« 第二回「土砂災害への警戒の呼びかけに関する検討会」についての感想 | トップページ | 個人レベルの防災-「何が重要か」考え、備える »

2012年11月 3日 (土)

「防災に役立つ地域の調べ方講座」刊行の背景

このたび古今書院から「防災に役立つ地域の調べ方講座」という本を出すことになりました. http://www.kokon.co.jp/h7115.htm 全国配本は11月中旬頃の見込み.近日中に著者割引に関する情報を流しますが,刊行に先立って,本書刊行の背景について説明しておきたいと思います.同書の「あとがき」をそのまま掲示します.

---------------------------
 2011年3月11日は,筆者にとって一生忘れることができない日になった.筆者は14時46分地震発生の瞬間を,出先から大学に戻ろうと車に乗り込んだところで迎えた.はじめは,車が少し揺れ,大型車でも通ったのかなと思った.しかし,その揺れは異様に長く続き,遠いところでかなり規模の大きな地震が起きたのではないかと気がつき,カーラジオのスイッチを入れた.番組はすでに地震報道に切り替わっており,宮城県で震度6強,すぐに震度7が伝えられ,さらに(後に大きな問題となる)大津波警報で宮城県6m,岩手県・福島県で3mが伝えられた.「6m」が出たことで,これは想定宮城沖より大きなものが来たのではと思いつつ車を大学に向けて走らせた.その車中で,津波第一波として大船渡で0.2mという観測値が報じられるのを聞いた.「だめだーっ,そんな小さい数字を伝えるなーっ」と車内で1人叫んだことを覚えている.大学に戻ってネット,テレビを見るが,最初は大きな動きは見えない.しかし,15時15分頃だったと思うが,NHKの映像で,見覚えのある岩手県釜石市の高架道路下の防潮堤を津波が軽々と乗り越えて市街地に遡上していくのが見え,想定宮城沖連動型どころではない,とてつもない事態が発生しつつあることを悟った.

 筆者は2005~2009年の間,岩手県立大に在職していたが,当時から継続的に調査に入っていたフィールドが岩手県陸前高田市気仙町地区だった.この地区がいったいどうなったのかが気がかりだったが,当初は全く情報が無かった.しかし,12日未明になって陸前高田市中心部の低地が完全に津波に飲まれる動画がNHKで伝えられた.自分が偉そうに防災ワークショップなぞをやった集落,そこで確認した津波避難場所,それらが致命的な津波に襲われ,おそらく消滅したであろうことが想像され,結果的に自分は人の命を奪うことに荷担したのではないかと,眼前が暗くなる思いがした.発災後,最初に現地入りの機会を得たのは3月29日.真っ先に陸前高田市に向かった.気仙川沿いの道を南下し,竹駒駅付近から「そんな場所から見えるはずがない広田湾」が見えた時の気持ちは忘れられない.気仙町は,本当に「街」としては消滅していた.

 本書は2011年1月頃,刊行に向けて本格的な作業に入っていた.しかし,そのさなかで東日本大震災を迎えた.これまでに経験したことがない規模の災害,それに伴う調査研究,多数の取材や照会への対応,無論,日常業務も減ることはない.本書の刊行に向けた作業は一時停滞せざるを得なかった.また,「演習」の「作例」として陸前高田市を取り上げていることも気にかかった.津波で文字通り消滅してしまった街.それを防災のためのテキストの作例として取り上げてよいものなのか,ためらわれた.

 東日本大震災の死者・行方不明者は約1万9千人,明治以降の日本の自然災害としては関東大震災,明治三陸津波に次ぐ規模の人的被害であり,広域,巨大災害であることは間違いない.災害,防災に関わる実に様々な現象,問題が発生,確認された.しかしながら,たびたびの現地調査や,データ解析を通じて,この災害の外力や被害の規模が大きいことは間違いないが,災害や防災に関わる考え方,取り組み方,そこで生じる問題の基本的な構造は従来考えられてきたことから大きく逸脱していないと,筆者は考えるようになった.また,よく似た地域で発生した同様な災害である明治三陸津波の犠牲者のデータと見比べると,東日本大震災では,「津波の影響を受けた地域の人口に対する犠牲者の比率」が,明らかに下回っていることもわかってきた(牛山・横幕,2012).これは,明治三陸津波以降に日本社会が取り組んできた様々な防災対策が,けっして無意味なものではなかったことを示唆している.

 

本書第1章でも述べたように,自然災害は,誘因が素因に作用して発生する.誘因を事前に知ることは難しいが,素因は災害前の平時に,長い時間をかけて丁寧に理解することが可能である.その意味で,地域防災に関するすべてのスタートラインはその地域の素因を知ることであり,その重要性は東日本大震災を経ても変わることはないと筆者は考える.このような営みは,「けっして無意味ではなかった様々な防災対策」のひとつではなかろうか.ならば,本書の刊行を止めてはならないと思うようになり,震災から約1年を経た2012年2月,本書の再編集作業が始まった.作例として岩手県陸前高田市を取り上げることについては,すでに震災被災地の災害前の姿を記録する様々な刊行物や,ネット上の資料整備が進んでいることもあり,むしろ失われた街の姿を後世に記録するという意義があるのではないかと考え,原稿をほぼそのまま生かす形で収録することとした.

 東日本大震災を経た現在,日本において災害,防災に対する関心は非常に高まっている.しかし,この状態が長くは続かないことも考えられる.人の関心の高低とは関係なく,自然災害は我々の前に姿を現してくる.長く,地道な取り組みが必要である.本書が,その一助となれば幸いである.

« 第二回「土砂災害への警戒の呼びかけに関する検討会」についての感想 | トップページ | 個人レベルの防災-「何が重要か」考え、備える »

無料ブログはココログ

ブログ内検索

Twitter