防災のためにできることはまだまだある
10月22日付け静岡新聞「時評」欄に掲載された筆者の寄稿記事です.一言で言うと「防災のためにできることはまだまだある」
時評=自然災害への対策-情報の活用力を磨け
8月20日に広島市で豪雨災害が発生し犠牲者は74人に上った.1回の風水害犠牲者としては,近年では2011年台風12号(死者・行方不明者98人)に次ぐ規模だが,1つの市町村で発生した犠牲者数としては,1982年「昭和57年7月豪雨」時の長崎市での262人以降で最大となった.
広島市周辺ではたびたび豪雨災害が発生しており,最近では1999年6月29日に犠牲者32人などの被害があった.筆者は1999年の災害時にも現地で調査を行っており,同じような場所で,同じような災害が再び起こったことに,心が痛む.
一方,この15年間で様々な防災技術,制度が変化したことにもあらためて気づかされる.たとえば,今では気象庁のアメダス観測所のほか,国や県の膨大な数の雨量観測所のデータは,インターネットやデータ放送などを通じ,観測後即時に参照できることが当たり前になっている.15年前はこんな状況ではなかった.
当時,気象庁アメダス観測所のデータは,テレビなどで図や文字として流されてはいたが,詳しい数値を最も早く入手する手段は「観測翌日に東京の気象庁本庁に行き,手で書き写す」であり,他の国機関や県の観測値はほとんど公表されていなかった.
洪水,土砂災害などの危険箇所を示す「ハザードマップ」も,現在は法的に公表が義務化され,ネットなどで自由に閲覧できるが,1999年頃は「公表されると地価が下がる」などとの抵抗が強く,公表地域は珍しかった.
通信環境も全く違っている.総務省「通信利用動向調査」によれば1999年3月のインターネット利用率は世帯で11.0%,携帯電話保有率は世帯で(個人ではない)57.7%である.iモードが1999年1月にサービス開始したばかりで,また携帯電話は通話と短いメールのためのツールにすぎなかった.
「最近は災害が激化して,これまでのやり方では対応できない」といった声を聞くが,筆者には違和感がある.短時間の豪雨の回数などが増加している傾向はあるが,一方で,防災のための情報や制度,それらを伝える通信システムなどは短期間に飛躍的に充実した.むしろ,充実した情報を,我々人間の側が十分使いこなせていないことが課題ではなかろうか.我々には,防災のためにできることがまだまだある.