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2012年4月19日 (木)

1980年代以降の豪雨・豪雨災害の経年傾向グラフ

出水期が近づきつつあるので,2011年のAMeDASデータの集計を実施しました.まず,全国AMeDAS観測所で1時間80mm以上(猛烈な雨)の記録回数は2011年も多めの傾向,ただし突出した年というほどではではありませんでした.
http://t.co/1RBIrwxP

次に,1日200mm以上の記録回数.これはやや長い時間にわたってまとまった雨が降った回数の一つの目安になります.2011年は1980年以降最大の477回(2位は僅差で2004年の471回)となりました.まとまった雨が,広範囲、高頻度に発生したことが示唆されます.2008年から2010年の3年間,まとまった雨が記録的に少ない状態が続いていましたが,そのような異常な状態はやはり打ち止めになりました.
http://t.co/a3vrI46E

これは,気象庁・消防庁資料による風水害被害の経年変化.2010年と2011年は暫定値です.2011年は最近10年くらいで見ると被害の多い年となりましたが,長期的に被害が減少傾向であることは変わりません.
http://t.co/DgoqYwth

こちらは警察庁・消防庁資料による戦後日本の自然災害被害の経年変化.2011年のみ暫定値です.やはり減少傾向は明瞭です.1995年の阪神・淡路大震災,2011年の東日本大震災で人的被害や家屋被害が多く発生しており,長期的な傾向は減少でも,時として大きな被害が生ずることも事実です.
http://t.co/bZgfhHvj

なお,近年は床上浸水が後に全半壊に判定されることがよくあるので,両者の変化を見る時は注意が必要です.この点,あまり整理していませんが,一例を挙げると,2009年8月の台風9号による被害は,2009年8月21日の消防庁資料では,全壊21棟,半壊49棟,床上浸水1917棟ですが,2009年11月19日の資料だと,全壊181棟,半壊1125棟,床上浸水972棟となります.床上浸水の減少分と全半壊家屋数の増加分がおおよそ整合するように見えます.

2012年4月 6日 (金)

牛山研究室ではみなさまからのご寄付を受け付けております

牛山研究室では,防災を目的とした調査研究に取り組んでおりますが,こうした活動を継続するためには,様々な経費が必要となっております.当研究室で実施している防災研究に対し,「奨学寄付金」としてご支援いただける企業,団体,個人の方を随時募集いたしております.ご寄附をいただいた場合は,税法上の優遇措置が受けられます.また,ご希望がございましたら,当研究室ホームページ(1日平均数千ページビュー),ブログ,メルマガ,twitter等でご寄付をいただいた旨の紹介をさせていただきます.

●奨学寄付金のお申込み手順

  • このページの下の方にある「寄附金申込書」に,「寄附金申込書記入例」を参考にご記入ください.
  • 「寄付金申込書」の「研究課題等」欄には,「災害情報に関する研究」などと記入してください.また,「研究等担当者所属氏名」欄には,「防災総合センター 准教授 牛山素行」とご記入ください.
  • 「寄付金申込書」を,寄付金についてのページの案内に従い,静岡大学イノベーション共同研究センター静岡オフィスにお送りいただくと,しばらくして静岡大学から「寄附金申受書」が送付されます.同書に記載の金融機関にお振込みをいただくことで寄付が完了します.

2012年4月 1日 (日)

岩手日報による津波犠牲者の傾向分析

少し前になりますが,3月11日付け岩手日報に下記の記事が出ました.

避難せず、犠牲者の4割 本紙遺族取材から推計
http://goo.gl/MzUvB

岩手日報が時間をかけて行った聞き取り調査の結果をとりまとめたものです.webには出ませんでしたが,紙面では私のまとまったコメントを掲載していただきましたので,下記に紹介します.
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■識者談話■
 牛山素行・静岡大防災総合センター准教授 多角的な対策が必要

 犠牲者の遭難場所を見ると「自宅など」「避難場所」の屋内が67%に上る。筆者の調査では、近年の豪雨災害の犠牲者は屋外約7割、屋内約3割と屋外で行動中に遭難するケースが目立つ。

 しかし、津波は2メートル程度の浸水で木造家屋が全壊するとされ、木造家屋への避難では不十分。適切な避難行動は、災害の種類で異なることを再認識しなければならない。

 「犠牲になった時の状況」は「寝たきりなどで逃げられなかった」という、避難困難だった犠牲者が8%。大多数は「避難しようと思えば避難できた」という可能性がある。

 今回の津波は、地震発生から津波到達まで30分程度。徒歩でも2キロ程度の避難は可能だった。海岸と高台が比較的近い場所が多い県内では、地震直後に高台を目指せば、助かった犠牲者がいた可能性はある。

 一方、「避難途中」が20%、「学校や施設などに避難していた」が8%。3割弱が何らかの避難行動を取っており、少なくとも避難の意志は明確にあったと考えられる。

 そこで、単に「地震時はすぐ避難」という意識を向上するだけでは被害をなくせない。▽少しでも余裕を持って高台へ避難▽想定した避難場所が危険な状況になった時に、さらに高台へ避難できる緊急避難路を整備する―など、さまざまな対策が必要となる。

 全国の死者、行方不明者数は1万9千人余。明治以降の日本の自然災害による犠牲者数としては、関東大震災約10万5千人、明治三陸地震津波2万1959人に次ぐ巨大な被害で、インフラ整備、情報充実が進んだ現代としては大変重い事実。

 死者(年齢不明を含む)の64・3%が60歳以上、45・5%が70歳以上であり、高齢者に偏在している。

 一方、未成年層は岩手、宮城、福島3県の沿岸37市町村で、幼児~中学生年代の子どもの98%以上、19市町村では99・9%以上が生存したことになる。

 津波浸水域人口に対する犠牲者率は、最大が宮城県女川町の11・63%で、陸前高田市は11・13%、大槌町は10・97%。 犠牲者数は厳しく受け止めなければならないが、浸水域人口の8割以上が難を逃れたことも確か。未成年層の犠牲が比較的少なかったことも含め、ハード、ソフト両面の防災対策の蓄積の効果があったのではないか。

 これまでの対策が無駄ではなく、さらに発展させることを考えたい。注意しなければならないのは、今回の震災で得られた「教訓」はあくまでも今回の条件下での「教訓」。この教訓だけを重要とするのではなく、多角的な視点での防災対策を目指したい。

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