【天竜川水難事故を聞いて】厳しい経験やその教訓を維持し続けられるか
昨日8月17日,静岡県浜松市天竜区の天竜川で,舟下りの船が転覆し,2名が死亡,3名が行方不明となりました.気象条件に特別な変化はなく,自然災害とは異なる,水難事故だと見なされます.
川下り船転覆で2人死亡 浜松・天竜川、2歳児ら3人不明(産経)
http://goo.gl/Gttg0
ところで下記新聞記事をご覧ください.
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今回の事故で「天竜舟下り」の安全管理の認識の甘さが露呈した。救命具は、背もたれのクッションだけで、乗船前に使い方を説明したが、今回の事故では手にする暇もなく川へ投げ出された人が多かった。
舟が転覆する直前に教諭や生徒からは「救命クッション」という叫び声があがったという。
救命クッションは通常は背もたれとして使われているが、緊急の場合には抱きかかえて浮輪のように使える。
救命胴衣は利用者からの申し出がない限り使っていなかった。
記者会見をした同社の林忠信・安全室長は「身につける救命胴衣は必要だと思うが……」と言葉を濁した。
1987年5月に死者2人、行方不明1人を出す事故を起こしたあと救命胴衣を一時導入したが、暑さや衣服の汚れなどから利用者の評判が悪く、救命クッションに戻した経緯があるという。
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今回の事故を伝える記事ではありません.2003年5月23日に,天竜川の上流(今回の事故現場のはるか上流の長野県飯田市内)で発生した舟下りの転覆事故を報じる,2003年5月24日付朝日新聞の記事です.しかし,何気なく読めば,今回の事故を伝える記事と取り違えそうな気がします.
事故と災害は性質として似ているところがあります.何か目立つ事象が発生すると,検証が行われ,対策が取られます.発生直後は,かなり厳しい対策も容易に受け入れられるでしょう.しかし,時間が経つとともに,それを維持することは難しくなります.
誰がいけない,ということではありません.教訓を忘れる人が意識が低いなどと言っても何も解決にはなりません.人というものは,忘れやすい生き物である事を前提として,ではどうするかを考えていくしかないと思います.難しいですが.
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