8月10日付け静岡新聞「時評」欄に掲載された筆者の寄稿記事です.この問題はいろいろな考え方があり,難しいものです.
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時評=災害時の行方不明者-「匿名化」行き過ぎでは
7月5日~6日にかけて発生した『平成29年7月九州北部豪雨』により,福岡県,大分県で36人の方が亡くなり5人が未だ行方不明である(8月3日消防庁資料).これは現在進行形の事実だが,最近こうした情報を扱うことが難しくなっている面がある.
自然災害に伴う死者数(直接死)と行方不明者数の合計は,発災直後は情報が集まらない,重複計上されるなどして次第に増加するが,ある時点で最大となった後は,状況の判明に連れて減少するという形がこれまでは一般的だった(ただし関連死者数は増加する).「ある時点」は近年の風水害では概ね数日後だが,東日本大震災では約1ヶ月後だった.
ところが近年,「行方不明者」という情報が不明瞭になりつつある.たとえば2016年台風10号による岩手県の災害では,消防庁公表資料に「行方不明者7人」が初めて示されたのは発災9日後の9月8日,うち6人は氏名が公表されなかった.平成29年7月九州北部豪雨ではさらに対応が慎重になり,消防庁公表資料に「行方不明者7人」と初めて示されたのは発災15日後の7月20日であり,氏名は全員公表されなかった.
災害時の行方不明者に関する情報公表が法律で禁じられているわけではない.個人情報保護法では,本人の同意を得ないで個人データを第三者に提供してはならないとされているが,「人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき」などは除外される.
「行方不明者」として氏名などが公表されたことで,様々な事情で周囲に所在を知られたくない人の情報が明らかになってしまうといった懸念は確かにある.一方で,氏名が公表されないことにより安否確認がスムースに進まないといった問題もある.長期的に見ると,重大な被害情報である「人的被害」についての記録,教訓が後世に残らないといった側面もある.
関係者が公表を強く拒んでいる場合などに無配慮な対応はあってはならないが,だからといって近年のあり方は少し行き過ぎではなかろうか.直接当事者となる市町村だけでは決められない問題でもある.難しい問題ではあるが,社会全体で議論していく必要があると筆者は考える.
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この話題については,岩手日報による興味深い企画記事もあります.
岩手日報企画・特集 「あなたの証し 匿名社会と防災」
平成29年7月九州北部豪雨を受けて,西日本新聞も関連記事を出しています.
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