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2011年6月28日 (火)

津波到達直前の陸前高田市の状況再現

現在,岩手県陸前高田市を対象として,ネット公開されている画像・動画や,二次利用をしないことを条件に住民の方などからご提供いただいた画像などの,タイムスタンプ付き情報を元にして,津波到達直前の陸前高田市の状況の再現作業に着手しています.

画像などのタイムスタンプは必ずしも正確と限りませんので,複数のデータをつきあわせて時刻補正を行っています.現時点で,ほぼ,±1分以内の時刻精度を確保できていると考えています.

津波到達前の状況として関心が持たれる事項のひとつに,道路の混雑状況(渋滞の発生)があります.下の図は,これまで入手できた情報から,津波到達前の道路状況を確認できる区間と,確認できる時間帯を示したものです.
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時空間的にかなり限定的な情報ではありますが,ここから確認できた範囲内では,車が渋滞し,流れが止まっているような状況はほぼ確認できません.あえて挙げれば下記2件くらいです.

  • 14:52頃A地点(マイヤ西方,高田街道と駅前通りの交差点)に5台程度の車が停車している.信号は消灯.
  • 15:17頃D地点(気仙中学校前国道45号)で,長部→高田方向行きの車がつながっている.工事中で交互通行か? この時刻以外には同地点では同様な状況無し.

ただし,だからといって陸前高田市街地で,津波到達前に渋滞が発生していなかったとは考えていません.現地での証言や報道などから,位置が比較的はっきりした情報として,下記付近が渋滞していたようです.

  • 荒町から高田小学校へ上がる道付近
  • 国道340号の高田第一中学下付近
  • 東浜街道,長砂三叉路付近

高台方面に上がる道のうち,馬場下から高田第一中学に上がる道はそれほど混んでいなかったとの話もあります.

なお,上記の写真や動画の中では,徒歩で移動する人の動きはあまり確認できませんでした.複数の人の動きが見えたのは下記くらいです.

  • 14:52頃A地点(マイヤ北側の高田街道)
  • 14:54頃B地点(馬場下)
  • 15:26頃H地点(市役所前)

同じデータを使って津波の侵入時刻の推定ができつつありますが,これについては別記します.

陸前高田市街地への津波到達時刻の推定(改訂版)
http://twitpic.com/5i1xkf

この調査は,データが増えればさらに詳しい再現ができるようになります.陸前高田市について,津波到達前の時間帯(14:46~15:30頃)の

  • デジタルカメラ画像(加工していないオリジナルの画像ファイル),動画ファイル
  • 陸前高田市内で津波到達前の時間帯に送受信されたメール,ツイート,ブログ書き込み
  • その他,時刻や場所を特定できるデータや証言

などについて情報提供をしていただける方は,
http://disaster-i.net/contact.html
からご都合の良い連絡方法でご一報いただければ幸いです.ツイッター(@disaster_i)のダイレクトメールでも結構です.

なお,ご提供いただいた場合,それらの画像ファイルなどは,上記のような推定の図を構成する情報の一部として使用します.画像ファイルそのものや,個人を特定するような情報の二次利用(web上や論文などへの転載)は,特に許可をいただいた場合を除いていたしません.

2011年6月21日 (火)

東日本大震災に伴う死者・行方不明者の特徴(速報)

これまでにブログ等に挙げた文書を整理して,「東日本大震災に伴う死者・行方不明者の特徴(速報)」にまとめました.東北大学災害制御研究センター津波工学研究室が刊行している紀要的刊行物である「津波工学研究報告」に投稿した原稿です.

「東日本大震災に伴う死者・行方不明者の特徴(速報)」
http://disaster-i.net/disaster/20110311/20110621.pdf

以下に,「終わりに」の内容を挙げておきます.
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 6月上旬現在で公表されている資料を元に,東日本大震災に伴う死者・行方不明者の特徴について概観した.主な結果を整理すると以下の通りである.

  • 6月6日現在の警察庁資料によれば,死者15373名,行方不明者8198名,計23571名.発表された値は,4月中旬がピークで,最大値より5000名以上減少し,6月上旬現在1日数十人規模で減少している.
  • 身元判明死者の一覧表を元に年代構成を集計すると,全人口と比較し60代以上の構成比が高く,50代以下で低い.全犠牲者の63.1%が60歳以上で高齢者に偏在している.阪神・淡路大震災時の同58.3%よりやや高く,2004~2010年の日本の豪雨災害による犠牲者の同65%に近い,阪神・淡路大震災時に見られた20代の構成比がやや高い現象は確認できない.
  • 岩手,宮城,福島の3県の犠牲者が,全犠牲者の99.7%を占める.また,この3県の沿岸37市町村の犠牲者が全犠牲者の99.3%を占め,犠牲者のほとんどが津波に起因していることが示唆される.
  • 阪神・淡路大震災時の神戸市では人口に対する犠牲者の比が0.31%だったが,東日本大震災では,沿岸37市町村中24市町村で0.31%を超え,最大は岩手県大槌町の10.46%だった.
  • 津波浸水域の人口に対する犠牲者数の割合は,最大が岩手県大槌町の14.50%で,岩手県陸前高田市,宮城県女川町で10%を超えた.これは近年の日本の災害と比較して非常に高い比率だが,浸水域に居住していた人の少なくとも8割程度は何らかの形で難を逃れ,生き残ったとも読み取れる.明治三陸津波時には,町村の人口に対する犠牲者の割合2~5割に達しているケースも少なくなかったことを考えると,これまでの各種防災対策に何らかの効果があった可能性が示唆され,今後さらに検証が必要である.
  • 岩手,宮城,福島以外での死者・行方不明者は70名で,原因別では4割が津波,2割が倒壊だった.ただし住家の倒壊による犠牲者は確認できない.遭難場所は自宅付近以外が6割だが,いわゆる外来者が被害の多くを占めるような状況ではなかった.
  • 岩手,宮城,福島以外での津波犠牲者のうちわけでは,何らかの避難行動をとっているものが多かったが,避難後に危険地域に戻って遭難したケースも見られた.

2011年6月17日 (金)

東日本大震災による死者・行方不明者 -3県以外・遭難場所と避難行動-

岩手・宮城・福島の3県以外の犠牲者の分類

(2)被災場所別犠牲者数
 3県以外の犠牲者70名を,遭難場所で分類し,牛山ら(2009)で示した2008年岩手・宮城内陸地震と,2004年新潟県中越地震の犠牲者と比較した図が図 14である.不明が2割ほど存在するが,自宅付近での遭難者が半数に及んでいない事が注目される.平日昼間の発災であったことを反映しているのかも知れない.ただし,自宅住所と遭難場所の関係について集計すると,居住市町村内での遭難者が6割を占めており(図 15),岩手・宮城内陸地震のように外来者ばかりが遭難した事例とは様相が異なる.
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図 14 被災場所別犠牲者数(3県以外と過去2事例)
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図 15 自宅住所別犠牲者数(3県以外と過去2事例)

(3)津波避難行動
 津波による犠牲者26名について,避難行動の状況を整理したのが図 16である.半数が不明だが,判明した犠牲者13名のうち,10名は何らかの避難行動をとっていた.ただし,一旦安全な場所に避難した後に低い場所に戻り,遭難している犠牲者が10名中5名に上っている.極めて断片的なデータにもとづく結果ではあるが,一つの示唆は与えているように思われる.
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図 16 津波犠牲者の避難行動(3県以外)

東日本大震災による死者・行方不明者 -3県以外・原因別犠牲者数-

岩手・宮城・福島の3県以外の犠牲者の分類

(1)原因別犠牲者数
 既に述べたように,東日本大震災に伴う死者・行方不明者は,その多くが津波に起因するものである可能性が高い.しかし,死者・行方不明者の発生原因に関する数値的なデータは6月上旬時点では公開されていない.内閣府(2011)には,東日本大震災の犠牲者の死因として,溺死92.4%,圧死・損壊死・その他4.4%,焼死1.1%,不詳2.0%とあるが,出典は「警察庁資料より内閣府作成」とあり,実数のデータはわからない.
 筆者は,地震災害や豪雨災害による犠牲者について,新聞報道や現地調査を元にデータベース化し,原因や発生状況についての解析を行ってきた(牛山ら,2009;牛山ら,2010など).しかし,このような手法では今回の震災による犠牲者に関する集計を行うことができない.試みに,先に用いた「一覧表」の死者のうち約300名について氏名を検索語として報道記事を検索したところ,個別的な遭難状況などが記事になっていたケースは数人程度しか確認できなかった.ただし,岩手,宮城,福島の3県以外の死者・行方不明者については,報道記事を元にした調査でおおむね個別の遭難状況が確認できたので,以下に挙げる.
 総務省消防庁(2011)によれば,東日本大震災に伴う,岩手・宮城・福島以外の各県における死者は66名,行方不明者4名,計70名である.これだけでも,日本の地震による直接的犠牲者数としては1995年阪神・淡路大震災以降最大である.なおこの70名には,3月11日17時20分頃の余震,4月7日の余震,4月11日の余震に伴う死者がそれぞれ1名ずつ,計3名が含まれている.以下ではこの70名について集計を行う.
 原因別の分類法は,牛山ら(2009)で用いた定義に若干加筆を行った表 2を用いた.原因別では津波によるものが最も多く26名(37%)となっている.これはすべて茨城及び千葉県での犠牲者である.津波の次に多いのは倒壊(15名)となった.ただし,表 2にみるように,ここでいう倒壊はかなり広い内容が含まれている.阪神・淡路大震災で多く見られた,住家が倒壊し,その下敷きとなって死亡したケースは1例も確認できなかった.内訳は,天井の落下によるものが5人,橋梁や立体駐車場の落下によるものが3人,外壁や瓦の落下が3人,納屋などの非住家建造物の倒壊によるものが2人,家具や図書の落下が2人などである.2008年岩手・宮城内陸地震で顕在化した,地震に伴う土砂災害に起因する犠牲者は3名で,それほど多くない.ただし,この集計には含まれないが,福島県白河市では12名が地震起因の斜面崩壊で死亡している.また,土砂災害に近い現象として,福島県須賀川市でも農業用貯水池の崩壊によって洪水が発生し10名が死亡している.4月11日の余震では,斜面崩壊によって福島県いわき市で3名が死亡している.これらを合算すると東日本大震災に伴う土砂災害による犠牲者数は少なくとも28名に上る.地震起因土砂災害の犠牲者の多かった事例である2008年岩手・宮城内陸地震時の23名を明らかに上回っており,けっして少ない数ではない.

表 2 遭難原因の定義
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図 13 3県以外の原因別死者・行方不明者数

[参考文献]
内閣府: 東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会(第1回)配付資料,http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/higashinihon/1/index.html,2011年6月1日参照.
総務省消防庁:平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について(第126報),http://www.fdma.go.jp/bn/higaihou/pdf/jishin/126.pdf,2011年6月6日参照.
牛山素行・太田好乃:平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震による死者・行方不明者の特徴,自然災害科学,Vol.28, No.1, pp.59-66,2009.
牛山素行・高柳夕芳:2004~2009年の豪雨災害による死者・行方不明者の特徴,自然災害科学,Vol.29,No.3,pp.355-364,2010.

東日本大震災による死者・行方不明者 -過去の災害との比較-

 理科年表をもとに明治以降のわが国で発生した死者・行方不明者数の大きな自然災害を上位5位まで挙げると表 1となる.東日本大震災の死者・行方不明者数はまだ変動しつつあるが,明治三陸地震津波を超え,関東大震災に次ぐ規模となる可能性が高い.関東大震災,明治三陸津波ともに今から100年程度前の事象であり,現在とは各種社会インフラの整備状況が比較にならない時代である.このような災害に匹敵する規模の被害が生じたことになる.

表 1 明治以降の主な日本の自然災害
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 明治三陸地震津波は,東日本大震災と同様に三陸地方を襲った津波災害である.そこで,このときの人的被害と今回の被害の比較を試みた.明治三陸地震津波の際の人的被害については,山下(2008)に収録の表を用いた.同表では,明治三陸津波の際の町村ごとの被害が表記されているので,これを現行の行政区単位に集計し直した.明治三陸津波による被害は,宮城県北部から岩手県の沿岸で主として生じており,宮城県南部や福島県では人的被害はほぼ生じていない.明治三陸津波と東日本大震災による犠牲者を現市町村毎に集計,比較したのが図 11である.なお,明治三陸津波による被害は単に「死者」と表記されており,行方不明者が確認,収録されているのかどうか不明である.図 11に見るように,明治三陸津波による大きな被害を受けた範囲では,石巻市,女川町,陸前高田市,大槌町では東日本大震災による犠牲者の方が多いが,他の市町村では明治三陸津波による被害の方が大きい.
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図 11 明治三陸津波と東日本大震災による市町村別犠牲者

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図 12 明治三陸津波と東日本大震災による市町村別犠牲者の人口に対する比

 明治三陸津波の当時と現在では,人口そのものも大きく異なるので,犠牲者の実数だけで単純な比較はできない.そこで,被害を受けた地域の人口に対する犠牲者率について検討した.山下(2008)には「被害前人口」が収録されているので,これを分母として犠牲者率を求めた.山下(2008)に収録されているデータは,明治三陸津波当時の沿岸町村のみである.したがって,これらを現行の行政区の範囲毎に合算しても,現市町村の範囲よりはかなり狭くなる.そこで,比較対象は,3.4で求めた浸水域人口に対する犠牲者率を用いた.
 結果を図 12に示す.犠牲者率で見ても,石巻市,女川町,大槌町では東日本大震災に伴う値の方が高くなっているが,他の市町村では明治三陸津波の際の犠牲者率の方が高い.注目されるのは,犠牲者率が非常に高い市町村が目立つことで,11市町村では東日本大震災時の最も高い犠牲者率である大槌町の14.5%を超えている.東日本大震災については,浸水域内の人口のみを分母としていることから,単純に考えれば町村全体の人口を分母とした明治三陸津波より犠牲者率は高く出やすいはずであるが,それでも多くの市町村では明治三陸津波の方が犠牲者率が高くなった.東日本大震災のほうが,明治三陸津波に比べれば犠牲者が発生しにくい傾向があったと読み取れる.その背景については明確に示せないが,様々な意味での防災対策の効果があった可能性もある.

[参考文献]
山下文男:津波と防災 -三陸津波始末-,古今書院,2008.

東日本大震災による死者・行方不明者 -津波浸水域と被害の関係-

 沿岸部に被害が集中していることから,犠牲者の多くは津波による犠牲者であることが考えられる.市町村別の津波浸水面積(国土地理院,2011)と,死者・行方不明者の関係を散布図にすると図 10となり,相関係数は0.662でかなりの相関が見られる.大まかな傾向としては,外力としての津波の規模が大きかった地域で,大きな被害が生じたと考えてよさそうである.
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図 10 市町村別津波浸水面積と死者・行方不明者の関係

 津波と犠牲者の関係をもう少し詳しく検討するために,津波浸水域内に限定した人口に対する死者・行方不明者の比を計算した(図 9).ここで津波浸水域内の人口としては,総務省統計局(2011)が,国土地理院の公表した津波浸水範囲と,2010年国勢調査の人口を用いて集計,公表した値を利用した.津波浸水域人口に対する比でも,最も高い値は岩手県大槌町で,14.50%だった.以下,岩手県陸前高田市,宮城県女川町で10%を超えている.被災地人口の1割前後が犠牲になることは,近年の日本の自然災害としては極端に大きな被害であることは間違いない.しかし,今回の津波到達範囲では家屋等の構造物が完全に倒壊,流失しているケースが多い.これだけ激甚な外力が加わったにもかかわらず,犠牲者は津波の影響を受けた範囲にいたと思われる人の1割前後だったと見ることもできる.つまり,大半の人は何らかの形で津波から逃れ,生き残った可能性が高い.犠牲者の発生状況については,今後様々な角度からの検証が必要だが,少なくとも「津波到達範囲にいた大半の人が逃げ遅れて遭難した」という状況ではなかったと推定される.
 また,津波が到達してもほとんど犠牲者が生じなかった市町村が存在する一方で,到達範囲内の1割以上が遭難した市町村が存在するなど,地域によって影響の現れ方がだいぶ異なることも注目される.様々な要因が影響していることが考えられ,今後の課題である.
 なお,これは人口統計値を元にした集計なので,津波到達時に本当にその範囲にいた人の数とは乖離があると考えられるが,特に被害の大きかった市町村は中心市街地が壊滅したケースが多く,むしろ被災時(昼間)の人口は国勢調査の人口より多かった可能性もある.今後何らかの補正,推定は行う必要がある.
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図 9 市町村別死者・行方不明者数の津波浸水域人口に対する比

東日本大震災による死者・行方不明者 -地域別の特徴-

 消防庁(2011)に収録されている市町村別死者・行方不明者数の値(計23539人)を元に県別に集計した結果が図 5である.北海道から神奈川県までの広い範囲で犠牲者が生じている.最も多いのは宮城県(14101人)で,岩手県(7388人),福島県(1980人)がこれに続き,これら3県で全犠牲者の99.7%を占める.
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図 5 県別死者・行方不明者数

 被害の集中した岩手,宮城,福島3県の市町村別死者・行方不明者分布図が図 6である海岸線を持つ市町村への被害集中が明瞭である.3県内で海岸線を持つ市町村は37存在するが,岩手県洋野町を除く36市町村で犠牲者が生じた.これら37市町村での死者・行方不明者の合計は23377人で,全体の99.3%となる.特に,福島県相馬市~岩手県宮古市の間では,ほとんどの市町村で死者・行方不明者が100名以上となっている.37市町村毎の死者・行方不明者を棒グラフにすると図 7になる.最も被害が多かったのは宮城県石巻市の5795人で,岩手県陸前高田市,釜石市,大槌町,宮城県気仙沼市,名取市,東松島市,南三陸町で1000人を超える.
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図 6 市町村別死者・行方不明者分布図
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図 7 市町村別死者・行方不明者数

 実数としての死者・行方不明者数は,人口の多い市町村で大きく出ている可能性もある.そこで,2005年国勢調査の値を用いて,市町村内の総人口に対する死者・行方不明者の比(以下では犠牲者率という)を求めると図 8となる.阪神・淡路大震災時の神戸市では関連死含む死者が4573名であり(兵庫県,2005),1990年国勢調査による神戸市の人口が1477410名なので,犠牲者率は0.31%だった.東日本大震災では,沿岸37市町村中24市町村で犠牲者率が0.31%を超えており,最も値の大きい岩手県大槌町では10.46%に達した.近年の豪雨災害を例に取ると,筆者が整理している2004~2010年の豪雨災害において,1市町村当たりで最も死者・行方不明者が多かった事例は,2009年8月9日の兵庫県佐用町での20名だが,2005年国勢調査による佐用町の人口21012人に対する犠牲者率は0.10%である.近年の日本の自然災害による犠牲者の発生率とは桁違いに大きな被害が生じたことになる.
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図 8 市町村別死者・行方不明者数の全人口に対する比

東日本大震災による死者-年代構成の特徴-

 1999年以降の日本の災害では,総務省消防庁が発表する事例毎の資料に,県別の死者・行方不明者数が示され,その別表として個々の遭難者の遭難場所(市町村名),年齢,性別が表記されており,ここから遭難者の年齢,性別に関する集計を行うことができた.しかし,東日本大震災においては,消防庁資料にこのような情報が収録されていない.一方,従来の災害では発表されたことがなかったが,今回の災害では警察庁から「今回の災害でお亡くなりになり身元が確認された方々の一覧表について」(警察庁,2011;以下では「一覧表」と言う)として,身元が確認された死者の発見場所(県のみ),氏名,年齢,性別,住所(大字程度)が公表されている.そこで,6月6日現在の「一覧表」を用いて,犠牲者の年代,性別を集計した.「一覧表」には,行方不明者,および身元不明の遺体については含まれていない.また,遺族がホームページでの犠牲者の公表を希望しない場合には掲載していないケースもある(宮城県警察本部,2011).これらの結果,6月6日現在で警察庁が発表している死者数が15373名であるのに対し,「一覧表」に示された犠牲者数は12843名(死者数の83.5%,死者・行方不明者数の54.5%)となっている.したがって,ここで行う集計は,今回の犠牲者の半数強程度を対象とした検討結果であることに注意が必要である.
 今回の犠牲者のほとんどは岩手,宮城,福島県(以下では「3県」と言う)に集中している.「一覧表」を元にした集計では,3県の犠牲者のみを対象とする.
 「一覧表」を元に犠牲者の年代構成を10歳毎に集計し,2005年国勢調査の値を元に3県の年代構成と比較したのが図 3である.比較のため,兵庫県(2005)をもとに,阪神・淡路大震災時の犠牲者について同様な図を作成した.東日本大震災の犠牲者は,全人口の年代構成と比較し60代以上の構成比が高く,50代以下で低くなっている.全犠牲者(年齢不明を含む)の63.1%が60歳以上,44.7%が70歳以上であり,高齢者への偏在が見られる.阪神・淡路大震災時にも同様な偏在が見られるが,60歳以上は58.3%,70歳以上が39.3%であり,東日本大震災の方がより偏在している.2004~2010年の日本の豪雨災害による犠牲者387人を元にした集計(牛山ら,投稿中)では,60歳以上64.7%,70歳以上48.6%であり,東日本大震災とよく似た傾向が見られる.阪神・淡路大震災では,20代の犠牲者構成比がやや高くなっていることがよく知られているが,東日本大震災ではそのような傾向は見られない.
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図 3 東日本大震災及び阪神・淡路大震災による犠牲者の年代構成

[参考文献]
兵庫県:阪神・淡路大震災の死者にかかる調査について(平成17年12月22日記者発表),http://web.pref.hyogo.jp/pa20/pa20_000000016.html,2005(2011年6月14日参照).
警察庁:今回の災害でお亡くなりになり身元が確認された方々の一覧表について,http://www.npa.go.jp/archive/keibi/biki/mimoto/identity.htm,2011年6月7日参照.
宮城県警察本部:身元が確認された犠牲者の方々,http://www.police.pref.miyagi.jp/hp/jishin/itai/kakunin/itai_kakunin.html,2011年6月14日参照.
牛山素行・高柳夕芳・横幕早季:近年の豪雨災害による犠牲者の年齢構成について,自然災害科学,(投稿中).

2011年6月16日 (木)

土砂災害警戒情報の性質と,気象情報の空間分解能について

筆者は,土砂災害警戒情報は「市町村全体で土砂災害の危険がある」と言っているわけではなく,「市町村内で(地形的に)土砂災害の可能性がある場所で発生する危険が高まっている」事を意味する情報と考えています.したがって,土砂災害警戒情報が出たから,全市民対象に避難勧告を出すことは明確に間違っています.避難した方がよいのは土砂災害警戒区域などにいる人です.

また,土砂災害警戒情報のような動的情報だけが災害情報ではなく,ハザードマップなどの静的情報と組み合わせて運用されるよう「日頃からの備え」が重要です.避難袋を作ることばかりが「備え」ではありません.

実は土砂災害警戒情報は基本的に降水量だけを元に計算されている指標なので,単に土砂災害に対して注意を促すばかりでなく,「当該地域にとって(ただの大雨警報の水準よりさらに)激しい雨」が降っていることを示すいい指標にもなります.

この種の情報をどう使うか?,が今日的な課題です.出された情報を全国民1人1人が完全に理解し,活用できることを目指すのは少々難しいと思います.情報を仲介して活用する人が必要と考えます.そういう人は集落に1人くらいいれば理想ですが,最低でも市町村に1人いてくれるだけでも意味があると思います.

土砂災害警戒情報が市町村単位では粗すぎるから集落単位で危険度を示せ,という「ニーズ」を必ずと言っていいほど聞きます.しかし私はこれに対応することに否定的です.降水量データの空間分解能が最小でも1kmメッシュであり,それを数十mに刻んでも所詮内挿です.内挿されたデータが「精密・正確なデータ」でないことは,この種のデータの扱いに慣れている人ならよくわかることですが,すべての人に共通して理解されているとは考えられません.数値やら指標やらが出て来ればそれが「正確な値」として受け取られても仕方がありません.

空間的な精度として,集落単位の危険度の差を示せるほどの精度がないのに,やたらと細かい危険度分布をだして「きめ細かい避難」とやらをやることがいい方向だとは思えません.

ただ,一律に市町村を単位にしているのはさすがに広すぎる場合もあると思いますので,イメージとしては,昭和合併前の町村くらいのスケール(あるいは5~10kmメッシュ単位くらい)で出した方がいいのでは,とは思います.土砂災害警戒情報の空間分解能を,「情報の運用上の都合」で決めることは適切ではありません.情報が持っている精度にもとづいて考えるべきです.その意味で,昭和合併前の町村(5~10kmメッシュくらい)くらいが最小単位だと思います.なお,現在でもあまりに大きすぎる市町村は,警報も土砂災害警戒情報も分割して出されているケースがあります.すぐ思いつくところでは,仙台市,静岡市,浜松市がそうです.

解析雨量のように格子(メッシュ)で示された情報は,最小格子まで拡大して読み取るような使い方は適切ではありません.特定メッシュに示された値は,少なくともその周囲8メッシュのいずれかの値であったとしてもおかしくありません.以下は解析雨量についてのイメージ図です.中央のメッシュが50mmを示していますが,実際に50mm程度の雨が降っているのがこの周囲8メッシュのいずれかである可能性は十分あります. http://twitpic.com/5c56ha

2011年6月15日 (水)

東日本大震災に伴う死者・行方不明者の推移 6月上旬時点

東日本大震災に伴う死者・行方不明者について,最近の動向を少し整理しました.6月13日現在の警察庁資料によれば東日本大震災に伴う死者・行方不明者は23355名.発表数最大だった4月13日の28525名よりは5000名以上減少.不明者の判明が進んでいるためと読み取れます. http://twitpic.com/5bbxqj
 

発表されている死者にいわゆる「関連死」が含まれているのかよくわかりませんが,これまでの調査から,少なくとも岩手・宮城・福島以外の都県の死者や,岩手・宮城・福島の内陸部の死者には関連死がほとんど含まれていないと判断できます.

地震災害では関連死がかなり多く認定される傾向にあります.たとえば阪神大震災では死者・行方不明者6434人中約900人(約14%)が関連死とされており,筆者の調査でも中越地震では68名中44名(65%)が関連死と考えられます.今後関連死の認定が進むと,死者・行方不明者数が再び増加する可能性はあります.

6月上旬時点の死者・行方不明者数は,3月17日頃の数に近くなっていますが,これは,3月17日頃の数が正しくて,3月下旬から5月にかけて発表されていた値が間違っていたということを意味しません.

なお,関連死の明確な基準はないようです.同様に,「直接死」についても統一された基準はありません.市町村が災害に伴う死亡であると認めれば災害による死者・行方不明者となります.このためもあって,警察と市町村(県・消防庁)の発表する数がかなり異なる場合もあります.

阪神・淡路大震災教訓情報資料集【02】人的被害 http://bit.ly/mgX8y6 震災関連死の記述有り

2011年6月 8日 (水)

津波警報「改善」は,客観的な根拠にもとづいた議論が重要

NHKニュース 津波警報の改善 勉強会初会合 http://nhk.jp/N3w55cbg

津波高さ予想、廃止意見続出=「過小評価で逃げ遅れ」―気象庁の警報改善勉強会 http://bit.ly/iAeXd8 どうか,今度こそ客観的な調査結果に基づく「情報改善」が行われることを強く強く祈念します.

津波予報を「*m」といった数量的な情報で出すことには私もあまり共感できません.(若干の海面変動)→津波注意報→津波警報→大津波警報という3(あるいは4)ランクの情報で何がいけないのかと思います.その意味で,今回行われようとしている「情報の改善」は賛成です.

しかし,「改善」するならば,「この情報によって具体的にこのような弊害があり」,「こう改善するとこのような効果が期待されるので」といった「改善の根拠」を客観的に調べ上げた上で実施してもらいたいと思います.

近年,目立った災害が起こるたびに「情報の改善」がいわれ,「何か」が実施されます.しかし,その改善の根拠(こういう情報が出されてこういう行動が取られたので人が亡くなった,とか)や,なぜそのように改善するのかという具体的な根拠が挙げられていないように感じています.
 

私自身も各種の公的委員会に参加させていただいたこともあるので偉そうなことは言えませんが,この種の「改善」を議論する各種委員会では,無論真剣な議論はなされるのではありますが,場合によると,そこに参集した委員のみなさんの「意見」で結論がまとめられる事があると感じます.もちろん,「意見」がなければ議論はまとまらないわけですが,「客観的な調査結果」を元にした「意見」であって欲しいと思います.時間的,あるいは人員や予算的制約の下であることはよくわかっていますが,それでも,もう少し何かできないものかと.
 

たとえば,数年前に行われた,河川の水位の呼称を「わかりにくいから」ということで「改善」したことを,私は未だに納得していません.これについては, http://goo.gl/gvUpr に少し書いたことがあります.河川水位の呼称「改善」も,旧来の呼称の何がいけなくて犠牲者が出たのか,新たな呼称は旧来の呼称に比べて,人の行動にどのような変化を与えるのかといった資料は提示されなかったように思います(知らないだけかも知れないけど).

私はこれまでに行ったいくつかの調査で,「かなり大きな津波予報の数値が示されないと逃げる人が少ない」という結果を得ています.一例としての資料(pdf)→ http://goo.gl/pRTAh

だから,私自身は,この結果を根拠として,「量的津波予報は避難行動を抑制する可能性がある」と指摘できます.

しかし,先の記事にあった「最初の予想や第1波の高さ20~30センチの観測情報で安心し、逃げ遅れた犠牲者が多かった」(いた,でなくて,多かった,と)ということは,少なくとも私には明解には言えません.

また,どういった情報提示ならば人は逃げてくれるのか,というのも難しい問題です.難しいですが,「おもいつき」ではなくて,「何らかの調査結果」にもとづいた「新たな情報」(あるいは今までのままでいいという結論でも)を出すことは可能だし,方法はあります.

避難行動を構成する要素はさまざまあり,いろいろな角度で調べれば調べるほどきりがなくなります.したがって,あらゆる角度から検討すべきだとはいいません.何かに焦点を絞ることが重要です.しかし,何かを変えるならば,その変える部分については,「なぜ変えるのか」「どう変えたらどうなるのか」について,量的でも質的でも良いので,データを示した上で行うべきだと考えます.

もちろん,私自身もこの問題には取り組みます.

2011年6月 6日 (月)

牛山のコメント・研究成果が掲載された報道記事等(4月中旬~6/4まで一括掲載)

当方の関係報道記事の紹介がしばらくできていませんので,4月中旬以降のものを一括して掲示します.

指定避難所100カ所超被災 牛山准教授に聞く 高所への経路確保を,信濃毎日新聞,2011年04月13日

指定避難所100カ所超が被災 大津波で流出、浸水 住民多数犠牲か-東日本大震災,静岡新聞,2011年04月13日

東日本大震災 指定避難所 100以上に津波 流失や浸水 住民 多数犠牲か,中国新聞,2011年04月13日

東日本大震災/高いビルの指定も必要,宮崎日日新聞,2011年04月14日

岩手・沿岸部を視察 普段からの津波対策重要-牛山素行・静岡大准教授,静岡新聞,2011年04月15日
http://goo.gl/7Cdp8

静岡で「防災学講座」 「個人の意識」「避難訓練」重要=静岡,読売新聞(東京朝刊),2011年04月17日

「津波の際、すぐ高所へ」 大震災の避難事例を紹介-静岡・葵区,静岡新聞,2011年04月17日
http://goo.gl/bJwKd

東日本大震災/児童74人死亡・不明/石巻・大川小の3・11,河北新報,2011年4月24日

「東日本大震災後」専門家が検証 津波防災「住民とともに」 【大阪】,朝日新聞(大阪夕刊),2011年4月26日

津波対策で検討委 来年2月めど、避難行動案策定へ-袋井市,静岡新聞,2011年5月3日
http://goo.gl/gVbMY

大津波に備える~21日に避難訓練(中)=災害弱者対策-迅速誘導へ道筋遠く,静岡新聞,2011年5月19日

始発駅・信州よ=牛山素行さん 災害、人の被害軽減探る,信濃毎日新聞,2011年5月22日

社説(2011年6月1日・水曜日)=サイポスレーダー-積極活用を日ごろから,静岡新聞,2011年6月1日

災害対応に理解深める/高松でトップセミナー,四国新聞,2011年6月4日

2011年6月 5日 (日)

津波災害においては「要援護者支援」が困難であることを直視するしかありません

下記静岡新聞の記事は,やや不本意なのでコメントさせていただきます.

袋井市での検討会での私の発言として,「牛山素行静岡大防災総合センター准教授は初回会合で『お年寄りを置いていくわけにはいきません』と真剣に取り組む姿勢を見せたが、それ以上触れることはなかった」と紹介されていますが,私はこんなことは言っていません.

東日本大震災で実際に発生した状況を見ると,お年寄りなどのいわゆる災害時要援護者を助けようとして犠牲になった人たちが,かなりの人数で確実に存在しているという事実があります.このような事実を見るときに「要援護者をみんなで助けて避難する」といった方策は,現実には実現困難なきれい事であることを直視しなければならない,という趣旨の発言はしました.つまり,「お年寄りを置いていくわけにはいきません」などという話とは正反対の指摘をしたのです.

「では要援護者を見殺しにしろと言うのか」という反論がきっと出て来ると思います.ですから,そういうきれい事では「地域防災」も「いのちをすくう」もできないことを直視しましょうと言っているのです.「ではどうしろと言うのか」と言われますね,きっと.しかし,そこから先は,誰かに決めてもらう話ではなくて,個人や地域が真剣に考えるしかないと思います.

あえて「対策」を挙げるとすれば,「要援護者」が津波災害等のリスクの存在するエリアに常住しないようなまちづくりを目指すことがあります.あるいは,「若者が死んでもいいから要援護者をみんなで守ろう」とか,逆に「若者の命を捨てさせることは忍びないのでいざというときはオレ達を捨てて逃げてくれ」といった地域合意をすることも有りでしょう.

そんなこと現実にはできない,残酷だ,人の気持ちがわからない,などと言われるかもしれません.私はそういった批判を恐れて,これまでこの種の「理想的防災論」はなるべく口にはしてきませんでした.しかし,東日本大震災での現実を目の当たりにして(というか私自身の後悔から),「これはきれい事な防災対策だ」と心の底で感じてるような「対策」については,たとえ理想論であっても「それはなんとかしなければ」と口に出そうと思います.

理想的防災をすぐに達成することは当然難しいでしょう.しかし,たとえ困難でも,時間をかければできることもあるでしょう.あるいは,本当は何かできることが見つかるのかも知れません.現実的な議論を重ねていくしかないと思います.

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大津波に備える~21日に避難訓練(中)=災害弱者対策-迅速誘導へ道筋遠く
2011.05.19 静岡新聞

 「足の悪い人らはどうすればいいかね」

 15日、袋井市の同笠海岸にほど近い浅羽南公民館。住民主導で実施した津波対策会議が3時間半の日程を終えようとしていたその時、出席者の1人が発した言葉に場の空気が変わった。

 「うちの近くのおじいちゃんもだいぶ年寄りだ」「東海地震が来ればここらはすぐに津波がやってくるって聞いた」。ほかの出席者が少しずつ重い口を開いていく。災害弱者の迅速な避難誘導は、参加していた誰もが重要性を認識していたはずだった。それだけに会議の最終盤になってようやく話題に上った事実が、かえって問題の難しさを印象づけた。

 「3・11」の衝撃はあまりに大きかった。多くの高齢者が津波の犠牲になり、助けに行った若者や消防団員も命を落としたと報じられた。遠州灘は津波被害ゼロとされてきた地域。ある住民は「今まで津波を考えてこなかった人間が、いざというとき他人のことまで気が回るだろうか」と表情は固い。

 避難場所や避難経路は新たに造ったり設計したりすれば対策構築にある程度の道筋が見えてくる。実際、この日も「命山」と呼ばれる人工台地の新規設置を市に依頼し、それを軸に避難計画を策定していこうという雰囲気ができていた。災害弱者誘導という難題には、出席者は展望をつかめないまま家路に就いた。

 袋井市は学識者らによる検討委を設置し国や県の対応を待たずに津波対策に乗り出したが、ここでもこの問題は懸案となる様相を示している。会長に就いた牛山素行静岡大防災総合センター准教授は初回会合で「お年寄りを置いていくわけにはいきません」と真剣に取り組む姿勢を見せたが、それ以上触れることはなかった。

 静岡新聞社の調査によると、掛川、袋井、磐田3市の沿岸部には2万人前後の高齢者が居住している。津波の発生時間帯や到達速度などにもよるが、単にハード整備では克服できないことは明らかだ。

 袋井市防災課の山本季男課長は「まずは避難可能な施設を把握するなど現状認識が先決」と強調する。高齢者が多く利用する掛川市の大東温泉シートピアの小田つとむ支配人は「津波が砂丘を越えるようなことは考えたこともなかった」と率直だ。“想定外”を想定する難しさに、当事者たちの苦悩は深い。

2011年6月 1日 (水)

浸水範囲は想定の範囲内の所も少なくない

中央防災会議「東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会」の第1回資料 http://goo.gl/UuO9G 特に「資料3-2  今回の津波被害の概要」が参考になりました.

中央防災会議専門調査会の資料でも明らかなように,岩手県沿岸部では,今回の実績浸水区域,浸水深が想定とおおむね同程度という場所もあります.この資料にある中では,普代,田老,釜石など.一方,陸前高田,志津川,仙台平野一帯は想定規模を大きく超過しています.

岩手県田野畑村も「想定とおおむね同程度」の地区です.下図は岩手県田野畑村の津波浸水予測図と今回の浸水範囲.浸水範囲は想定区域の範囲内にあり,遡上高(予測図では赤枠内の数字)や浸水深もおおむね予測の範囲内にあります. http://twitpic.com/558w9c

田野畑村では津波の避難場所を「××宅裏山」など,公民館等建物のある場所以外の高所にきめ細かく指定していました.その位置は「点」として明確になっていないところも多く,状況によってさらに高いところへ行けるよう道がつけられているところが多くありました.たとえば,

http://goo.gl/MO1CI http://goo.gl/oOgL0 http://goo.gl/lSU7u

5月25日に田野畑村沿岸部の津波避難場所23箇所全地点を踏査(道路からの遠望も含む)したところ,津波が到達して逃げ切れなかったと思われる避難場所は1箇所も確認できませんでした.

岩手県田野畑村の人的被害は5/26現在で死者14名,行方不明者22名.中防資料では浸水域人口が1582名とのことなので,遭難率は2.3%.陸前高田市(13.0)などに比べれば比率は低いとはいえ,けっして少なくない数の遭難者が生じています.

外力(津波,洪水など)の想定と,それに対する防災施設の整備は別のものであり,想定された規模の外力でも大きな被害が生じてしまうことは,豪雨災害などではごく普通に見られることです.「想定内」の現象に対しても我々の社会は万全ではないことを痛感させられます.

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