「すべきだ」防災からの卒業-当事者意識で行動を
2月27日付け静岡新聞「時評」欄に掲載された筆者の寄稿記事です.いつにもまして極めて上から目線な論調,と受け止められることでしょう・・・
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時評=「すべきだ」防災からの卒業-当事者意識で行動を
(牛山素行=うしやまもとゆき/静岡大防災総合センター副センター長・教授)
シンポジウム,新聞投書欄,ネット上など,様々な媒体で,いろいろな人が,防災について「○○をすべきだ」という発言をしている場面をよく見る.「○○」にはいろいろな文言が入る.「手厚い補助」,「もっと高い堤防」といった予算・物的な要望,「もっと詳しい被害想定」,「この問題についての考慮」,「防災意識の向上」などの広い意味での情報に関わる要望などが代表例だろう.あるいは「私は××なのだから,私をもっと活用すべきだ」などといった要望も見聞きすることがある.
防災に関して「べきだ」という指摘がなされる場合,その主語はまず間違いなく「私以外の誰か」であり,その「誰か」の代表例は行政であろう.つまり,「行政機関は○○をすべきだ」ということになる.
防災に関して様々な人が様々な意見を述べ合うことは,大変重要なことである.しかし,問題に取り組む責任者を「私以外の誰か」に転換して「すべきだ」と声を上げる前に,ほんの一呼吸して頭を整理し,「本当にその問題は対応されていないのか」,「まず自分にできることはないのか」,などと考えてみることも有益ではなかろうか.
防災に関して「これをすべきだ」,「これが取り組まれていない」と指摘される問題は,実際にはすでに実現している,あるいは検討されたものの何か事情があって実現していないといったケースも少なくない.現代の良いところは,様々な情報の公開が進んでいることである.無論何もかもが公開されているわけではないが,個人でも少し調べれば分かることも多い.
「堤防を作る」のように,個人で取り組むことが困難な問題も当然ある.しかし,地域の災害特性を知る,その上で対策を考えるなど,個人でできることも少なくない.様々な情報の公開が,個人でできることの幅を広げている面もある.
「私を活用すべきだ」という主張も筆者には頷けない.本当にそう思うのならば,自分自身の能力を,自分自身で活用することが先決ではなかろうか.「誰か」に自分を活用することを要求するのではなく,「誰か」に必要とされる人材になるために,自分自身で取り組めることはないだろうか.
防災に対する取り組みは「自分以外の誰か」が行ってくれるものだけではない.自分自身が当事者となって取り組まねばならないことも少なくない.当事者としていろいろ考えていくと,理想論として「すべきだ」と思うことでも,実際にはなかなかできないことを痛感する場面もあるだろう.防災対策に絶対の正解はない.多くの人が当事者となって知恵を集めていくことが重要である.
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