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2019年3月18日 (月)

時評=命つないだ気仙中-津波想定 地道な訓練

3月14日付け静岡新聞に下記寄稿をしました.東日本大震災時の岩手県陸前高田市立気仙中学校の生徒らの避難等に関する内容です.
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時評=命つないだ気仙中-津波想定 地道な訓練
 
 東日本大震災時,岩手県沿岸部のある中学校.校舎は標高約2メートル,河川の堤防脇で河口からは300~400m程度と,ほぼ海岸付近.地震発生直後,生徒らは日頃の訓練やこれまでの地震時と同様に,標高約10メートルの広場へ避難したが,川の水位が下がったのを見てさらに高所を目指し裏山へ避難,林内で場所を変えつつ,近くの公民館に移動し二晩を過ごし,3日目に被害を受けなかった小学校に入った.中学生たちが通っていた3階建て校舎は屋上まで津波に覆われ,学区内では全世帯の79%が全壊,260人が死亡または行方不明となったが,在籍の生徒・教職員約百人は,欠席者も含め全員が無事だった.
 
 「今頃何を言っているんだ,先進的な防災教育が実践されて子どもが助かった有名な話じゃないか」と思われるかもしれない.おそらく多くの人が記憶しているのは,岩手県釜石市鵜住居地区の釜石東中学校の話かと思われる.上記の話はそれではない.岩手県陸前高田市気仙町(けせんちょう)の気仙(けせん)中学校(2018年3月閉校)でのことである.
 
 気仙中の話を見聞きした方は少ないだろう.たとえば朝日,毎日,読売を検索すると,この話を報じる記事は8年間に6件,そのうち全国面記事は2件のみ,静岡新聞では残念ながら確認できなかった.
 
 文科省「東日本大震災における学校等の対応等に関する調査」によれば,ハザードマップなどで津波の浸水が予想されていた場所または実際に津波が到達した場所にあった学校は149校,うち津波による死亡・行方不明の児童生徒がいた学校は20%で,犠牲者の多くは下校中に津波に見舞われたものと記されている.痛ましい被害が生じたことは間違いないが,一方で少なからぬ児童生徒の命が助かった事も忘れてはならないだろう.
 
 気仙中の当時の校長は,津波を想定した避難訓練や津波体験者の防災講話を毎年実施していたこと,生徒達が津波の恐ろしさと避難の大切さを聞かされ続けて育っていたこと,これまでの津波警報等の際にも実際に避難してきたことなどを記している(岩手県教育委員会東日本大震災津波記録誌).気仙中のようなことは,三陸地方では例外的な話ではないと筆者は思う.地道で,息の長い積み重ねが重要ではなかろうか.
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 それぞれのお考えによって,おそらくこの文章を当方の意図とは異なる方向でとらえる方がきっといると想像される話題なので,いくつも注記しておきます.
 
 まず,私は,いわゆる「釜石の奇跡」(その後この言い方が推奨されていないことはよく知っていますがあえて「わかりやすく」するために使います)と呼ばれる事象について否定的な意見は持っていません.また,その立役者とされる当時群馬大,現東大の片田先生に対しても批判的な気持ちは全くありません.片田先生とは20年ほどの付き合いで,私にとって数少ない「価値観を共有し信頼できる災害研究者」であり,「盟友」(私がだいぶ年下ですが)だと思っています.
 
 いわゆる「釜石の奇跡」がよく知られる一方で,あたかも釜石だけで子どもが助かり,他の地域ではそうではなかったかのように思われているのではないか,と感じることがあり,今回の寄稿に至りました.
 
 また,釜石を含め,子どもが助かったケースが少なくないのだから,助けられなかったケースの方はミスである,といった言説に共感するものでもありません.
 
 気仙中学校の状況については,震災発生1カ月後くらいにはあらましのことは耳にしていましたが,これまであまり明示的に文章にしたことはありませんでした.というか,様々な気持ちから,ためらい続けてきました.8年たって,やっとためらいの程度が少し下がったようです.
 
 なお私自身は,震災前,震災後ともに気仙中学校と直接的なかかわりがあったわけではありませんので,同校内のことについては特に知識はありません.
 
 気仙中学校は震災後7年間,別の場所を仮校舎として継続し,2018年3月に閉校しました.一方,震災前に使われていた同校の校舎は,いわゆる震災遺構として保存されることが決まっており,現在も震災発生直後に近い姿を目にすることができます.この場所はいずれ「高田松原津波復興祈念公園」の一角となる見込みです.
 
 なお,私はいわゆる災害遺構の保存については,推進すべきとも,すべきでないとも,どちらとも思いません.多くの人が賛同できるなら残すのもよし,そうでないならば撤去するのもよしだと思います.「災害遺構は当然保存すべきだ,お前らは意識が低い,あとで後悔するぞ」みたいなことを言う「学識者」に対しては怒りを覚えます.
 
 遺構保存には,将来にわたって社会的な負担が生じると予想され,大変な面もあると思います.維持が困難となる局面もあるかもしれませんが,それはそれでやむを得ないかもしれないと思っています.そこにかかわる多くの人たちによって,考えていくしかないだろうと思っています.

2019年3月 1日 (金)

時評=「想定外」に違和感-乱発せず情報生かせ

1月16日付け静岡新聞「時評」欄に下記記事を寄稿しました.「想定外」という言葉についてあらためて考えてみたものです.
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時評=「想定外」に違和感-乱発せず情報生かせ
 「想定外」という言葉を,東日本大震災頃以降よく聞くようになったように思うが,その言葉の使われ方に違和感を覚えることもある.静岡新聞で「想定外」が含まれる記事数を検索すると,2003~2010年は20~82件で平均45件に対し,2011年は274件と急増しその後も毎年100件以上がほとんどで,2011~2018年の平均は131件だった.記事中の出現頻度は確かに増している.
 
 デジタル大辞泉(小学館,年3回更新)によれば「想定外」は「事前に予想した範囲を越えていること」とあり,「想定」は「ある条件や状況を仮に設定すること」とある.なお「想定外」は新語のようで,広辞苑第六版(岩波書店,2008年刊)や明鏡国語辞典(大修館書店,2011年刊)では見出し語に含まれていない.
 
 防災の計画を策定する際,具体的な対応計画のための基礎資料として,何らかの条件を設定してどのような被害が起こりうるかを計算した「被害想定」を作成することがある.「被害想定」で設定した規模を越える現象が発生すれば,それは「想定外」と言っていいだろう.たとえば河川の堤防などの構造物は,大河川では100年に1回程度発生する規模の洪水を想定して設計される事が多い.この規模を越える洪水は「起こり得ない」訳ではなく,必ず起こる.しかしそれに対応する堤防等は広大な土地や巨大な費用が必要となるため,現実的に対応可能な規模の現象を想定して設計されているに過ぎない.
 
 こうした防災計画上の想定を越える現象を「想定外」と呼ぶことに違和感はないが,一方で「想定外」という語が濫発されているのではないかと感じることもある.たとえば,ハザードマップで危険性が示されていた地域で想定規模の現象が起こった際に,その想定を知らなかったからといって「想定外だ」というのは適切ではないように思う.
 
 「温暖化でなにが起こるか分からない」といった声を聞くこともあるが,何もかも皆目見当がつかないわけではなく,過去100年程度の間に起こっていない巨大な現象が近年頻発しているわけでもない.むしろ情報の整備や予測精度の向上で,一昔前より「想定しやすくなっている」面も少なくない.安易に「想定外」と言うことなく,様々な情報を生かしていきたい.

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