,釜石,大船渡ではまず明確な引き波があって,その後に大きく押しに転じています.

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「津波の前必ず引き潮」 誤信が悲劇招く 岩手・大槌
河北新報 5月1日(日)6時13分配信

 「津波が来る前には必ず潮が引く」。過去に津波を経験した三陸沿岸の住民の多くは、そう信じていた。岩手県大槌町では東日本大震災で、引き潮がなかったように見えたため、潮が引いてから逃げようとした住民を急襲した津波がのみ込んだという。津波の前兆を信じていたことが、1600人を超える死者・行方不明者を出した惨劇の一因にもなった。

 3月11日午後3時すぎ、大槌町中心部の高台に逃げた住民は、不可解な海の様子に首をかしげた。大津波警報は出されていたが、海面は港の岸壁と同じ高さのまま。潮が動く気配がなかった。
 「潮が引かない。本当に津波が来るのか」。そんな声が出始めた。
 大槌町中心部は、大槌川と小鎚川に挟まれた平地に広がる。津波の通り道となる二つの川の間に開けた町の海抜は10メートル以下。津波には弱い一方で、山が近くに迫り、すぐ避難できる高台は多い。
 高台にいた住民らの話では、海面に変化が見えない状態は20分前後、続いたという。JR山田線の高架橋に避難した勝山敏広さん(50)は「避難先の高台から声が届く範囲に住む住民が『潮が引いたら叫んでくれ。すぐに逃げてくるから』と言い、自宅に戻った。貴重品を取るためだった」と証言する。
 複数の住民によると、高台を下る住民が目立ち始めたころ、港のすぐ沖の海面が大きく盛り上がった。勝山さんは信じられない現象に一瞬、言葉を失った。「津波だ」と叫んだ時には、既に濁流が町中心部に入り、自らの足元に迫った。
 「なぜ潮が引かないのに津波が来たのかと、海を恨んだ。自宅に戻った人を呼び戻す機会がなかった。引き潮があれば、多くの人が助かった」と勝山さんは嘆く。
 住民によると、津波は大槌川と小鎚川を上って川からあふれ、濁流が町中心部を覆った。少し遅れて、港中央部の海側から入った津波が防潮堤を破壊し、なだれ込んだ。
 町中心部の銀行の屋上から目撃した鈴木正人さん(73)は「2本の川と海の3方向から入った津波が鉄砲水のようになって住民と家屋をのみ込んだ。やがて合流し、巨大な渦を巻いた」と振り返る。
 東北大大学院災害制御研究センターの今村文彦教授は「引き潮がない津波もある。津波の前に必ず潮が引くという認識は正確ではない。親から聞いたり、自らが体験したりして誤信が定着していた」と指摘。
 近隣の山田湾などで潮が大きく引いたことから、大槌湾でも実際は潮が引いていた可能性が高いと分析し、「湾の水深や形状から潮の引きが小さくなったことに加え、港の地盤が地震で沈下し、潮が引いたようには見えにくかったのではないか」と推測している。
(中村洋介、遠藤正秀)

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