自然災害の犠牲者を減らすことは,結局死因の構成比を変える営みかも知れない
人は100%死にます.怖いけど,ここからは逃れられない.死ぬというリスクをゼロにはできない.
そう考えると,特定の死因による死者を減らすことは,大局的には,死因の構成比を変える営みということなのかもしれません.そして,死因の構成比は年単位でも大きく変動しています.下図は,厚労省の人口動態統計を元にした日本の死因の経年変化です.1998年までで止まっていますが,これはとりあえず作図に使った資料の都合上のことで,最新データは2010年まであります.
悪性新生物(ガン),心疾患,脳血栓疾患などが概ね上位ですが,年々の変動が激しいことも分かります.悪性新生物は毎年数千人ずつ増加,対前年比で言うと1990年代では102~108%位ずつの増加です.
死因のうち,すべての病気&老衰&自殺,を除いたものが「不慮の事故」です.自然災害による犠牲者はここに含まれます.交通事故,水難事故なども同様でしょう.自然災害による犠牲者は年々減少傾向ですが,近年は概ね100人未満です.
したがって,通常は「不慮の事故」死者数の変動にあまり影響を与えませんが,阪神大震災のような巨大災害があると,1995年の「不慮の事故」が少し上がっているように,影響が出る場合があるようです.ただ,1950年代頃の自然災害の犠牲者が年数千人発生したことが続いた頃の「不慮の事故」は必ずしも多くありません.1960年代に「不慮の事故」が多いのは,交通事故の影響かも知れません.2011年の値が出ると,残念ながら「不慮の事故」の数が,このグラフの上でもはっきり読み取れるくらい大きく増えることになります.
筆者は,「自然災害の犠牲者を減らしても結局他の死因で亡くなるのだから無駄なことだ」,などと思っているわけではありません.統計で見る死者は「×千人」「×%」という「数値」ですが,その中の1人1人は,家族・友人であったり,いつの日かは私です.当事者にとっては,「×%」ではなくて「××さん」です.「××さん」が今すぐに亡くなるようなことを避けたいと思うのは当たり前です.
すべての死因による死者を減らす努力は常に必要です.しかし,死ぬというリスク自体をゼロにはできない.死に至る原因となるどのリスクを減らすことに重点を置くかは,それぞれの社会,あるいは個人の価値判断であり,ごく短いサイクル(場合によると昨日と今日でも)でもうつろうものだと思います.「絶対に正しい解」はないと思います.
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